色欲の章② 煙にまかれて
俺が目覚めた時、朝食の美味しそうな香りが漂ってきた。
いつもの時間に目を覚ます。
同じ部屋で眠っていた彼女は、俺よりも早起きをして朝食の支度をしてくれていた。
「今日は一段と早いな。リーナ」
「おはようございます! 先生のおかげです!」
「俺は何もしていないよ。ただ、お前が眠るまで見守っていただけだ」
本当に何もしていない。
途中までは同じベッドで横になっていたが、彼女が寝息を立てるのを確認して、隣のベッドに移動した。
誓って何もしていない。
目の前にたわわに実った果実があっても、俺は賢者だから煩悩を抑え込んでいる。
遅れてスピカとシアンが顔を出す。
「リーナ、もう準備始めてるの? 起こしてくれたらよかったのに。一人で任せて悪いわね」
「ううん、私がやりたかっただけだから」
「リーナが上機嫌だぁー。いいことあったね」
「うん! 先生が寝るまで一緒にいてくれから、すっごく身体が軽いの」
リーナは花が咲くように笑う。
心からの笑顔が眩しすぎて目に染みるようだ。
「ま、まぁ一日くらいなら許してあげるわよ。本当はダメなんだからね? 男女がい、一緒の部屋で寝るなんて!」
「いいな~ スピカもせんせーと一緒に寝たいー!」
「ダメに決まってるでしょ!」
「えぇ~ シアンだって羨ましいくせにぃ」
「べ、別に羨ましくなんかないわよ!」
顔を赤くして否定するシアン。
羨ましくて俺の腕に抱き着き、一緒に寝ようとおねだりするスピカを強引に引きはがす。
リーナはニコニコしながら料理を作っていた。
今日も朝から賑やかで、俺の煩悩を無自覚に刺激してくる。
勘弁してくれ。
案の定、昨日もあまり眠れていないんだから。
それにこのまま騒いでいると、面倒な奴が加わるから。
「昨日はお楽しみでしたね」
「――言っておくけど、お前が想像しているようなことは一切ないからな?」
「そう? 残念だったね」
「何がだ? 師匠として弟子の悩みを聞いただけだ。それ以上の意味はないし、その役目はしっかり果たしたぞ」
振り返ると意地悪な顔をするロール姫がいた。
彼女の願い通り、昨夜はリーナのお願いを全て聞いてあげたんだ。
これで十分だろう。
「リーナ、元気になったね」
「そうだな」
「これも師匠パワー? それとも……特別なおまじないでもしたかな?」
「何もしてないよ。期待外れで悪かったな」
「そうでもないよ?」
ロール姫は三人から見えないように、俺の背中んに隠れる。
何をするかと思ったら、ピトっと背中に身体を寄せ、俺にしか聞こえない声で囁く。
「先を越されちゃうのは嫌だからね? 一番はボクが貰うよ」
「――! なんの一番だ。何もやらないぞ」
「わかってる癖に。素直じゃないね」
「……」
「ふふっ、昨日は一人で寂しかったから、今晩からはちゃんとボクの相手をよろしく頼むよ」
「……はぁ」
悔しいな。
リーナと一晩一緒の部屋で過ごすより、ロール姫と一緒のほうが落ち着く。
なんて少しでも思ってしまう自分に、悔しさを感じる。
慣れというのは恐ろしいな。
「朝食ができましたよ!」
「ありがとう。食べたら次の目的地へ出発するぞ」
今日も賑やかに騒ぎながら、俺たちは朝食を済ませる。
宿屋を出発して、街の出口へと差しかかる。
当分……いいや、もう二度とこの街へは訪れることもないだろうと予感した。
だから念のため、最後の確認を彼女にする。
「心残りはあるは? リーナ」
「――ありません! 私がいたい居場所は、ここですから」
「そうか」
聞くまでもなかったな。
少しホッとして、俺たちは歩き出す。
次なる目的地へと。
◇◇◇
奇妙な噂がある。
一晩で街が消える。
街から人間が消えるのではない。
街そのものが消えてしまう。
痕跡は残らない。
まるで最初から何もなかったかのように、その街は忽然と姿を消してしまう。
「それが呪具の仕業だと?」
「ボクたちの調査では、その可能性が極めて高いということになっているよ」
俺たちは山岳地帯を歩いていた。
ちょうど聳え立つ山々を越えた先が、街が消えるという奇妙な噂の発生源である。
ロール姫の話によれば、騎士団が何度も調査を試みたが、そのような現象は確認されなかった。
しかし商人や旅人たちが、口をそろえて噂を囁く。
ここに昨日まで街があったのに、気が付いたらなかった。
この間はここの街で休憩したんだ。
でも、次に来たらなくなっていたよ。
まるで幻でも見ていたのかもしれない。
中には旅に出たきり帰らぬ人もいる。
商人は荷物を持ったまま消えて、調査してもどこにもいない。
噂では消えた人々は、街の消滅に呑みこまれてしまったのではないか、と言われている。
「実際、調査に出た騎士団の部隊がいくつか行方知れずとなっているよ」
「まるで神隠しね」
「悪いことしてないのに攫われちゃう~」
「呪具は街を一つ消すこともできてしまうんですか? 先生はどう思われますか?」
リーナの質問に俺は憶測を交えて答える。
「可能なんじゃないかな? そういう術式効果が付与されているなら……【強欲】と【怠惰】も、効果範囲が広く、かつ強力に維持されていた。同等の性能を持つ呪具ならあるいは……」
街を呑み込み支配して、一晩にして消し去ることも容易だろう。
しかし噂は奇妙だ。
なぜなら、消えたという街は、最初から存在しなかったものだから。
旅人や商人が口をそろえて言う。
消えた街は、地図には載っていない。
「幻術の類だろうね。おそらくは」
「幻術で街を一つ作り上げているということですか? そんな大規模に、しかも大勢の人を騙せるなんて……」
「かなり強力な術式効果だね。気を付けて進もう。もしも幻術が正体なら、俺たちもいつ惑わされるかわからない」
もっとも、俺は精神干渉系の魔術や、感覚を惑わす幻術に耐性がある。
耐性というのは語弊があるか。
俺は魂を知覚し、己の魔力を完全な支配下に置いている。
魔力知覚が乱されない限り、俺に幻術は通じない。
彼女たちも同様の訓練を積んでいるから、普通の魔術師よりずっと耐えられるはずだ。
そうなると、一番心配なのはロール姫だな。
「俺から離れないでくださいよ」
「もちろん。いざとなったら守ってくれないと困るよ」
なんだかこの性格だ。
幻術とか精神干渉も、彼女なら受けないんじゃないかと思ってしまう。
そんな話をしながら山々を超える。
山を越えた先は大森林が広がり、その奥には草原が見える。
俺たちは周囲を警戒しながら森を越えて、草原へと足を踏み入れた。
草原に入って早々に、シアンが周囲を見回して言う。
「霧が出てきたわね」
「そうだね。はぐれない様に互いの位置を確認して歩こう」
「はい!」
リーナが元気よく返事をする。
先へ進むと霧はさらに濃くなり、前が見えなくなるほどだった。
「ここまで濃い霧は、王都でも見たことがないかな」
「視界が悪い。みんな、はぐれないように注意してくれ。互いの身体、服でもいい、どこかに掴まっておくんだ」
「スピカ、シアン、手を繋いで歩こう!」
「そう」
「わーい!」
相変わらず三姉妹のようで仲がいい。
彼女たちの魔力を俺が見失うことはないから、一緒にまとまっていてくれると助かる。
これで見失うことはないだろう。
あとは……。
「ボクもはぐれたくないから」
「……だからって」
なんで恋人繋ぎ?
霧の中だから見えにくいし、三人は気づいていないと思うが……。
見られたら男同士、不自然だろう。
「もっと抱き着いたほうがよかったかな?」
「緊張感を持て。ここはもう、敵のテリトリーだぞ」
「――! この霧、もしかしてそうなの?」
「ああ」
俺はとっくに気づいている。
手を繋ぐニーナたちも、さすがにここまでの濃さになれば感じるはずだ。
特に、五感が鋭いスピカはより顕著に感じるだろう。
「せんせー! この霧、なんか嫌なにおいがするよぉ」
「当然だな。これはそもそも霧じゃない……煙だ」
匂いの正体は煙だ。
霧のように細かく漂っているから、視界が塞がる程度で済んでいる。
ここまで霧に近い煙は自然発生することはないだろう。
まず間違いなく、魔術によって生成されている。
気になるのは、今のところ特に害がないということだ。
攻撃ではなく、ただ煙を放出しているだけ?
何のために?
「師匠! あれを!」
「――! ……街」
煙の中を進んだ先に街が姿を現す。
規模はこれまでの街よりは大分小ぶりで、人の姿もない。
門はあれど門番はなく、中には一切人が見えない。
明らかに不自然、不気味だ。
「どうするの? 大賢者様」
「……このまま中に入るしかない。三人とも、覚悟はいいな?」
「はい!」
「大丈夫よ!」
「ほーい!」
あの時とは状況が異なる。
すでに煙の中に入ってしまった以上、彼女たちをここで放置するほうが危険だ。
魔力の痕跡からして、この街のどこかに呪具がある。
俺たちは慎重に、中へと一歩を踏み出す。
次の瞬間、俺たちは分断された。
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