囮鮎(※軽度の暴力描写あり)
換金を終えて、交換所を出たところで、黒いコートの男に肩をつかまれた。声がでそうになるが、背中に硬い物があたる感触。おしゃべりな探偵を黙らせたいなら、拳銃は直接手で口をふさぐよりも役に立つ。俺は軽く両手を上げた。
男は無言のまま、パチンコ屋の屋内駐車場へと俺を誘導した。黒のワゴンに乗せられる。
運転席には金髪の若者が神妙なおももちで座っていた。黒コートがおもむろに俺を殴った。右に一発、左に一発。俺が殴打されるたび、金髪はかすかに身を震わせた。初々しい奴だ。
黒コートは俺の両手両足を縛り上げ猿ぐつわをかますと、金髪に車を出すように指示した。
車道に出るとパチンコ屋のビジョンが目に飛び込んできた。
警察署からのお知らせです。みんなが安心して暮らせる街づくりにご協力ください――
善良な市民の多くが、街の片隅を走るワゴン車の内部で繰り広げられる残酷な現実に気を止めることなく、平穏に暮らしているのだろう。
ふと
浦部から着信があったのは、昨晩のことだった。電話に出るなり、こんなことを聞かれた。
「鮎を釣ったことはあるか?」
食ったことすらねえよ、と俺。
「じゃあ食わせてやる」
名前だけならしがない探偵の俺でも知っている高級料亭に呼び出された。
案内された和室で、高級ブランドスーツの伊達男がちびちび日本酒を啜っていた。
五十を少し過ぎたばかりのはずだが、浅黒く彫りの深い顔立ちと犯罪を糧として生きる人間特有の眼光の鋭さが、年齢を読み難くしている。
「まあ、呑めよ」
升を渡された。グイと呑む。
料理にも箸をつける。うるか、鮎刺し、甘露煮。これが鮎か。美味いものだ。
これで酒席を共にするのが美女なら言うことなしなのだが。世間話を交えつつ、俺が今手がけている仕事に探りをいれられる。うっとうしい。
しばらくすると、塩焼きが運ばれてきた。七輪の上に串刺しにされた鮎が並ぶ。
「世界史の話をしよう」浦部が唐突に言った。
「ワラキア公ヴラド・ツェペシュを知っているか?」
知らんと答える。俺はあんたみたいにインテリじゃない。
「俺だって知らなかったさ。三日前もここで鮎を食ったんだよ。欧州からの客人とな。ドラキュラならどうだ?」
バカにするにもほどがある。
浦部は鮎の塩焼きをつかんで語る。
「ヴラドは領地を守るため侵略してくる者を串刺しにした。自国内で罪を犯した者も貴族であれ農民であれ、みな一様に串刺しの刑に処した。その冷徹かつ非情な行いがヨーロッパ全土に喧伝され、彼は吸血鬼へと祭り上げられたのさ」
確かに七輪の上で焼かれる鮎は串刺しに処された罪人のようだ。だが、それがどうした。
「その客人がな、日本人は残酷だとほざきやがったんだ。刺身は博愛精神が足りない。鮎を串に刺すなんてヴラドの所業だとよ。他国の文化批判すんのに、自分らの歴史を引き合いに出してんじゃねーよ」
浦部は笑った。そう思うよと、俺も愛想笑いを返した。
魚の餌になる直前で俺は救出され、男たちは逮捕された。
浦部警視から聞かされた話によると、俺は暴力団の縄張り争いに利用されていたらしい。依頼人にいっぱい食わされたというわけだ。
鮎は縄張り意識の強い魚だ。この習性を利用した日本古来の
鮎は獰猛な魚だろうか。俺はそうは思わない。人よりはマシだ。人は人を使って友釣りをする。共喰いだってする。平気で嘘をついて他人を利用する。俺を騙した依頼人や、事情を知りながら泳がせていた浦部みたいに。
街の片隅を、吸血鬼が
事情聴取を終えて、警察署を出ると冷たいビル風が吹き抜けていった。おしゃべりな探偵を黙らせたいなら、寒風は拳銃よりも役に立つ。
《自作解説》
ハードボイルドに挑戦したみた作品。『阿刀田高のTO-BE小説工房』第38回のお題は「おいしい鮎」。
正直、お題にかなり悩みました。鮎で検索してみて囮鮎という言葉にたどり着きクライムストーリーに落とし込んでみたのですが、今読み返すと「おいしい」要素はあまり活かせてないですね。とはいえ、本作の登場人物は気に入っておりますので、いずれ設定を膨らまして、別の話で活躍させてみたいです。
ところで余談ですが、「カクヨム」さんのセルフレイティングの基準って、だいたいどのくらいとか、明確にわかる参考資料ってあるのでしょうか。
本作は冒頭に少しだけ軽度の描写があるのですが、セルフレイティングで「暴力描写」をつけるほどの表現か迷ったので、念のためサブタイトル欄に注意書きを付けておきました。
だいたいの描写の基準がわかるカクヨム作家さん、もしおられましたら、よろしければご指導のほどお願いいたします。
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