風花坂の魔王
「面白味のない絵だ。つまらん」
長机に広げた鉛筆画を見るなり、先輩はバッサリ斬って捨てた。二カ月前に開催された駅伝大会の一場面を切り取ったスケッチ。強風吹きすさび風花が舞い散る過酷な状況に耐えながら、坂道を走るランナーの躍動と沿道で応援する観衆の感動がひしひしと伝わってくる。
鉛筆の濃淡のみで、巧みに競技の迫力を表現できる技量に私は素直に感心するが、自称天才にとっては落書きにも等しいらしい。
私の名は
葛飾北斎の再来とのたまう残念な部長がしきる美術部に入ってしまった薄幸の少女だ。さて、勘違い部長こと
「いえ、評価を聞きたいわけではありません。この絵には謎があるんです」
「それを早く言え、双葉くん。俺は謎解きが三度のメシより創作意欲の
妄言を無視し、私は事情をおおまかに説明する。
隣の風花坂高校に通う友人は、陸上部のマネージャーとして毎日がんばる明るい女の子。そんな彼女がエースの
風花坂高校陸上部は、高校生駅伝で毎年優勝候補に挙げられる強豪校だ。特にエースの活躍はめざましく、『風花坂の魔王』という二つ名をメディアがつけるほどである。誰かさんのように自称ではない。
「バカモノ。俺だって自称ではないぞ」
はいはい、先を続けます。
彼女は二日前、決意の末に思いを一通の手紙に託した。翌日、魔王先輩は彼女の靴箱に大きめの封筒を入れた。中から出てきたのが鉛筆画というわけだ。
「一枚の便箋と一本の消しゴム付き鉛筆も一緒に入っていました。これが便箋です」
「ふん、『先日の大会で満足のいかない結果に終わった僕に、暖かい言葉をかけてくれたこと、感謝しております。転倒程度で失速するとは僕もまだまだです。痛い敗退でした。県対抗学生選抜駅伝で二区を走れないのは悔しいですが、気持ちを切り替え、来期は転んでも変わらぬ実力を発揮できるよう、より練習に励みます。おつきあいに関しましては、スケッチを返事として、かえさせていただきます。同封の鉛筆で手を加えてくだされば、おわかりいただけるかと思います。』か。めんどくさい男だな」
お前が言うなと思ったけれど、私も同じ意見。イエスかノーかハッキリと伝えてくれれば、友人が悩むことも、私が先輩と不愉快な放課後をすごすこともなかったのだ。
私はもう一度、絵をよく観察する。
急勾配で有名な風花坂を選手が走っている。魔王くんに違いない。晴天だが雪が舞っている。沿道では応援する観衆の頭上で『
「やっぱり面白くない絵だ。謎があるというから期待して見直してみれば謎までつまらないじゃないか」
「先輩、もう解けたんですか?」
「おいおい、一目瞭然じゃないか。魔王くんがお尻大好きの変態だってことは」
変態はお前だろうと返したくなるけれど、ぐっとこらえて、解説を待つ。
「まず注目するのは、手紙の傍点で強調された部分。『痛い敗退』と『二区』だ。これは二区候補が敗退を報告しているとも読める。そして、『こけても変わらぬ』はひっくり返しても変わらないという意味だ。『痛い敗退』を逆から読んでみろ」
「イタイハイタイ……、まさか!」
「そう、逆さに呼んでも同じ。さらに二区を加えて回文になるよう言い換えてみるぞ。『二区候補痛い敗退報告に』だ。手紙に回文が仕込まれていたなら、絵にも回文が隠されていると考えるべきだろう。整理しよう。特徴的なのは舞い散る風花と傘。つまり『雪が舞う坂に傘』となる」
ユキガマウサカニカサ。ユキガマウサカニカサ。サカニカサウマガキユ。サカニカサウマガキユ。頭の中で呪文のように繰り返す。ああっ!
「これだけでは回文にはならない。さて、ここで横断幕に注目だ。宙に舞った傘に隠され、『駅』の左半分、つまり『馬』が消えている。ならば回文の最後を締めくくるのは『馬が消ゆ』だ。さあ、ここで鉛筆の出番。もっと頭を使えばお尻の使い方にも気づけたはずだよ、双葉くん」
ユキガマウサカニカサ ウマガキユ
私は先輩の嫌味に耐えながら、鉛筆をひっくり返し、絵に手を加えてみる。描き足すのではなく、消しゴムで掻き消す。『うま』をアルファベットにすると『UMA』となる。署名の該当箇所を消す。返事は『O.K』だ。
「……あ、アホくさい」
私の口から漏れたつぶやきを聞きつけ、先輩が満面の笑みを浮かべ、叫んだ。
「やっとその名で呼んでくれたか!」
《自作解説》
筆者は、ミステリー小説の解決編で、傍点で強調された一文が出てくると、それだけで気分が高揚してしまうミステリー読者です。
青春ミステリーが書きたくなり、傍点特盛の回文ミステリーに挑戦した本作は、月刊公募ガイド『阿刀田高のTO-BE小説工房』の第35回投稿作品。
この回のお題は「風花」でした。馴染みのないテーマで、上手く活かしきれたと言えず、悔やんでいます。
また、規定の文字数に収めるために、謎解き部分がかなり駆け足になっていたので、今回掲載にあたり、掌編小説の文字数に収まる範囲で大幅改稿いたしました。
本作に登場するふたりとアイデアは気に入ってるので、より長めの文字数でも、再挑戦してみたい作品です。
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