憤怒 / シアンの章② 限りある命の中で
生まれた場所、身分、性別。
それ以外にも区別する枠組みが存在している。
種族だ。
この世界で生まれる知性を持つ生命は、人間だけではなかった。
エルフとしてこの世に生を受けた日から、人間は醜く恐ろしい存在だと教えられた。
森の奥深く、誰も寄り付かないような小さな村で育った私には、人間の本性を知る術がない。
教えられた通り、人間は醜い存在なのだろうか。
幼い私は興味があった。
けれど、こんな興味……抱かなければよかったと後悔する。
ある日、人間の人間の狩人たちが森に迷い込んだ。
大人たちは恐怖し、人間に怒り、追い払らおうとした。
森の中は複雑で、道を知らなければ永遠に彷徨い続ける。
大人たちは口をそろえて、迷って飢えて死んでしまえばいいと、恐ろしいことを口にしていた。
けれど子供だった私たちは、人間の恐ろしさを知らない。
困っているのがわかったから、親切心で帰り道をこっそり教えた。
人間は子供の私たちにお礼を言うと、また来るね、と言い残して去っていった。
そして数日後、確かに彼らはやってきた。
武具を身に着け、何千という大軍勢を率いて。
戦争でない。
一方的な蹂躙だった。
後から、最初に迷っていた彼らの目的が、私たちエルフの村を見つけることだった知った時、すでに村は燃え尽きていた。
両親も、友人も皆、殺されてしまった。
私は両親が転移の術式を発動させて、ギリギリのところで逃がしてくれた。
燃え盛る炎の中で、最後に見たのは……両親が殺される瞬間だった。
転移先はランダムだった。
同じような森の中で、私はぽつりとしゃがみ込んだ。
しばらく放心状態でいた私は、ある噂を思い出す。
辺境の山奥に、大賢者の意思と知識を受け継ぐ一族がいる。
「大賢者なら……」
みんなを取り戻せるかもしれない。
そんな希望が私を突き動かし、私は噂を頼りに歩いた。
たどり着いたのは、私が暮らしていた森と似たような場所だった。
森の中にある建物に、彼は暮らしていた。
「おや、お客さんが来たみたいだ」
「あなたが大賢者様?」
彼は人間の男性だった。
私たちの村を襲い、両親を殺した男たちと同じ……人間。
けれど、不思議な雰囲気を感じた。
森で出会ったからかもしれないけど、少しだけエルフに似ていた。
そのせいか、ほんの少し安心した。
「俺は大賢者の後継だよ。まだまだ大賢者には遠い。大賢者を名乗れるのは、ずっと先のことだろうね」
難しいことはよくわからない。
そんなことどうでもよくて、私は願いを叫んだ。
「大賢者様! みんなを……死んでしまった仲間を取り戻したい! 私に魔術を教えてください!」
「――! それはできないよ」
「どうして? 私はみんなを……」
「魔術は万能じゃない。ましてや命を、すでに絶たれた生命は二度と戻らないんだ」
「――そんな……」
私は絶望した。
終わった命が再び輝くことはないのだと。
わかっていたことなのに、現実をつきつけられて、心が壊れてしまいそうだった。
私は無気力になり、しばらく記憶がない。
道場には彼の他にも、同い年くらいの女の子がいて、二人で私のお世話をしてくれていたらしい。
二人が優しくしてくれたおかげで、私は徐々に現実を受け入れ始める。
「何があったのかは聞かないよ。もしも帰る場所があるなら、元気になってから出て行くといい」
「……帰る場所なんて、もうない」
「そうか。じゃあ、ここを帰る場所にすればいいよ」
「ここを……?」
「ああ。俺も彼女も、ここが帰る場所なんだ。君が帰るべき場所が見つかるまで、ここが君の家の代わりだ」
嬉しかった。
彼の言葉が、優しさが染みわたって、私は両親の言葉を思い出す。
生きて。
幸せになって。
まるで止まっていた時間が動き出したかのように、私の瞳は涙で溢れた。
両親を失った喪失感と、それでも生きている自分。
いろんな感情が一気にあふれ出て、壊れてしまいそうで。
そんな私を、彼は支えてくれた。
同じ人間?
ううん、全然違う。
「ありが……とう……」
私は全てを失った。
でも、新しい繋がりが、私の心を暗闇から引きあげてくれた。
彼らと一緒なら、私は大丈夫。
一緒にいられるなら……この先も……。
ふと、怖くなる時がある。
命に永遠はない。
いつか必ず来る別れの瞬間に、私の心は……壊れずにいられるだろうかと。
◇◇◇
俺たちは次なる目的地を目指して移動を始めていた。
ロール姫の調子もいつも通りになり、鬱陶しいと思うくらいには、彼女も元気になった。
「鬱陶しいなんてひどいなぁ」
「……心を読むな」
「わかりやすよ? 案外君って顔に出るから」
「初めて言われたな」
弟子たちの前では気を付けているが、彼女は本当の俺を知っている。
自然と気が抜けてしまうのは悪いことだろうか。
「で、次の目的地はそろそろだろう?」
「そうだね。というより、目的の地域にはもう入っているよ」
俺たちは今、街から街へ移動するため整備された街道を歩いている。
この周辺で、呪具の使い手が確認された。
正確にはこの辺りのどこかを根城にして、毎晩暴れ回っているそうだ。
「はた迷惑だな。それも呪具の影響なのか?」
「おそらくね」
「【憤怒】だったか? 能力は?」
「恐ろしい力を発揮する……くらいしかわかっていないよ。作戦を担当した騎士たちは、全員帰らぬ人になっているからね」
すでに五度、回収ならぬ討伐作戦が実行された。
その凶暴性から魔物だと思って対処すべき相手と仮定し、相応の装備と作戦を持って挑んだそうだが、全員無慚な姿で発見されているそうだ。
要するに今回も、能力の詳細はわかっていない。
加えて使い手の情報も不足しており、この周辺で活動しているということ以外、いつどこに現れるかも不明だった。
「次の街に情報があるといいですね、先生」
「そうだね」
「歩き疲れたよぉ~」
「街に付いたら宿を探そうか」
街から街へ、ほとんど休みなく移動していた。
口に出したのはスピカだが、皆も疲れているはずだ。
特に最近、シアンの元気がない。
本人は普段通りに振舞っているつもりだが、時折どこか遠くを見つめている。
街に付いたら話を聞こう。
そう思って歩き、街にたどり着いたが……。
「なんだか騒がしいですね」
「この匂い……」
街の出入り口に人が集まっていた。
俺でもわかる。
鼻が曲がりそうな異臭。
これは見るまでもなく……人が死んでいる。
「また出たのか」
「恐ろしい。一体何の目的でこんなことを……」
「すみません、何があったのか教えて頂けませんか?」
俺は人混みで話している老人に話を伺った。
どうやら最近、街に殺人鬼が現れるそうだ。
殺人鬼の姿を見た者はいない。
見た者は全員、無残な死を遂げている。
「お前たちは見なくていい」
俺は一人、死体を確認しに向かう。
聞いた通り無慚だ。
顔面を砕かれ、手足も折られている。
殺すだけならここまで痛めつける必要はない。
この遺体からは……。
「明確な怒りを感じるね」
「……平気なのか? お前は」
「これでも長旅だったんだ。死体は何度か見たよ」
「そうか」
ロール姫の言う通り、この死体には怒りの痕がある。
悪意というより、敵意だろうか。
目的があって殺しているというより、殺しそのものが目的のような……。
「呪具の使い手か」
「……」
「どうした?」
「いや、伝えるべきかと思ってね」
「何か知ってるのか?」
「……まだ不確定だけど、【憤怒】の呪具の使い手は――」
◇◇◇
「エルフ!?」
一番に反応したのはシアンだった。
当然だろう。
彼女も同じ、エルフなのだから。
俺たちは宿を取り、同じ部屋に集まりロール姫から情報を聞いた。
「黙っていたことは謝るよ。不確定な情報だし、変に意識させないほうがいいと思ったんだ」
「……」
シアンの心を気遣ってくれていたのか。
それなら責められない。
もっとも、事実ならばいずれ彼女は対峙することになっただろう。
同胞に。
「といっても、この情報だけじゃ何もわからないけどね」
「次に奴が現れる場所がこの街ならいい。そうじゃないなら、待つしかないか」
「そうだね。我慢比べになりそうだ」
「……一つ、心当たりがあるわ」
長期戦の構えで行く話をしていた俺とロール姫に、シアンは提案をする。
その提案を聞いて、俺たちは知る。
この地の近くに、彼女の故郷があるということを。
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