第4話

 結局、丸テーブルにナッシュも含めた三人で座り、食事を続けた。

 会話は主にフィオナが先導し、ナッシュに心地よく自慢話を話させている。商人としての教育によるものか、人を上手く乗せるのが非常に上手い娘だ。


 ナッシュは自慢話の合間に、チラチラとメルに視線を送ったり話しかけたりするので、メルはボロが出ないように言葉少なに答えるのみである。


「ナッシュ様は大変な苦労をされているのですね」

「そうですね、それなりに苦労はいたしました」


 フィオナの相づちにナッシュは大きく頷く。


「跡取りである兄がいたせいか、私は父や母に目をかけてもらえず、歯がゆい思いをしてきました。しかし、そんな両親や兄を見返してやろうと、粉骨砕身、少しでも多くの功績を打ち立てんと努力を続けてきました」


 いつの間にやら身の上に相当踏み込んだ話になっていた。


「では、この町にいらしたのも、何か功績を打ち立てるためなのですか?」

「はい。どうも妙な噂が流れているようでしてね。なんでもこの近くに工房を構えていた魔術師が病没し、その工房には秘蔵の霊薬が眠っているとか」

「「…………」」


 思わずフィオナとメルは顔を見合わせる。

 すでに情報があちこちに流れているらしい。


「裏でも高額の賞金が懸けられているようです。それを嗅ぎ付けて、幾つかの盗賊ギルドが既にこの宿場町に潜伏していると目されています」


(なるほどな)


 メルは胸の内で呟く。

 この宿酒場にやたらと柄の悪い客ばかりがいるのは、それぞれ別の盗賊ギルドの団員だろう。


 酒場には情報が集まる。

 全員が店内を監視し合い、互いに聞き耳を立てているのだろう。

 メルはさり気なく周囲を確認する。


(ざっと見ただけで五つの盗賊ギルドが出張って来てるな)


 正確には分からないがライバルが多い事は明白だ。


「そういった輩が集まっているのは好都合──盗賊を何人かしょっ引けば、それは功績になると考えたのです」

「なるほど。それは慧眼ですね」


 得意げに語るナッシュは、フィオナにおだてられて頭を掻く。


「……それでは、わたくしたちにかかずらっていてよろしいのですか?」


 おずおずとメルが口を開く。

 暗に自分たちに関わってないで、そこいらの連中を調べろと言っていた。

 メルの発言が聞こえていたのか、周囲の客数人が急にいそいそと席を立つ。


「どうやら霊薬はまだ誰も手にしていない様子なので、もうしばらく盗賊ギルドは逗留しているでしょう。それなら明日から調査を開始しても問題はありません。それよりも──」

「わっ!」 


 ズイッとナッシュがメルににじり寄り、思わずメルは上体を仰け反らす。


「今夜はあなたのような美しい人をお守りする方が大事です」

「そう……ですか……」

「あんな恐ろしい事があったと言うのに、私の事を気にかけて下さるなんて──メル嬢はお優しいのですね」


(やべぇ! ヤブ蛇つついた‼)


 熱に浮かされたようにこちらを見るナッシュの視線を、必死に躱すメル。


「よければお宿までお送りいたしましょうか」

「結構です。こちらの二階に宿を取っておりますので」


 きっぱりとメルが言うと、ナッシュは残念そうに唇を噛む。


(完全に送り狼じゃねーか)


 メルはげっそりした顔になる。

 言い寄られていると理解しながら、しかしそれを突き放さずに躱し続けるというのは、非常に疲れる。

 飲まないとやっていられない。給仕に向かって手を振る。


「すいません、麦酒エールのお代わりをお願いします」

「メル嬢は見かけによらず、酒精に強いのですね」

「ええ、わたくし以前からお酒には強くて、酔ったことがないんです」


 気を紛らわす為に、酒ばかり飲み続けていた。気付けば何杯ジョッキを空けたか分からないが、今だ酔う気配がない。ある意味で損な体質だ。


「──あれ?」


 とその時に、メルは違和感に気付いた。


「どうしたのですかメル嬢?」

「その……他のお客さんは何処へ行ったのでしょうか?」


 話し込んでいるうちに、いつの間にやら他の客がいなくなっている。さっき麦酒のお代わりを頼んだ給仕も、厨房に入ったきり出てこない。


(なんだろう──凄い嫌な予感がする)


 その予感は的中した。


「ぃよう、てめぇらか? うちの団員をボコった奴らは」


 荒々しく酒場の扉を開くと、ひと際強面の男が入ってきた。

 まるで熊の毛皮のようなごわごわとした黒い髪。顔に走る二筋の切り傷が厳めしい。背丈は高く二メートルに迫ろうかという大男だ。


 ごてごてと装飾を後付けしたコートを、前を開いて羽織っている。

 強面の男の後ろには、同じく人相の悪い男たちがぞろぞろと続く。

 口ぶりと風貌からして、この強面の男は盗賊ギルドの頭目だろう。後ろの取り巻きの中には、さきほどナッシュに追い払われた男たちもいた。


「後ろにいる男たちを叩きのめしたのは私だが」


 スッとナッシュが立ち上がる。

 強面の男はナッシュをジロリと目ね付ける。


「フンッ、こんな貴族のボンボンにやられたのか? 俺に恥をかかせやがって」

「ひっ」


 強面の男は背後の男たちを見やると、ナッシュにやられた男四人は、怯えて縮みあがる。


「私はボンボンなどではない! 誇り高きシュトラール家の男子、ナッシュだ」


 お坊ちゃま扱いされるのが我慢ならないのか、ナッシュは声を荒げる。


「いきなり押しかけて失礼な奴め、貴様名乗れ!」  

「俺か? 俺はダニアンってんだ」


(ダニアン? あいつ『赤蝮あかまむし』のダニアンか!)


 強面の男の告げたダニアンという名前を聞いて、メルは内心で驚く。メルの表情が伝わったのか、フィオナが袖を引っ張る。


「(あのダニアンという方、有名なのですか?)」

「(盗賊ギルド『赤蝮』の頭目だ。毒蛇みたいな狡猾さと残虐さを併せ持つ、ヤバい男だって俺も噂を聞いたことがある)」


 こんな大物が出てくるとは。

 どうやら霊薬の噂が出回っているのは本当らしい。


「うちの団員に手ぇ出したんだ、ただで済むとは思うなよ」

「はっ! それはこちらのセリフだ」


 ナッシュは剣の柄に手をかける。


「さっきは酔いの席での悪ふざけをいさめただけ──多勢に無勢となれば、こちらも手加減できん。来るなら容赦なく斬り伏せるぞ悪党ども」

「いいねぇ、これだけの数を前にして、それでも啖呵切るなんざ最高だ。誇り高い騎士様だなぁ、ホント最高だ」


 ナッシュの啖呵を受けてなお、飄々と応じるダニアン。

 ダニアンの目が怪しく光る。


「これからその誇り高い騎士様が、追い詰められて無様を晒すんだから──今から楽しみで仕方ねぇなぁ……!」

「やれるものならやってみろ!」


 ダッとナッシュが床を蹴った。

 剣を抜き放つなり、ダニアンへと斬りかかる。

 ダニアンも腰の短剣を抜き合わせ、ナッシュの一撃を受ける。


「中々鋭い一撃だが、卑怯卑劣が売りの盗賊に不意打ちは効かねぇぜ?」

「くっ」

「やれ!」


 ダニアンと鍔迫り合いをしていたナッシュの横合いから、子分たちが斬りかかる。流石にこれは防ぎ切れない。ナッシュは飛び退いて避けた。

 退いたナッシュに次々と盗賊たちが襲い掛かる。


「さぁやれ! 囲んで袋叩きにしろ‼」


 ダニアンの指示であっという間に囲まれるナッシュ。

 ナッシュは剣術もだいぶ腕が立つ。少なくとも一対一なら、子分の盗賊たちとやりあっても瞬殺できるだろう。


 だが、一度に何人も相手にするとなれば別だ。

 一人を倒している間に、三人に斬り付けられる。当然斬られないよう防御をしなくてはならないから、一人を倒すのにも一苦労だ。


 そうしてナッシュが盗賊たちを倒すのに手こずっている間に、ダニアンは動いた。


「動くな!」

「⁉ しまった‼」」


 ナッシュが固まる。

 見ればいつの間にかダニアンはメルの後ろに回り込み、その喉元寸前に剣を突き付けていたのである。


「そこまでだぜナッシュ坊ちゃん。剣を捨てな。でないとこのお嬢ちゃんがただじゃ済まないぜ?」


 イヒヒヒヒ──とダニアンは下卑た笑い声を上げ、ナッシュは歯噛みする。


「くっ! 卑怯者め──‼」

「おいおい言っただろう? 卑怯卑劣が俺たち盗賊の売りだってよぅ」


 前評判に偽りなしの狡猾な悪漢である。

 このダニアンという男の頭には、フェアとか騎士道精神とか、そういったものは一切ないのだろう。


「さぁ、どうした。さっさと剣を捨てろ」

「……!」 


 ナッシュは無言で顔を歪める。

 この状況でナッシュが剣を捨てれば、問答無用で袋叩きにあい、下手をすれば殺されるだろう。


「ほらほらどうした、さっさと剣を捨てろよ」


 勝ち誇った顔で笑うダニアン。


「たまんねぇぜ。てめぇみたいなスカした騎士様が、こうやって苦渋の決断を迫られる時の顔は、これ以上ない傑作だ──ん?」


 まくし立ててからダニアンはふとメルの横顔に目を向ける。


「んん? よく見りゃすげぇ別嬪べっぴんじゃねぇか。ちょっと殺すのが惜しくなってきたなぁ」


 ダニアンの品のない声が耳元で聞こえて、メルは総毛だつ。


(うえっ! 超気持ち悪い!)


 しかしそんなメルの反応を怯えていると捉えたのか。嗜虐心が疼いたのか、ダニアンはさらに興奮したようだった。


「良い反応するな別嬪さん。ついでに今ちょっと味見してやろうか」


 ダニアンの左手が、メルの身体を撫で回そうと伸びる。

 その手が触れようとする瞬間、メルの我慢も限界に達した。


「気持ち悪ぃんだよぉぉっ!」


 メルはダニアンの左手を掴むと、そのまま肩に担ぐようにしながら、ダニアンの懐に肉薄した。小柄な体を利用して下に潜り込むと、そのままダニアンを思いっきり前へと落とす。

 鮮やかな一本背負いが決まり、ダニアンは酒場の床に叩きつけられた。


「ぐえっ⁉」


 潰れたカエルような悲鳴を上げるダニアン。

 さらにメルが追い打ちでダニアンを蹴ると、まるでボールのように蹴り上げられて酒場の壁に叩きつけられる。

 ダニアンは泡を吹いて気を失っていた。


「くたばれこの変態ド悪党が!」

「「……」」


 そんなメルを見て、ナッシュも他の盗賊たちもポカンとして目を瞬かせている。


「てめぇらも失せろコノヤロー!!」


 メルがそばにあるテーブルを掴むと、何とそれを片手で頭上まで振りかぶり、そのまま取り囲んでいる盗賊たちに投げつける。

 恐ろしい怪力だ。

 メルの剛腕で投げつけられた重たい木製テーブルが、砲弾となって盗賊たちをなぎ倒す。


「うあああぁぁ⁉」

「ボーっとしてんな! 逃げるぞ‼」


 メルはかたわらのフィオナを抱え上げると、啞然としているナッシュをどやしつけた。

 そのまま呆気に取られたままの盗賊たちの間を縫って、メルは宿酒場から逃げ出す。すぐにナッシュも我に返り、それに続く。

 その頃になって、ようやく盗賊たちも動き出した。


「お、お頭! しっかりしてくだせぇ‼」

「クッソ! あの女共と騎士を追え! 絶対逃がすんじゃねぇ!」

「とっ捕まえろ!」


 ある者は倒れたダニアンに駆け寄り、ある者は逃げ出したメルたちを追いかけだす。

 日の暮れた宿場町を、メルたちは全速力で走った。


「だあーチクショウ! 今日くらいは宿のベッドで寝れると思ったのに、さっそく野宿かよぉ‼」


 メルのボヤキが夜の宿場町にこだました。

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