蔵の中
暗闇の中で男は目覚めた。
闇に目が慣れるのを待ち、立ち上がって辺りを見渡す。無機質な金属製の床と壁に囲まれたその場所はとても広く、鉄製の頑丈な箱を並べた頑強な作りの棚がずらりと並べられている。
スーツの胸ポケットを見ると黒縁の眼鏡がささっていることに気がついた。掛けてみると、度が入っておらず、見え方は変わらなかった。
ふと、男の中に疑問が浮かぶ。――なぜ、ぼくはこれが伊達眼鏡とわからなかったのだろう? 自分の持ち物のはずなのに? いや、待て、そもそもぼくは誰なんだ?
呆然としていると、やや遠くから、なにやら複数の固い物がジャラジャラぶつかり合う音と、数人の男女の話し声が聞こえてきた。
不思議に思いつつも、そちらへ向かうとさらにおかしな光景が現れた。奇妙な男女が三人、麻雀に興じているのだ。平安装束をまとった貴族風の男に、長髪に丸眼鏡をかけ傍らにギターを置いた青年、スレンダーな体躯を黒い高級感のあるドレスで包み、キセルをふかす美女。
彼らはみな一様に若く見えはするのだが、そこそこの年齢を重ねているような貫禄も漂わせており、浮世離れしているようにも思えた。
「ホッホッホッ、新入りさん、ようやく目覚めましたな」
平安貴族が朗らかな笑みを浮かべ、男に声をかけた。
「あ、どうも……。ちょっとわからないことばかりで……、ここはどこなのでしょうか? というか、まず、ぼくは自分が誰かということもわからないようでして……」
「まずは落ち着いてよ。そんなに慌てちゃ、せっかくの色男が台無しだわ。ねえ、ジョン、そう思わない」
「そう言ってやるなって、ココ。自分が誰かもわからないなんて、そりゃ怖い。君も彼の気持ちを
キセルの美女がココで、ギターの青年はジョンか。平安貴族の名は? 尋ねる前に自ら名乗った。
「そうそう、ジョンの言う通り。どれ、このわし、
「えっと……、大丈夫そうです」
牌を握る。ルールはなんとなくとなくだが、わかるような気がする。
「まず、最初に言っておこう。我々は人ではない。このわしも、ココとジョンも。そして新入りさん、あなたも。これが大前提」
天神の発言に驚きはしたものの、言われてみれば、目の前の彼らは確かにこの世のものとは思えない。男の胸中に幽霊の二文字が浮かんだが、天神は見透かすように続けた。
「幽霊とは違う。ここがどこかを言っておりませんでしたな。ここは質屋『
落語には詳しくないと答えると、天神は『質屋蔵』という演目があると教えてくれた。質屋の蔵の中で幽霊が出るとの噂が立ったので、店の者がのぞいてみると、質草にこもった念がお化けとなり、夜な夜な騒いでいるというお噺。
「わしはその落語のサゲそのままの存在……、『
「わたしはブランドバッグよ」ココがひざ元に置いたバッグを掲げ、
「で、おれの正体はこいつ」ジョンがギターをつまびいてみせる。
ジョンの流麗なギターにつられ無意識のうちに指で拍子をとりながら、男は天神たちに問いかける。
「じゃあ、ぼくはいったい何の付喪神なのでしょうか?」
「わしもそれはわかりませんな。なに、夜はまだ長い。麻雀でも楽しみながらじっくり考えればよろしい」
「あなたのスーツに眼鏡、とてもエレガントね。わたしのお仲間かも」
「あんた、おれのギターに無意識に反応していたな。楽器やレコードって線はないか?」
それはなさそうだが、近いような気はする。そう、ぼくはファッションにも音楽にも深いつながりのある設定……、
設定、そうか! 思い出した!
「おっと、この局は流れてしまいましたな。新入りさん、流れるのも悪くないものですよ。質流れによって出会えるおもしろい縁もある」
後日、伊勢屋のショーウィンドウ前で女性が足をとめた。
眼前には質流れ品のリサちゃん人形。香川ルミエール。通称リサちゃんパパ。職業は指揮者で、妻はファッションデザイナー。初期限定モデル、三万円。
幼いころ、金に困った父親に勝手に売られてしまった大切なお人形だった。こんなところでまた巡り合えるなんて!
女性は慌てて店内に駆け込んだ。
《自作解説》
今、わたしが週刊少年ジャンプで楽しみにしている漫画のひとつに、落語を題材にした『あかね噺』があるのですが、落語って聞くだけでも楽しいものですが、調べれば調べるほどに、物語としての構成の練度の高さと、テーマの奥の深さに唸らされます。
『阿刀田高のTO-BE小説工房』第31回のお題は「質屋」ということでしたので、落語の『質屋蔵』をヒントに、質屋に集ったいろんな品物の付喪神がわちゃわちゃ騒ぐ話を書いてみました。
ココ・シャネルとジョン・レノンと菅原道真とリカちゃんパパが麻雀卓を囲むというシチュエーションを書いた作品は中々ないと自負しております。
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