怠惰の章② 魔性の女

「ただ、欲を失っていないとなると、少し不安があるわね」

「安心しろ。お前が女の子だからって変な気は起こさない」

「さっき起こそうとしていたわよね」

「……気のせいだ」


 断じて俺は負けていない。

 誘惑などには決して屈しないぞ!

 曲がりなりにも賢者の後継者として、この旅の間だけは死守しなければならない。


「呪具は欲望に反応するわ。あなたが無欲の賢者なら、何の問題もなく触れることができると思ったけど」

「これのことか?」 

 

 【大罪法典】。

 七つの大罪を冠する特殊な魔導具であり、意思が宿った呪具でもある。

 使用者の欲望に反応し、増幅し、自我すら乗っ取り支配する。

 そのうちの一つ、【強欲】の鞭は回収し、この手にある。

 ロール姫は俺のことをじっと見つめる。


「触れても平気みたいね」

「当たり前だ」

「そう? その呪具を使えば、どんな相手も思いのままに操れるのよ?」

「どんな相手も……」


 あの男もリーナたちを自在に操っていた。

 胸を揉まれて抵抗せず、操られていた間の記憶すら残っていない。

 つまり、この力を行使すれば、相手に悟らせることなく、好き勝手な命令ができるということで……。

 そう考えると、素敵な道具に思えてきた。

 ちょっとくらい試しに使ってもいいのでへないか。

 そう、例えば今目の前にいるロール姫を、鞭で叩いて言いなりにしてみたり……。


「今、私を言いなりにしようとか思ったわね」

「――お、思ってないぞ」

「わかりやすいわね」


 彼女は俺を見てクスッと微笑む。

 心を見透かされたようで恥ずかしく、煩悩に負けかけた自分に情けなさを感じる。

 危うく鞭を振るうところだった、かもしれない。


「耐えられているのはさすがね。普通なら手にした時点て欲望が暴走して、制御できなくなるのよ」

「恐ろしいな」


 実際少しでも気が緩めば、俺でも欲望を発散しかねない。

 それほどの魔力……否、強い意思が宿っている。

 確かにこれは魔導具というより、使用者を縛る呪いの道具だ。


「やっぱりあなたを選んで正解だったわね。普通の人間なら回収しても新しい犠牲者を増やすだけだもの」

「これと同等の呪具を残り六つか……」


 無自覚と意識的な誘惑の他に、呪具の効果にも耐えないといけないのか。

 出発して早々、前途多難な旅路だ。

 俺は小さくため息をこぼす。

 面倒だと思う心も煩悩の一つ。

 やると決めたなら迷わず突き進むのみ。

 そう自分に言い聞かせる。


「当てはあるんだな?」

「もちろんよ。誰が持っているかも大方は知っているわ」

「すでに回収は失敗しているんだよな」

「ええ」


 この鞭の能力。

 打ち付けた相手は無機物だろうと支配されてしまう。

 通常、魔導具は使用者の魔力を消費して効果を発揮するから、魔力が尽きればただのガラクタになる。

 しかしこの呪具は違う。

 魔導具の一種でありながら、呪具自体が魔力を生み出している。

 使用者と呪具の魔力を合わせ、次々に傀儡を増やしていく。

 そんな相手に苦戦するのは目に見えている。

 優れた魔術師でも、俺と同等以上の魔力感知に至っていなければ、鞭と繋がった魔力の糸は見えないし、近くしなければ斬ることもできないからな。


「これから向かうのはリッシェルという街よ。聞いたことないかしら?」

「ずっと道場にいたから知らないぞ」

「あら残念。とても綺麗な街で観光地になっているわ。規模も、王都とそん色ない大きさよ」

「ってことは人が多いのか」


 人混みは好きじゃない。

 山奥での生活になれていたこともそうだが、人が多いということは、それだけで誘惑も多いということになる。

 ただでさえ周囲に煩悩を生む要因があるのに、これ以上増やしたくなかった。

 余計な心配も増えるし、なるべく他人との接触は避けないところだが……。

 

「安心して。賑わっていたのは最近までよ。今は……」

「何かあったのか?」

「大罪法典の一つ、【怠惰】の呪具を持ち去った男が街を占領しているのよ」

「占領? たった一人で?」

「ええ」


 街の規模は王都と比べられるほど。

 王都のことは知らないが、この国で最大の都だということは知っているし、なんとなく想像できる。

 相当な広さに、多くの人々が暮らしていたはずだ。

 そんな場所をたった一人で占拠しているとは、中々の手練れか。

 いや、呪具の効果がそれだけ強力なのか。

 【強欲】の鞭のような、他者を支配する能力ならば街の占拠も可能だろう。


「能力は?」

「わからないわ」

「わからないって、王国が管理していたんだろ?」

「誰も触れられない。危険というだけがわかっていた魔導具よ。その実態、効果までは記述にも残されていなかった。そもそも一説によれば、持ち主によって効果が変わるとも言われているの」

「それは……規格外だな」


 持ち主によって効果が変わる魔導具?

 そんなもの聞いたことがない。

 魔導具とは、特定の術式を武器や道具に付与したものだ。

 付与できる術式は基本的に一つのみ。

 一度付与された術式は消えず、変更もできない。

 大罪法典の呪具は、魔導具のルールからも逸脱している。


「一体どうやってそんなものを作ったんだろうな」

「さぁ、王国でも最大の謎とされているわ」


 興味も煩悩の一つだ。

 しかし、これは気になってしまう。

 煩悩を斬り捨て、己の力へと変換する俺たち一族の術式と、煩悩そのものに支配されて強化された呪具。

 その在り方は真逆と言っていい。

 煩悩に支配されるか、支配するかの違いだが……果たして、どちらが魔術師にとって正解なのか。

 この旅で呪具を集めれば、その答えもわかるかもしれない。


「いっぱい話をしたら疲れたわ。私はもう寝るわね」

「ああ、おやす――おい」

「何かしら?」

「なんでそこなんだ?」


 ロール姫は俺の隣にピタリとくっついて、肩に寄りかかっている。


「リーナたちのほうへ行ってくれ」

「ダメよ。あの子たちは私のことを王子だと思っているんだから。男が近くにいたら不安でしょ? 男同士で近くにいたほうが自然だわ」

「この距離感は不自然だろ」

「いいじゃない。ここが落ち着くのよ」


 俺はまったく落ち着かない。

 リーナたちは王子だと思っているが、俺は普通に彼女を女の子として認識している。

 女の子に寄りかかられて眠るとか、初めての経験なんだが?

 

「おい。いいから離れ――」

「スゥー……」

「もう寝てる」


 数秒前には会話していたのに。

 狸寝入り?

 いや、寝息の感じが本当っぽいな。


「安心しきった顔しやがって」


 王都から俺がいた道場まで、どれほどの距離だろう。

 彼女は敵に襲われ、追われながらたった一人で俺の元までたどり着いた。

 見せなかっただけで、ずっと気を張っていたんだろう。

 

「安心する……か。ふっ」


 悪くはない気分だ。

 弟子以外の誰かに頼られるというのも。


「偶にはいいか。こういうのも」

「そう? じゃあこれからもよろしくね?」

「――! お前……」


 やっぱりこいつ、魔性の女だ。


  ◇◇◇


 道場を出発して約十日後の午後。

 俺たちは第一の目的地、リッシェルの街にたどり着いた。

 王都に並ぶ大きな街。

 観光名所としても知られている綺麗な街並みが魅力的で、幻想的な雰囲気を漂わせる。

 今は余計に、異質な空気が漂っていた。 


「ここがリッシェルか」

「ええ」


 街は大堀で覆われていて、入り口は北と南の二か所のみ。

 大きな門を潜って中に入るのだが、門は半分開いていて、門番らしき者もいない。

 あまりに不用心だ。

 外の街というのはこういうものなのだろうか?

 ロール姫に質問すると、彼女は首を横に振って応える。


「本来なら、街を王国の騎士が警備しているわ」

「騎士の姿は見当たりませんよ?」


 リーナがおでこに手を当て、遠くを見渡す。

 俺たちは北門の前に訪れていたが、騎士の姿はなく、半開きになっているドアの先が見えている。

 シアンがドアの先を見ながら言う。


「中に人も見えないわね」

「でも人の匂いはたくさんするよぉ~」


 スピカがクンクンと鼻を動かす。

 獣人である彼女は人間よりも五感が鋭く、嗅覚が発達している。

 離れた距離でも人間の痕跡を辿ることができ、彼女の感覚は中に人がいることを教えてくれた。

 俺も目を凝らし、魔力の痕跡を辿る。


「……確かにいるな」


 姿が見えないだけで、かなりの数の人間が中にいる。

 しかし弱っている?

 感じられる魔力が弱々しく、流れも不自然だ。

 人は動いていないのに、魔力だけが流れ出て、どこかへ集まっているような……。

 

「そういうことか」

「先生?」

「師匠は何か気づいたのね」

「さすがせんせー」

 

 スピカが無自覚に身体を摺り寄せてくる。

 集中力がそがれるから離れてほしいが、幸福感もあって抗い難い。

 しかし今は弟子の前。

 完璧な師匠を演じてみせよう。


「お前たちはここに残れ。ここから先は俺一人で行く」

「え、どうしていですか? 先生!」

「理由がわからないことが理由だよ。ここに踏み込めばどうなるか、三人ともわかるかい?」


 俺が尋ねると、三人は考え込み、答えは出なかった。

 リーナがしょんぼりして言う。

 

「わかりません……」

「魔力知覚を鍛えないといけないね。この街全体が、呪具の魔力に覆われているんだよ」

「街全体!? そんな広く?」

「そうだよ。お前たちが気づけなかったのも、魔力がこの地と同化しているからだ」


 驚くシアンにそう説明し、俺は荷物を地面に置く。

 ここから先は、呪具使いのテリトリー。

 何が起こるか俺にもわからない。

 魔力知覚が未熟な三人を連れて行けば、確実に敵の術中にはまるだろう。


「もし一時間以内に戻らなかったら、三人とも道場へ戻るんだ。いいね?」

「はい」

「気を付けて、師匠」

「ちゃんと帰ってきてね?」

「もちろんそのつもりだよ」


 心配してくれる三人の頭を一人ずつ撫でる。

 彼女たちが自立するまではしっかり育てると決めている。

 それが師匠として、彼女たちの人生を預かる身として当然のことだから。

 俺は彼女たちに背を向け、歩き出す。

 呪具……欲望が支配する街へ。

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