強欲の章② 煩悩だらけの男

 俺の名前はアンセル。

 この地で代々伝わる魔術師の家系、といっても血のつながりはない。

 先代の師匠が孤児だった俺を広い育ててくれた。

 師匠も同じような境遇だったらしく、この道場を継ぐ人間は必ずしも血縁者ではない。

 必要なのは、魔術師としての才能があるか否か。

 どうやら俺には魔術師としての才能があったらしく、その才を見ぬかれ師匠の弟子となった。

 煩悩を捨てることで得られる境地。

 俺たちは大賢者の教えに習い、日夜修行に明け暮れていた。


 そして現在二十五歳。

 師匠は十五年前。

 つまりは俺が十歳の時に失踪した。

 依頼、俺がこの道場の家主であり、大賢者の術式を受け継ぐ当主となった。

 

 煩悩を捨て、心を制御し、魂を知覚する。

 それこそが救世の英雄、大賢者と呼ばれた初代から脈々と受け継がれし教え。

 魔術の深淵に至るために必要な初歩の一つ。

 

 人間には煩悩が一〇八個あると言われている。

 一〇八の煩悩と向き合い、乗り越えることで、魔術師として更なる高みへと踏み出す。

 煩悩を克服する修行はとても険しい。

 生きるために必要な欲求でさえ、魔術師にとって心を乱し、魔力の制御を惑わす麻薬なのだから。


「煩悩と向き合い、心を制御すること。それこそが先代の教え。これを完遂することで初めて、【天芯倶舎テンジンクシャ】の道は開かれる」

「「「はい!」」」


 俺は日々、三人の弟子たちと共に修行を積んでいる。

 基礎的な魔力操作、魔術師なら誰もがやる訓練以外にも、煩悩と向き合う訓練を行う。

 肉体には魂が宿り、魔量は魂からあふれ出る。

 魂を知覚し、制御することができれば、人は魔力を手足のようにコントロールすることが可能となる。

 そのためにはまず……。


「煩悩を取り払い、魂を知覚しなくてはならない」

「それが一番……難しいんです」

「口に出さない! それも煩悩の一つよ」

「……眠くなるよぉ」


 教えの基礎だが、この基礎こそが最も重要で、最も難しいことだ。

 人は生きていく上で様々なことを考え、いろいろなものを見て、出会うだろう。

 そこには感情が付きまとう。

 あれがほしい、これがほしい、今のままじゃ足りない……もっと、と。

 生きている限り、欲望は尽きない。

 湯水のように湧き出る欲望を常に制御する鋼の理性。

 それを身に着けるまでに、俺たちは何年も修行を積んでいる。


「魂を見るんだ。視覚ではない……全身で。そうすれば……」


 俺は弟子たちに道を示すように、わかりやすく魔力を操る。

 体外にあふれ出た魔力を自在に操り、空に絵を描くように動かす。

 本来、魔力は視認できない。

 しかし高密度の魔力は視界に移り、さらに密度を上げ、出力を向上させれば実体すら生まれる。

 魂を知覚し、自在に操る領域に至れば、魔力操作だけで日常生活が遅れるだろう。

 こんな風に。


「凄いです。さすが先生!」

「……私だっていつか、師匠みたいにやってみせるわよ!」

「せんせー格好いいー!」

「……」


 抱き着こうとするスピカを、シアンが首根っこを掴んで止めた。


「隙を見て抱き着こうとするんじゃないわよ」

「うえ、シアンだって抱き着きたい癖に」

「そ、そんなことないわよ!」

「二人とも集中が乱れてるよ? ちゃんとやらなきゃ!」

「……」


 賑やかな三人。

 揺れる乳房、露出された肌、今にも届きそうな手。

 無自覚な誘惑……。


 煩悩、煩悩、全て煩悩だ。

 彼女たちの存在が、いつだって魔術師としての俺を試している。

 今だって気を抜けば、すぐにでもあの胸に触れたいし、抱き着かれたら返したい。

 ほとんど裸みたいな服なら、いっそ裸のほうがよくないか?

 とか、考えてしまいそうになる。


 耐えろ俺!

 今日を耐えれば明日が来るぞ!

 

「――!」

「どうかされました? 先生?」

「……誰かが近づいている」

「え!?」


 リーナが驚いて目を大きくする。

 無理もない。

 こんな山奥に人が来ること自体が珍しい。

 金品は何もないし、人里離れた山奥には用心しなくても泥棒すら入らない。

 俺はも少し驚いていた。

 目を瞑り、魔力で探る。


「一人……体格的に女性? 君たちと同じくらいの子かな?」

「敵でしょうか?」

「いや、敵意は一切感じない」


 そもそも盗賊か何かなら、たった一人でこんな場所には来ない。

 周辺には集落もなく、特に観光地でもない。

 ここへ訪れる目的があるとすれば……。


「失礼します! ここに大賢者様はいらっしゃいませんか!」


 道場の扉が開いた。

 そこに立っていたのは、高貴な雰囲気を漂わせる美少年……?

 銀色の髪が風で靡く。

 透き通るようなエメラルドの瞳が幻想的で、思わず魅入る。


「――! あなたが、当代の大賢者様ですね!」


 その人は俺を見て、安心したような表情を見せる。

 やはり俺に会いに来た人だろう。

 しかも格好からして、それなりの身分の人間。

 だとすれば、大方の用件は予測できる。

 ただしその前に一つだけ訂正しておこう。


「失礼ですが、俺はまだ大賢者には程遠い。修行中の身です」

「何を言う! そのように魔力を操る者など見たことがありません! あなたは間違いなく大賢者様だ!」


 ちょうど弟子たちに魔力を操る様子を見せていたから、そのまま魔力を出しっぱなしにしていた。

 見慣れない人間にとっては、さぞ幻想的に見えるだろう。

 しかしこれも初歩の応用でしかない。

 大賢者を名乗るには、俺はまだ未熟だ。


「大賢者様! どうかあなたのお力を貸してください!」

「――申し分かりませんが。王都の魔術師の集団に入ることならお断りしています」


 以前に何度か勧誘にきた。

 高い地位を用意するから、ぜひ王都に来てほしいと。

 もちろん断った。

 俺が求めているのは地位や権力ではない。

 魔術を極めることのみ。

 それは王都ではなく、この地で十分に成し遂げられる。

 そもそも王都なんて欲望の宝庫だ。

 絶対に耐えられない。


「そうではありません。大賢者様にお願いしたいのは、もっと王国の……いいえ、世界の未来に関わることです」

「ん? 世界の未来?」


 どうやらこれまでの来訪者とは、少し事情が違うようだ。

 非常に切迫した表情をしている。

 心に余裕がない人間の仕草も見てとれる。

 話を聞く程度ならいいだろう。

 その前に、大事なことを聞いておくとしよう。


「一つ確認します。あなたは誰ですか?」

「失礼しました。私の名前はロール・フォルトーゼ。フォルテ王国、第三王子です」

「――!」

「お、王子様!?」


 リーナが大きく反応する。

 スピカとシアンも、声に出さないだけで驚いていた。

 ただの貴族かと思っていたら、とんだ大物だ。


「わかりました。お話は聞きましょう」

「ありがとうございます!」


 適当にあしらわなくてよかった。

 さすがに俺も、王国を敵に回したくはないからな。

 ホッとしながら、俺たちは王子を部屋に案内する。


 別室に移り、テーブルを挟んで向かい合う。

 レーナがお茶を淹れ、王子に振舞う。


「ありがとうございます」

「お、お口にあえば」


 レーナも緊張している様子だ。

 無理もない。

 王子がこんな場所に訪れるなんて、誰も予想できない。

 いや、そもそも本当に王子か?


「美味しいですね」

「あ、ありがとうございます!」

「……ロール殿下、とお呼びすればよろしいですか?」

「お好きに呼んで頂いて構いません、大賢者様」

「……その大賢者と呼ぶのは止めてください。俺はまだその域に達していませんから」

「では、なんとお呼びすれば?」

「アンセルで構いません。それが俺の名前です」 


 俺もレーナが淹れてくれたお茶を飲む。

 これを飲むと落ち着くし、身体が温かくなる。

 今日もいい味だ。

 

「アンセル様、お話を聞いて頂けること、感謝いたします」

「まだ聞くだけです。受けるかは内容次第ですよ?」

「構いません。どうかお聞きください」


 ロール殿下は語り始める。

 今から二か月ほど前の出来事を。


  ◆◆◆


 王国には代々、いくつもの宝が受け継がれ、保管されている。

 かつて大賢者を含む英雄たちが挑んだ破壊の化身。

 それを封じたとされる伝説の聖剣や、そのはるか昔から伝わる秘宝まで。


 その中で唯一、保管されているのではなく、封印されていた物が存在した。

 名を、【大罪法典】。

 大賢者たちが生きた時代に生まれた一人の魔導具師によって生み出された……この世で最もおぞましき魔導具が七つ。

 魔導具の領域を超え、意思すら宿った言わば呪具。

 人間が触れれば欲が増幅され、欲に溺れ、その呪具に乗っ取られる。

 その昔、破壊の化身と共に恐れられ、大賢者たちを苦しめた曰くつきの呪具が、何者かによって盗まれてしまった。

 

 七本同時に、まったく同じタイミングで。

 まるで呪具の意思に従い、相応しい使い手たちが集まったように。


  ◆◆◆


「呪具の行方を王国で調査しました。ですが……」

「見つからなかったと?」

「いえ、所在を掴み、回収に向かいました。その結果……誰一人として無事には帰りませんでした」

「――! 返り討ちにあったのですね」


 ロール王子は小さく頷く。

 相手は一人、仮に共に行動していたとしても最大七人。

 王国側も万全を期すために準備し、魔術師を含む一万五千人を動員。

 しかし、全ての作戦は失敗に終わった。

 呪具を回収するどころか、無駄な血を多く流させた。


「このままでは被害はより広がります。ですがただの魔術師ではあれにか勝てません。【大罪法典】は欲の化身です。欲のある人間では太刀打ちできない」

「……なるほど、だから俺ですか?」

「はい! 無欲を極めた大賢者の力を受け継ぎし者! 当代の賢者様……アンセル様なら、七つの呪具に打ち勝ち、回収できると考えました。ですからどうか、お力を貸してください」

「……」


 俺は少し考える。

 事情はわかったし、切羽詰まっている理由も把握した。

 俺に白羽の矢が立ったのもわかる。

 ただ……。


「すみませんが、協力はできません」

「――! なぜですか?」

「それは王国の問題でしょう? 俺たち一族の目的は、魔術を極めることのみ。それと無関係なことには協力できません」

「……無関係? それは違います」


 ロール殿下の表情が変わる。

 少しだけ強気に、ニヤリと笑みを浮かべている。


「今、あなたは聞きましたね? これは国家機密に相当する内容です。知ればもう、無関係な他人ではありません」

「――! 初耳ですね」

「はい。お伝えしておりませんでしたから。ですがもう、聞いてしまった事実は変わりません」

「……」


 この王子……見た目によらず太々しいじゃないか。

 国家機密をであることを隠し、後でその事実を伝える。

 最初から断られることを見越していたな?

 断れないように、俺の逃げ道を塞ぐための作戦か。


「それは脅しですか?」

「そう思って頂いて結構です」

「……」

「もちろん、王国から相応の報酬は支払われます。人生を三度繰り返して、遊び続けても余るほどの大金です」

 

 え、そんなにくれるの?

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