夢猫

「京の夢大阪の夢なんてことわざがありますけど、あれはどうにもつかみどころのない言葉ですな。夢ちゅうもんは時間も空間も超越しとるから京でも大阪でも自在に飛んで行ける不思議なもんやと言いたいんか思ったら、京都もんと大阪もんの見る夢は違う、人の願望は様々やて意味を目にしたりもする。それこそ人の数ほど解釈ができますな。わてはいまだに意味がようわからん。白木しらきはんもそう思いまへんか?」


 白木進次郎しらきしんじろうは圧倒されていた。


 割烹『招福しょうふく』八代目主人を名乗る夢八ゆめはちの、のべつ幕なしの関西弁にではない。


 夢八という男、身の丈二メートルばかり、横幅も同じくらいにあるが、それが理由でもない。白木とてタヌキのような太鼓腹では良い勝負。いや、昨年はかなり体重を落としたはず。なぜ全盛期に戻っている? はてさて?


 夢八が面妖なのは全身を覆う艶やかな黒い毛に、頬より生えた雄々しきヒゲ。眼は爛々と金色に輝き、大きく裂けた口はニヤリと笑う。

 黒猫なのだ。

 昨秋、孫娘より修学旅行のお土産にと贈られた招き猫そっくりの巨漢が、割烹着をまとって話しかけてくる。実に異様だ。


 白木がいるのはカウンター五席のみの小料理屋。さらに言えば彼の夢の中。目の前に置かれた白味噌仕立ての京風鍋はぐつぐつ煮えて、立ち上る湯気が陽炎のように揺れている。昨日、年が改まるとともに齢八十八となったが、こんなにも現実感のある夢は初めて見る。


 一昨年より得た病は昨年になって進行し、本年で初日の出も見納めかと諦めの心境で迎えた正月だ。人生最後の初夢としてなら面白いかも知れぬと思えてきたら、気持ちに余裕が出てきた。すると腹が鳴る。箸に手がのび、鍋をつつく。タラをつまんで口へ運ぶと、これが実に美味い。熱燗を一口。こちらも絶妙。途端に緊張がほぐれ、舌も滑らかになる。


「江戸いろはかるたのことわざでしたね。最後を飾る『京』の札。正月のたびに遊んだものですが、意味にはさっぱり無頓着な子供でした。いや、お恥ずかしい」


 薄くなった白髪を掻きつつ照れ笑いを浮かべる白木の話を、夢八は時折右手で頬を撫でながら相槌を打って聞く。おしゃべりなだけでなく、聞き上手でもあるようだ。


「かるたでっか。大勢で遊ぶと楽しいですな」


 白木はネギ、白菜、鶏モモ肉と次々つまむ。どれを食べても口中に幸せが広がった。これほどに食欲がわくのはいつ以来だろう。


「大勢で遊んだことはありません。正月は家族四人で過ごしておりました。両親と私、そして兄……」


 兄の顔を思い浮かべると、胸に痛みを覚えた。


「お兄さんとの仲はよろしかったんですなあ」


「ええ。ただ、もうこの世には……。病弱な人でしたから」


 鍋にほんのり塩味が増した。この話はよそうと思ったが、意に反し舌は動く。


「兄は十四で旅立ちました。短い人生だったと思うでしょう。でも、兄は最期に、俺は長寿を全うしたから悲しむな、と笑ったんです」


「そらまた不思議なこと言うたもんですな」

 不思議の塊の黒猫が首を傾げる様子に、悲しいのか可笑しいのか、自分でもわからなくなる。ただ、鍋は塩味が増してもやはり美味い。酒もすすむ。


「俺はタヌキだと言うんです。こっちはわけがわからない。詳しく話を聞いてみると、なんでもタヌキになる夢を見たと」


「ほう」


「深手を負った母親タヌキが私たちの両親に赤子を託したと。それが自分だそうで、俺はタヌキが人に化けていただけだから、寿命が短いのは当たり前。むしろ十四も生きたら大往生だろう。だから進坊、悲しむな。お前は立派なタヌキ親父と呼ばれるくらい長生きしろよ。そう言って去りました」


 悲しくはある。それでもその時のことを思うと笑みも浮かぶ。夢八も愉快げだ。


「それで、そないに見事な太鼓腹こさえたんでっか、白木はん」


「ええ、言いつけをしっかり守りました。思い残すことはありません。夢八さん、私を彼岸へ招きに来たのでしょう。そろそろ連れて行ってはくれませんか」


 最後の一口を食べ終える。実に満足だ。


 ところが、夢八は目をまん丸に開いてキョトンとすると、続けて大笑い。右手を大きく左右に振る。


「勘違いしてもろたら困りますわ。招きに来たんと違います。わては魔除け厄除けの黒猫でんねん。白木はんのご家族の願いを叶えに、病よどっか行けーて、鍋こさえた次第。いわば病の払い猫ですわ。白木はん、まだしばらく現実うつつの夢は続くんでっせ」


 何とお礼を言えば良いのやら。しばし迷って、手を合わせた。料理の例ならお決まりの言葉があるじゃないか。


「ご馳走様でした」



《自作解説》


 『蔵の中』に続いて、落語テイストのお話を紹介させていただきます。


 執筆したのは、深夜ドラマの人気ジャンルとして飲食系・いわゆる飯テロドラマが根付いて、様々な企画が出てきた時期のように思います。


 料理と人情ものヒューマンドラマの相性が良いのは、料理のぬくもりが、人の暖かみを表現するのに適しているからでしょうか。


 本作もぬくもりと旨味が伝わるようにこだわって考えた小噺です。読後にご馳走様と言ってもらえる味わいになっていたら幸いです。


 『阿刀田高のTO-BE小説工房』の第34回応募作品。お題は「夢」でした。

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