未来童話「青い鳥」

鐘古こよみ

【三題噺 #25】「リモコン」「青い鳥」「峠」


青い鳥ブルー・バードを探せ」


 そう言って博士は、目覚めたばかりの私を強引に立たせると、痛いほど強く肩を押して歩かせました。扉ではありません。窓へ。放射線遮蔽ガラスを使用した二重サッシ窓を手荒く開けると、私の頭を外へ押し出し腰を持ち上げて。


 落下しながら私は、こちらを見下ろす博士の表情を目に焼き付けました。

 手元のリモコンで博士が、何かを操作したのが見えました。


 途端に、目の前を白い幕が覆います。いつの間にか背負わされていたバッグから防弾布が飛び出し、私の体を内部に巻き込むと同時に膨らみ、バルーン形状で地面に叩きつけられました。内部で守られている私は、痛くも痒くもありません。

 

 着地の衝撃で環境探知AIを起動させた保護バルーンは、しばらくコロコロと転がって、周囲に危険がないと思われる場所まで私を運びました。危険とは即ち、異常な熱源であり、風圧であり、電磁波であり、ガスなどの異臭、極端な地形の高低差、自立攻撃型ドローンの放つ周波数などです。


 放射線は既に世の中に溢れていますから、この限りではありません。博士は私の体を保護剤でコーティングして世に送り出したでしょうから、脅威でもありません。


 ようやくどこかに到着したようで、バルーンが時間をかけて萎みました。

 張りのなくなった布を掻き分け、外へ抜け出して、背中のバッグを降ろします。


 辺りを見回しました。

 小さな町のようです。半壊か全壊、そのどちらかに選択肢を絞られた家々が、黒焦げあるいは灰色の瓦礫となって、四方から私を見下ろしています。


 青い鳥ブルー・バードを探せ。


 博士はそう言いましたが、私には何のことだか、わかりません。博士は必要な情報を全て書き込み終えるより先に、あの窓から私を出立させたのでしょう。恐らく、緊急にそうしなければならない事態に陥ったのです。


 青い鳥ブルー・バードとは何か。


 私は近くの半壊した建物の中に入りました。比較的、壁がきれいに残っていたので、何か必要な物資を得られるかもしれないと思ったのです。


 私は自分が生体ヒューマノイドであると理解していました。

 金属の骨組みに人間ヒューマンの細胞から培養した筋肉、血液、皮膚を纏わせたもので、本物のヒューマンが摂取するのと同じ栄養素を口から摂取することができます。本物と同じように痛覚や味覚があり、涙を流したり――ヒューマノイドの涙は冷たいことで有名ですが――失血死することもできます。


 散らばる瓦礫を踏み分けて中に入ると、そこはキッチンでした。

 グリーンビーンズの缶詰が床に転がり、割れた花瓶の欠片が干からびた花束と共に時を止めていました。

 窓辺のピンチにはドライハーブと、赤ん坊を抱いた若夫婦の色褪せた写真が吊り下げられていました。男の人の風貌はどことなく、博士に似ています。

 傍に鳥籠がありました。中はからっぽです。

 底に若草色の、丸い台座のようなものがありました。側面に主電源を示すマークを見つけて、私はそっと触れました。


 若草色のインコが出現しました。

 会話型のバーチャルアシスタントです。

 プロテクトがかかっていないのは幸いでした。


『やあ、久しぶりだね。僕はピコ! お手伝いしようか?』


 触れたら柔らかな羽に指先が埋もれそうな質感を伴って、その場で宙返り。

 久々に誰かと話すのが嬉しくてたまらないといったインコの様子に、私は思わず微笑みました。生体ヒューマノイドは感情表現も得意なのです。


「青い鳥について、教えてくれる?」

『もちろん! <青い鳥>は、モーリス・メーテルリンクが1908年に発表した童話の題名だよ』


 200年近く前です。ピコは童話の内容を語ってくれます。

 貧しい木こりの子供、チルチルとミチルの兄妹。クリスマス・イブに二人は揃って夢を見る。老婆の姿の妖精が、病気の娘のために「幸福の青い鳥」を探してくれと頼んでくる……。


 童話だけではありませんでした。青い鳥はそれ以降、世の中のあらゆる場所に出現し、様々な形で、別の意味を持って活躍し続けていました。共通しているのは、そこに必ず幸福を願うヒューマンの想いが込められているということ。


 単純に羽色が青い鳥の説明を省くと、内容はぐっと現代に近づきました。


『自立攻撃型ドローンの同時多発暴走を受けて、ヒューマンは防衛、反撃に出ると共に、暴走ドローンの活動域外である高所や地下空間への緊急避難を始めたよ。

 その時に国家の枠組みを超えて開発、運用を開始されたのが、ステルス性能と攻撃能力を有する小型探査航空機<青い鳥ブルー・バード>だよ。

 目的は偵察と、逃げ遅れたヒューマンの救助。

 救難信号は暴走ドローンのレーダーに感知される恐れがあるから、今やヒューマンの通信手段は、電子計算機発明以前の水準にまで後退しているよ。

 逃げ遅れたヒューマンが救助されるには、ステルス飛行中の<青い鳥>クルーに目視で存在を認識してもらう必要があるよ』


 それだ。確信して私はピコにお礼を言い、お喋りをやめさせました。

 博士が言っていた青い鳥ブルー・バードは、その航空機のことに違いありません。私の役目は研究施設に取り残された博士の救助要請をすること。

 ヒューマンより死を恐れず、失われても悲劇とは言えない生体ヒューマノイドをそうした目的に活用するのは、理に適っていることです。


 私は胸の奥に、風が通り抜ける場所があることを知りました。

 通風孔は備わっていません。それなのに。

 最後に見上げた博士の表情は、私を心配しているように見えました。でもあれは、自分の身を案じているに過ぎなかったのかもしれません。


 太古の昔に生み出されたロボット三原則は、時代と共に形を変えつつ、今も派生形の人造生物たちに受け継がれています。ヒューマンの要請に、私たちはできる限りの努力で応えなければなりません。人造生物も生物だとしたら、それが本能です。


 まずいことに気が付きました。


「ピコ、あなた今、インターネットに接続した?」

『一部は自分のログを参照したけど、一部はインターネットで検索したよ』


 遠い空から蜂の大群が押し寄せる羽音のようなものが聞こえてきました。

 ピコが検索に使ったインターネット接続の微弱な電波すら感知したのだとしたら、暴走ドローンたちのレーダーは相当に優秀で広範囲を見張っています。私は自分にインターネット接続機能が付与されていないことの理由を知りました。


 鳥籠を引っ掴み、慌てて外へ駆け出します。


「ピコ、ネット接続なしでこの辺りのマップを出せる?」

『もちろん! この辺りは自然が豊かでハイキングには最適。オロロトラ山の峠からは綺麗な湖が一望できるよ』

「観光じゃなくて地下シェルターの情報を出して!」


 背後で爆音が聞こえ、私はその場に伏せました。生体ヒューマノイドは自己修復機能も搭載されているとはいえ、油断は禁物です。

 反応してから改めて状況を分析すると、爆撃は予想よりもずっと遠くで行われたようでした。私は頭を上げ、腹這いの姿勢のまま背後を振り返ります。


 その瞬間、頭上を突風が吹き抜けました。


 爆風が今になって届いたのかと思いました。突風というより、巨大な空気の塊と言った方が良さそうです。

 見上げた空が奇妙に歪んでいました。

 それは一瞬のことでしたが、私が事態を把握するには十分な時間でした。


 全身の筋肉にできる限りの速度で電気信号を発し、鳥籠を抱えて、弾丸のように前方へ走りました。

 遠い空で続く爆撃の音を聞きながら、田舎道の白い砂利を蹴り上げて。

 滅びた町を後に、かつて麦畑だった、干からびた大地の方へ。


 前方に人影が見えました。

 見えたと思うや歪み、消え、また輪郭を現しました。

 光学迷彩の防護服を身に纏っているのです。


「こっちよ!」


 その人が広げる光学迷彩のマントの中に、私は包まれました。

 もはや実りを迎えることのない赤茶けた大地の真ん中で、青い鳥ブルー・バードが待っていました。


「博士を助けてください!」

 機内に乗り込むなり、私は訴えます。

「私は救難用に放出された生体ヒューマノイド。データの書き込みが不十分で詳しい経緯は説明できませんが、博士がいる場所なら説明できます。方角は……」


 示そうとして私は、ぎくりと指先を強張らせました。

 暴走ドローンが爆撃していた場所。


「落ち着いて。経緯は全て博士から聞いた」


 私をマントで迎えてくれた人が、ヘルメットを脱ぎ、明るいブロンドを肩の上で膨らませながら、座席に座るよう私を促しました。

 身体がぐんと後ろに引かれる感覚と共に、機体が上昇します。


「博士は危険を承知で私たちに連絡をくれたの」


 研究施設をレーダー探査から守る装置が壊れ、即刻退避の必要が生じたこと。

 私を防弾バルーンに包み、町がある方角へと送り出したこと。

 私は目覚めたばかりで、詳細な事情を教える暇もなかったこと。


「博士は自ら囮になると言って、通信を絶った。私たちは二人とも助けるつもりだったけれど、一足遅かった。だから、確実に助けられるあなたの方へ来た」


 私は驚愕しました。なぜ、ヒューマンである博士を差し置いて。


「あなたは生体ヒューマノイドじゃなくて、博士の娘よ」


 息を呑む私に、ブロンドの女性は淡々と告げました。

 ドローンが暴走状態になる前、博士は妻を事故で亡くしていること。

 同じ事故で、娘が全身に大火傷を負った上、昏睡状態に陥ってしまったこと。

 生体ヒューマノイドの開発を生業としていた博士には、自らの技術を使って娘を回復させる自信があったこと。


「治療中にドローンの同時多発暴走が起きてしまったのだけれど、博士は退避勧告を拒んででも、あなたの治療を続けたかった。

 目立たないよう、故郷の近くの土地と建物を買い上げて、治療のための器具を運び込んだそうよ。レーダー探査を攪乱する装置なんて普通は手に入らないんだけど、知人の伝手で中古品を手に入れたみたいね。

 お陰でしばらくは攻撃目標にもならず、あなたの治療を進めることができた。

 でも最終段階にきて、装置が壊れてしまった……」


 私は自分の掌を見つめ、開いたり、握ったりしてみました。

 生体ヒューマノイドじゃない?


「あなたは今、皮膚や筋肉の大半と脳細胞の一部を医療用ヒューマノイドから移植された状態。自分のことをヒューマノイドと思い込んでいたのは、それが原因かも」


 彼女は私に、臓器移植を受けた人が提供者ドナーの趣味、嗜好、性格や記憶の一部を受け継いだと思われる過去の例を話してくれました。記憶転移として広く知られていて、科学的に証明されてはいないけれど、そういうこともあるのだと。


 不意に私は、思い出しました。

 ピコを見つけたあの民家。

 若夫婦と赤ちゃんの写真は色褪せていたけれど、男の人の風貌はどことなく、博士に似ていました。

 思えば私はなぜ、あの家に入ったのでしょう。

 比較的、壁がきれいに残っていた。

 そうかもしれません。でもその前に、まっすぐそこへ向かっていました。

 ピコの入った鳥籠。

 若草色の台座に触れた時、プロテクトがかかっていなくて良かったと、私は思ったのです。でも、もしかしたら。

 あの時ピコは、『久しぶりだね』と言っていました。


 鳥籠に手を入れて台座の電源ボタンに触れると、若草色のインコが現れました。


『やあ、呼んでくれて嬉しいよ。僕はピコ。お手伝いしようか?』

「ピコ。あなた、私のことを知っている?」

『もちろん! マチルダ、君は僕の一番の友達だよ』


 ああ。

 私は鳥籠を抱きしめました。


 私の肉体はまだ、大半が医療用ヒューマノイドのものです。

 でもじきに、本当の私の細胞になるのでしょう。

 私が本当に探すべきものは、私の中にありました。

 チルチルとミチルが家の中で青い鳥を見つけたように。

 

 ――青い鳥ブルー・バードを探せ。


 脳裏に響く父の言葉は、思い起こせばまるで、祈りのようでした。

 熱い涙が、頬を伝いました。



<了>

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