色欲の章③ 甘い夢は見ない

「――!?」

「三人がいなくなったよ!」

「油断したな……こういう面倒な仕掛けもあるのか」

 

 相手の領域に踏み込んだ瞬間だ。

 リーナたち三人が姿を消し、俺たちだけが残された。

 おそらくリーナたちは三人一緒に移動させられたか、どこかに隠された。

 俺とロール姫が一緒なのは、彼女が俺の手を握っていたからだ。


「どうするの? このまま進む?」

「しかないな。さっさと呪具を回収しよう。彼女たちなら大丈夫だ。幻術への対処法は心得ている」

「信頼しているのね」

「ああ。それに、彼女たちに何かある前に、俺が決着を付ければいいだけの話……?」


 街も霧のような煙で覆われている。

 人間の気配はなかった。

 しかし魔力は感じ取れる。

 魔力の中心が徐々に、こちらに近づいているのを感知する。


「姫様は俺の後ろに」

「何かわかったの?」

「まだ……でも、来るよ」


 コトン、と足音が響く。

 ここまで近づけば、ロール姫にも感じ取れる。

 煙の中から一人の女性が現れた。

 見た目でしかわからないが年上っぽくて、どこか妖艶で不気味な女性……。

 右手には煙管をもち、煙を吹かせている。

 

「驚いたわ。私の煙に逆らえる人間がいるなんて。全員捕えたつもりだったのに」

「――俺も驚いたよ。そちらから姿を見せるとは、よほど自信家らしいな」


 間違いない。

 あの煙管こそが呪具だ。


「煙管か。中々おしゃれな武器だな」

「そうでしょう? 私もこの見た目は気に入っているわ。【大罪法典】の中でも、これに選ばれたことは幸運だったわね」

「その幸運もここまでだ。呪具を渡してもらおう。女性相手に手荒な真似はしたくない」

「あら、優しいのね? それによく見たらとっても素敵な顔、好みのタイプだわ。ねぇ、あなた私の恋人にならない?」


 ……え?

 今なんて言った?

 聞き間違えか?


「何を言ってるんだ?」

「恋人になってほしいのよ。一目ぼれしちゃったわ」

「……」


 聞き間違えじゃなかった。

 告白されたぞ。

 人生で初めて女性から!

 いつになく心が高ぶり熱くなるのを感じる。

 

「惑わされないでよ」

「と、当然だ」

「じー……」

「大丈夫だ!」


 俺はこれでも大賢者の後継だ。

 心の乱れはそのまま煩悩。

 制御しろ。

 高ぶるな、静まれ。


「嬉しい誘いだけど、丁重にお断りさせてもらおうか」

「あら、残念ね。本気だったのよ?」

「っ……」

「ちょっと、惑わされてませんか?」

「平気だ」


 女性の誘いを初めて断ってしまった。

 なんという喪失感。

 しかし俺は動じない。

 相手は俺を誘惑し、心を乱そうとしているだけだ。

 そう、本気で俺に告白することなんて……ない……うわぁ、自分で考えるほど空しくなる。


「何を言われても俺は靡かない。大人しくそれを渡すんだ」

「残念。せっかく十五人目の恋人候補が見つかったと思ったのに」

「……十五人目?」

「ええ。素敵な男性は全員私の恋人にしているのよ。あなたもそうしてあげようと思ったのに」


 この尻軽女がぁ!

 俺を純粋な心を弄びやがったなこの野郎!

 と、心が荒ぶりそうだったのでぐっと堪える。


「でも安心して? あなたもきっと、私に魅了される……いいえ、何も考えなくてよくなるわ」

「――!」


 この甘い匂い……まさか。

 視界が歪む。

 油断だ。

 これまでの会話も、この匂いから意識を逸らすための演技だったのか。


「さぁ、夢の世界へご招待しましょう」

「くっそ……」


  ◇◇◇


 意識が目覚める。

 身体が少し重い。

 瞼も。

 ゆっくり目を開けると、そこは懐かしき道場、俺の寝室だ。


「ここは……」

「先生!」


 リーナがいる。


「師匠、こっち見てよ」


 その隣にシアンも。

 二人がいるなら当然、彼女もいる。


「せんせー、楽しいことしよーよー」

「スピカも……」


 三人がベッドで横になる俺の上に、裸で乗りかかっている。

 俺は瞬時に察する。

 これは幻だ。


「本物のお前たちは、そんなはしたない格好をしない」

「どうして?」

「師匠だってこうしたかったでしょ?」

「せんせーのこと、スピカたちは大好き! だから何されてもいいよ」


 俺を誘惑している。

 無自覚ではなく、意識的に。

 それが逆に、現実との乖離を生み、俺の中で確かな確信を抱かせる。


「無駄だ。俺を惑わすことはできないよ」


 俺を幻術にかけたことは驚いている。

 魔力を完全に制御している俺を惑わせる術があるなんて思わなかった。

 新しい体験だ。

 俺もまだまだ修行が足りないと自覚できたよ。


「もう終わりにしよう」

「いいのかな?」

「――ロール姫?」


 彼女が隣に立っている。

 当然のように彼女も裸で、女性であることを隠しもしていない。

 そんな彼女は指をさす。


「ほら、見て」

「――!」


 気づけば俺に誘いをかけていた彼女たちはいなくなり、見知らぬ男と幸せそうに抱きしめ合っていた。


「君が拒絶するから、みんな他の男に取られちゃったよ」

「……」

「私もほら、こんなに求めていたのに……残念ね」


 ロール姫も見知らぬ男たちに囲まれて、幸せそうな笑みを浮かべる。

 俺の元から、慕ってくれていた弟子たちが、頼ってくれた姫様がいなくなる。

 独りぼっちになり、他人と幸せな笑みを浮かべる彼女たちを見せられる。


 幸福からの、絶望。


  ◇◇◇


「夢の中で幸福な光景を見せられて、それを壊される……そうして心を破壊され廃人になったあなたは、私の素敵な玩具になるわ。さぁ、落ちて」


 彼女の手が、俺の頬に触れようとした。


「――生憎だけど、最近よく眠れていなくてね? 夢なんて見れないんだよ」

「――!」


 煙管の女は驚愕し、咄嗟に距離をとる。

 俺と視線を合わせ、汗った表情で呟く。


「嘘でしょ? 自力で解いたの?」

「ああ、胸糞悪い体験をどうもありがとう。おかげでとても……気分がいいよ」


天芯倶舎テンジンクシャ】、十の奥義の一つ。


「【十纏ジッテン】――けん! あらゆる術式を強制解除する。対象に触れていないと発動しないが、自身にかけられた効果なら自力で突破できるんだよ」

「そんな術式……そう、あなたが噂の大賢者ね」

「俺はまだ未熟だよ。だが、未熟な俺でも、お前の幻術を破ることは他愛なかったな」

「――ふふっ、あなたはそうね。でも、他はどうかしら?」


 震えが伝わる。

 握っている手から、彼女から。

 そう、幻術にかかったのは俺一人じゃない。

 香りを嗅ぐことが発動条件だとしたら、一緒にいた彼女も。


「い、いや……いやあああああああああああああああ!」

「ロール姫!」

「嫌嫌嫌! お母さん! お母さんが!」

「ふふっ、どうやらそっちの子にはちゃんと効いたみたいね」


 ロール姫には幻術の対処方がない。

 わかっていたはずなのに。

 一緒にいるべきではなかった。

 彼女も同じように、幸福からの絶望を見せられてしまった。


「落ち着け! 全て幻だ!」

「だってお母さんが! お母さんがいなくなる! ボクを置いてまた……一人に……!」


 俺が知らない彼女の中のタブーに、呪具の幻術は触れたのだろう。

 こんなにも錯乱している彼女は初めて見る。

 普段の落ち着きも、余裕もない。


「大丈夫! 俺はいる! 一人じゃない!」

「アンセル……でも、お母さんが! お母さんを助けて!」

「――っ、すまない」

「っ……」


 このままじゃ取り乱し、余計に心を壊される。

 そう思った俺は彼女の額に指をかざし、彼女の意識を鎮める。

 

「今は眠ってくれ。あとで話ならいくらでも聞く」

「酷い男ね。傷心の女性を眠らせて、何をするつもりかしら?」

「お前を懲らしめるために眠ってもらっただけだ」


 こいつ、彼女が女性だと気付いていたのか。


「でもいいの? 他のも一緒にいたでしょう? あの子たちも同じ目に合っているかもしれないわ」

「――甘い奴だな」

「え?」

「うちの弟子たちは、甘い夢に惑わされたりはしないよ」


 確信を持つ。

 直後、煙の中から三人が飛び出し、俺の元へ駆けつける。


「先生!」

「遅くなったわ!」

「大丈夫? 王子様も無事かな?」

「――! まさか、幻術にかかっていたはずなのに」


 煙管の女は焦る。

 冷や汗が流れ落ちる彼女に、俺は得意げに語る。


「俺たちは日々、煩悩を制御する修行を積んでいる。だからよく知っているんだ。この世は不条理に満ちていることに」


 【十纏ジッテン】には至っていない彼女たちも、それぞれ幻術への対抗策は持っている。

 一人では厳しくとも、三人一緒なら十分に対処できると思った。

 さっきの夢は、匂いを嗅がせないと発動できない。


「これで終わりだな」

「そうかしら? ここは私のテリトリーよ! この空間にいる限り、あなたは私を捕まえられないわ!」

「先生!」

「あいつ逃げる気よ!」


 煙管の女が煙に紛れようとする。

 しかし逃がす気はない。

 俺に胸糞悪い夢を見せた償いをしてもらわないとな。

 

 この空間は呪具によって生成された幻だ。

 漂う煙が街を構築している。

 ならば単純。

 この煙を全て吹き飛ばし、街をこちらから破壊すればいい。


「【十纏ジッテン】――掉挙じょうこ


 俺は右手で地面に触れる。

 俺の足元を中心に振動が伝わり、大地震が起こる。

 振動は地面から空気にも拡散。

 街全体が揺れ、そのまま煙も吹き飛ばし、現れたのは何もない草原だった。

 そこにポツリと、煙管の女性が立っている。


「そ、そんな……」

「見つけたぞ」

「くっ――!」


 逃げようと背を向ける女の眼前に、俺は先回りする。

 そうして指を立て、彼女の額に当てた。

 振動が伝わり、脳が揺れる。

 一瞬にして意識は闇に沈むだろう。


「そん……な……」

「お前はいい加減、夢から覚めたほうがいいな」


 といいつつ、彼女はこれから夢を見るだろう。

 酷く現実的で、楽しみもない投獄生活、という夢をな。 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【あとがき】


色欲の章はこれにて完結となります!

次章をお楽しみに!


できれば評価も頂けると嬉しいです!!

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