リーナの章③ 君が望む場所へ

 アルダート家本宅に、彼女は戻ってきた。

 着慣れないドレスを着せられ、兄と共に父親の前に顔を出す。


「ようやく戻ってきたか。リーナ」

「はい。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……お父様」

「まったくだ。お前の捜索にかかった時間と金は無駄だった」

「……」


 アルダート公爵はリーナを睨む。

 その視線に、親子の絆などは一切ない。

 リーナは怯えて目を逸らす。


「そんな怖い顔をしないでくださいよ、父上」

「ラルド」

「ちょうどいいタイミングじゃないですか。ほら、あのおじさんの婚約者に」

「ふっ、そうだな。悪くない。あんな男でも関わりの深い貴族だ。ここは一つ、供物を与えよう」


 二人が何の話をしているのか、リーナは理解できない。

 理解できなくとも、感覚でわかる。

 二人が自分のことを人として、家族として扱ってくれていないことに。

 彼女は思い出していく。

 忘れていた幼い頃の記憶を。

 虐げられ、自身の存在意義すらわからなかった頃のことを。


 その時、屋敷のベルが鳴った。


「来客か? 予定はなったが」

「僕が見てきますよ」

「頼んだ。ん? 騒がしいな」


 ドタバタと足音が複数聞こえる。

 使用人たちが慌てていた。


「困ります! 勝手に中に入られては!」

「急いでいるんだ。通してもらうぞ」


 扉が乱暴に開く。

 リーナは自分の目を疑った。

 そこに立っていたのは――


「アンセル先生?」

「やっぱりここだったか。探したぞ、リーナ」

「リーナ!」

「見つけたぁ~」

「みんなも……どうして?」


 リーナは困惑していた。

 扉の奥からぞろぞろと、アンセルとシアン、スピカにロールも一緒にいる。

 手紙には家の名前も、行き先も告げていない。

 なぜここへたどり着けたのか。

 疑問の答えは、アンセルの口から語られる。


「この街の名前を聞いてから、お前の様子が変わった。特にこの家の名前を聞いた時も反応がおかしかったからな。アルダート公爵家……この街を納める貴族と関わりがあるんじゃないかと思ったんだが、ここがお前の実家か?」

「――! はい……そうです」

「なんだ貴様は? 誰の許可を得てここにいる」


 突然の来客に苛立った当主がアンセルに苦言を呈する。

 アンセルは当主と視線を合わせる。


「初めまして、アルダート公爵。俺はアンセル、彼女の師匠です」

「師匠? そうか、これまでリーナを保護していたのは貴様だな? 当主として礼を言っておこう」

「必要ありませんよ」

「そうか。ならば退室願おう。リーナはアルダート家の人間、貴様が誰かは知らないが、関わることはもうない」

「それを決めるのは俺じゃなくて、彼女ですよ」


 アンセルはリーナに視線を向け、静かに微笑む。


「本当に帰るんだな? リーナ」

「――!」

「リーナの意思など関係ない。これはアルダート家の問題だ。余計な口を挟むな。あまり関わろうとすると、後悔するぞ」

 

 リーナは父の冷たい視線を感じ取る。

 このセリフはアンセルだけでなく、自分に言われていることに気付いた。

 これ以上無駄な時間を取らせるな。

 そう言われているのだと。


「わ、私は平気です。ここが私の……いる場所なので」

「リーナ」

「今までお世話になりました。アンセル先生、私はここで……旅の無事を祈っています」


 リーナは笑う。

 精一杯に、アンセルたちを遠ざけるために。

 これ以上関われば、彼らに迷惑をかける。

 自分のせいでアンセルたちの足を引っ張りたくはないと思ってから。


「……そうか」

「師匠!」

「せんせー?」

「戻るぞ、お前たち」


 アンセルは背を向ける。

 シアンが叫ぶ。


「どうして?」

「リーナは自分の意志でここに残ると言った。その意思を俺たちは尊重すべきだ」

「でも! せんせー!」

「忘れるな。これは、自分たちの人生、決めるのは彼女だ」


 そう言ってアンセルは歩き出す。

 その背中を、リーナは笑顔で見続けた。

 せめて彼らが見えなくなるまで、笑顔を崩さないように踏ん張って。


  ◇◇◇


 翌日。

 リーナには見合いの場が設けられた。

 相手はアルダート家と古くから懇意にしているダッペン子爵家。

 貴族としての位はアルダート家よりも低いため、対等の関係ではない。

 古くからの付き合いがなければ、とっくに関係も途切れている。

 故に適度に関係だけばいいと、アルダート家は考えていた。

 そして今、両家の関係を続けるための道具として選ばれたのは、リーナだった。


「初めまして、リーナ・アルダートです」

「グルドン・ダッペンです。ようこそ我が別荘へ。今日から私たちは婚約者です。仲良くしていきましょう」

「……はい」


 明らかに歳は二回り以上離れている。

 貴族らしくぶくぶく太り、やらしい視線でリーナの身体を眺める男。

 こんな男と婚約し、しばらく一緒に暮らさなければならない。

 リーナの心は深く沈んでいく。

 同じ男でも、常に紳士的で頼もしかったアンセルとは明らかに違う。

 下心丸出しで、今にも襲い掛かってきそうだった。


「部屋を案内しましょう」

「はい」


 耐えられるだろうか。

 リーナの頭はそれだけでいっぱいで、もしもアンセルの下で修業をつんでいなければ、今頃また逃げ出していただろうと考えていた。

 しかし自分で選んだ道である。

 アンセルたちに迷惑をかけないために。

 彼女はここへ残ることを決めた。

 

「ここがリーナの……ああ、もうダメだ」

「え、きゃ!」


 部屋へ案内された途端、グルドンはリーナをベッドへ押し倒した。

 

「グルドン様?」

「ああ、いい身体をしている。出来損ないの娘を婚約者にするなど、侮辱された気分だったが! これは喜ばしい誤算だ!」

「や、やめて!」

「抵抗するな? 自分の立場はわかっているだろう? 君はもう私の婚約者なんだよ。さぁ、その身体で私を楽しませてくれ」


 グルドンはリーナのドレスを破り捨てる。

 抵抗することはできた。

 魔術の修業をした彼女なら、この程度の男など造作もない。

 けれど、気力が付きかけていた。

 ここで抵抗したところで未来はない。

 アンセルたちの迷惑にかかるなら、いっそこのまま……。


 ――嫌だ。


 それは煩悩だ。

 未熟な彼女だからこそ、後悔と不安、恐怖が混み上がってくる。

 そんな時に人は、もっとも大切で信頼できる人を思い浮かべる。

 助けを求める。


「助けて……先生」

「呼んだか?」

「――え?」

「は?」


 突然、部屋の窓が開いた。

 夜風と共に姿を見せる。

 誰よりも大切で、信頼している人が。


  ◇◇◇


 どうやらタイミング的にはギリギリ間に合ったらしい。

 リーナは押し倒されているが、まだ怪我されてはいない。

 ホッとすると同時に、豚のような男に嫌悪を抱く。


「な、なんだ貴様は! どこから入ってきた!」


 こんなゲス男にリーナの身体を触られている?

 ふざけるなよ。

 

「お、おい! 応えろ無礼者!」

「邪魔だ。肉塊」

「ふげっ!」


 デコピン一発。

 盛大に手加減したが、男は拭きとんで壁に激突して意識を失った。

 本当はもっと吹き飛ばしたかったが、さすがにこれ以上やると殺しそうだから我慢しよう。


「大丈夫か? リーナ」

「どうして……先生がここに」

「ん? 決まっているだろ? 弟子のピンチにかけつけない師匠がどこにいる?」

「――!」


 リーナの瞳から涙があふれだす。

 我慢していたのだろう。

 怖かったはずだ。

 気持ち悪い男に抑えられて、精神的にも辛かっただろう。

 

「もう大丈夫だ。アルダート公爵のほうもな」

「え? それって……」

「今頃、ロール殿下が、アルダート公爵を糾弾していることだろうな」


  ◇◇◇


「で、殿下!?」

「調べさせてもらいましたよ。随分と悪さをしていたようですね」


 ロールはアルダート公爵に、不正の証拠がずらっと並んだ紙を見せつけていた。

 ここ数日の間、アンセルと共に駆け回り、調べた証拠の数々は、貴族の地位を揺るがすほどの量だった。

 加えてロールは王子の立場にある人間。

 間違った行いをした貴族を正す権利と義務、そして何より権利がある。


「この件は父上にも報告させてもらいます。厳しい処罰が下されるでしょう」

「そ、それは……」

「ただ、ボクもいい人間はありませんので、一つだけ言うことを聞いてくれたら、見逃してあげてもいいですよ?」


 ロールはニヤリと笑みを浮かべる。

 アルダート公爵は慌てて尋ねる。


「な、何なりと! どのような要求でも叶えてみせましょう」

「では一つ、約束してください。金輪際、リーナには関わらないと」

「は? なぜそんなことを……」

「誓ってくれますか?」


 ロールは笑う。

 アルダート公爵はびくりと身体を震わせる。


「ち、誓います! アルダート家は今後一切、リーナとは関わりを持ちません!」

「ありがとうございます。それでは……」


 ロールは公爵に背を向けて立ち去る。


「これは貸し一つだよ」


  ◇◇◇


「――というわけで、公爵にはお前の自由を保障させた」

「そこまで……」

「これでお前は自由だ。どう生きるかは自分で決めればいい。今のお前には無限の選択肢がある」


 今ならロール姫の助力で、アルダート家の正式な貴族として戻り、不自由ない生活を約束させることだって可能だ。

 アルダート公爵家に金銭的な支援をさせて、一般人として生活だってできる。

 わざわざ過酷な旅に同行する必要もない。

 彼女が望むなら、何にだってなれるし、俺は応援しよう。


「お前が選ぶんだ。自分の居場所は」

「――私の……」


 彼女は沈黙し、俺を見つめる。

 そうして静寂を破り、口を開く。


「先生はあの日……ここは仮宿だって言ってくれました。自分がいたい場所が見つかるまでの間、過ごすだけの仮宿だって」

「ああ」

「でも、先生……私にとって一番いたい場所は……先生とみんながいる場所です」

「そうか」


 ホッとしている自分がいる。

 彼女が何を望んでも、応援するつもりでいた。 

 それでも俺は彼女に、共に歩む道を選んでほしかった。


「なら、戻ってくるといい。お前の居場所はここにある」

「はい……はい! 先生!」

「お帰りなさい、リーナ」

「ただいまです。先生」


 そっと手を引き、俺は彼女を抱きしめる。

 出会った時よりもずっと、大きく成長した身体を。

 力いっぱいに抱きしめて、伝える。

 ここが、お前の居場所なんだと。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【あとがき】


リーナの章はこれにて完結となります!

次章をお楽しみに!


できれば評価も頂けると嬉しいです!!

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