第3話

 数日後、帝国北東部の宿場町にメルとフィオナが来ていた。

 二人は宿酒場に立ち寄り、料理を頼む。


「工房は森の奥深くにあります。もう日が暮れますし、今日はここで休んで、明日探索に向かいましょう」

「そうだな」


 丸テーブルについて、二人は談笑している。 

 給仕が持ってきた塩辛いミートパイを紅茶で流し込みながら、相づちを打つメル。


「この宿場町、結構栄えてる感じだな。割と辺ぴなところなのに」

「それは近くにバルキリス人の遺跡があるからでしょうね」

「バルキリス人?」

「この地方一帯の伝承です。かつて存在したという古代戦闘民族ですね。その遺跡がこの近くにあるので、この辺りは観光名所としても知られているのです」

「へぇーよく知ってんな」

「帝国の地理は叩き込まれています。各地の地形や特産品を押さえるのは、商売人の基本ですから」

「大商人のお嬢様教育か」


 また一口、ミートパイを頬張るメル。


「もう少し詳しく聞きたいんだけどさ、その霊薬は工房にあるって言ってたけど、その工房の魔術師はどうするんだ? 倒すのか?」

「いえ、魔術師はどうやら病死していると思われます」

「え、死んでんの?」

「はい」

「じゃ、戦わなくてもいいんだろ? 工房に入って行って、霊薬を取ってくるだけじゃないか。簡単じゃん」

「それがそうも行かないのです。何しろ魔術師の工房ですからね」

「魔術師の工房って、なんかヤバいのか?」


 まともな教育を受けていないメルには、魔術師がどういう者たちなのか、全く想像がつかないのだ。


「魔術師は魔法や霊薬の研究を生業とする者たちですが、彼らは自分の研究を邪魔される事を極端に嫌い、また研究の成果を誰かに奪われるのを警戒する生き物です。そんな彼らが、工房をつくったら──」

「どうなるんだ?」

「ありとあらゆる罠や魔法を仕掛けて、侵入者を撃退する魔窟になります」

「デンジャーな話だな」


 罠まみれの場所に進んで踏み込まねばならないわけだ。


「さすがは霊薬、そう簡単には手に入りそうにないな」

「それはそうと……メルさん」

「何だ?」

「わたくし達、周囲から見られてませんか?」


 フィオナが居心地悪そうに周囲を見やる。

 周りには人相のよろしくない男たちが何人もテーブルについており、ニヤニヤしたまま無遠慮に二人を舐めまわすように見ている。


「だな。なんだってこんな柄の悪い奴ばっかり、この酒場に集まってるんだ?」


 この辺りが観光名所だというのなら、もう少し衛兵隊の目が行き届いて、治安も良さそうなものだが。


「もちろん、客層が悪いというのもありますが……みんなメルさんを見ているようですよ」

「え……」


 絶句するメル。


「俺の格好、なんか変か?」

「変というか……」


 言いづらそうに口ごもるフィオナ。

 この宿場町に来るまでの間に、フィオナに新しい衣服を買い与えられたメル。以前のようなボロボロの服ではないのだが、それとは別の意味で目立っていた。


 何しろメルが着ているのは、男物の旅人風の服装──革のマント、頑丈なブーツ、丈夫そうなシャツとズボンといういで立ちで、護身用に剣を腰に下げている。

 だがその格好をしているのが、天使の如き美貌を持っているメルなのだ。

 男装をした可憐な少女という風に、はた目には見えてしまい、それが何とも倒錯的な美しさと色気を醸し出している。


 本人としては少しでも男らしい格好をしたいという気持ちの現れなのだろうが、多少の服装程度で、メルの持つ女性的な魅力は全く目減りすることはなく、むしろよりメルを魅力的に見せていた。


「わたくし、少し女としての自信を失いそうです。なんでメルさんはそんなに綺麗なのですか?」

「知るか! 好きでこんな風になってないんだよ!」

「でもでも、ろくにご飯を食べていなかったというには、お肌は綺麗ですし髪の毛もツヤツヤですよ」

「何にもしてないけど、昔っからこんなんだな」

「羨ましいですわね」

「嬉しくねぇ!」


 などと話している間に、いつの間にか数人のグループが二人のテーブルによりついていた。


「お嬢ちゃんたち観光かい?」


 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男たち。

 その笑みから、下心が丸見えだ。


「お嬢ちゃん……たち……」


 忌々し気に呟くメル。


「どうやらわたくし達、女二人組だと思われているようですわね」


 女の二人連れなら与しやすいと思われているのだろう。

 メルとしてははなは遺憾いかんである。


「どうだい、これから夜の街に繰り出すっていうのは。俺たちが案内するぜぇ?」

「賭けもできるストリップバーとかな!」


 ぎゃはははっと笑い声を上げる男たち。

 見ているだけで腹が立つ連中だ。


「申し出はありがたいのですが、ご遠慮いたしますわ」

「そう言わねぇでよ」

「行かねぇって言ってんだろ」


 断るフィオナを強引に連れ出そうとする男の間に、メルが割って入る。


「何ならアンタだけでもいいぜ別嬪さん」


 メルの言葉遣いにやや驚きつつも、今度はメルに男が迫る。


「お前……!」


 メルの怒りが沸点へと到達しようとした、その時。


「待ちたまえ」

「あ?」

「?」


 明後日の方から声がかかり、男とメルはそちらに目をやる。

 見れば先程まではいなかった若い男が立っていた。


 高い身長に鍛えられた体躯と明るい茶色の髪の毛。嫌味なくらい爽やかな顔つきに、輝く白い歯をしている。

 軽装だが革鎧を着ており、腰に幅広のロングソードを下げている。左手のガントレットが特徴的だ。家紋と思わしき紋章があちこちにあしらわれている。

 どうやら貴族らしい。


「そこの可憐な少女たちは嫌がっているだろう。無理やり女性を夜の街に連れ出そうとするのは、美しい振る舞いではないな」

「ああ?」


 茶髪の若い男は、やたらと気障ったらしい口調で言った。その聞く者の神経を逆撫でする口調に当てられたのか、メルに絡んでいた男たちは一斉に気色ばむ。


「んだてめぇ、俺らの邪魔すんじゃねぇよ」

「どっかの勘違い貴族さまかぁ? 俺らに家名の御威光なんて通用しねぇぜ」


 男たちは凄むが、茶髪の気障きざな男は、その態度を改めるような事はしなかった。むしろ憐みの目で男たちを煽り返す。


「元より貴様らのような輩に、家名を持ち出すつもりはないし必要もない」

「おい、ボンボン貴族。喧嘩を売る相手を間違えてんじゃねぇか?」

「はて? 俺はただ婦女子を困らせる猿を、追い払おうとしているだけ──いわば害獣駆除だ。喧嘩などではないな」

「てンめぇ……!」


 そのセリフに男たちは怒髪天を衝いた。


「舐めくさるのも大概にしろ!」


 男たち四人が、一斉に茶髪の男に群がった。

 真っ先に一人が殴りかかるが、茶髪の男はそれを軽く躱し、すぐに殴り返す。


「あがっ!」


 茶髪の男のパンチが炸裂し、殴りかかった男はひっくり返る。

 すぐに二人目が掴みかかった。

 茶髪の男は今度は自分から掴みかかった男との距離を詰め、身体を密着させると腰を抱えて持ち上げた。


「せいやっ!」


 抱え上げた二人目を、茶髪の男は三人目と四人目めがて投げつけた。

 まるで立てられたピンをボールが薙ぎ倒すように、男たちは酒場の床に転がった。

 四人とも苦しそうにうんうんと唸っている。


「ふむ、獣は本能で勝てない相手には喧嘩を売らないものだが──どうやらこいつらは猿以下だったようだな」


 茶髪の男は息も切らしていない。

 見事な手際だ。どうやら気障ったらしい態度とは裏腹に、それなりに腕の立つ人物のようだ。


 周りで見ていた他の客たちは、さっきまでの視線はどこへやら、茶髪の男と視線を合わせないように、明後日の方向を見ている。

 茶髪の男は鼻を鳴らすと、転がっている男たちを表通りへ文字通り摘まみ出した。そしてにこやかな表情で、メルたちのテーブルへとやってくる。


「大丈夫かな? お嬢さん方」


 茶髪の男の笑顔はとても爽やかなのだが、


「(……爽やかすぎて逆に気持ちが悪いな)」

「(メルさんダメですよ、そんな事言っちゃ)」


 小声でささやき合うメルとフィオナ。


「(そう言いつつ、フィオナもちょっと顔引きつってるじゃねーか)」

「(それはその……)」

「(しかしどうやってんだアレ? 今、一瞬謎に歯が光ったぞ)」

「(何か特別な技術でも使っているのでしょうか)」

「(俺、正直こういうタイプ苦手だわ)」


「ん? どうかしたかな」

「「いえ、何でも」」


 ひそひそと話し続ける二人に茶髪の男は訝しむが、メルとフィオナは笑顔で誤魔化す。


「助けていただきありがとうございます、お名前を聞いてもよろしいですか騎士様」

「おおこれはご丁寧に。私はナッシュ・シュトラールと申します」

「シュトラール? ではあのシュトラール家の若君なのですか?」


(上手いなー)


 立て板に水で会話を進めるフィオナを、メルは横目で見やる。

 茶髪の男──ナッシュは、家の話題が出た時に一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐにまた爽やかな笑顔に戻る。


「それは私の兄でしょう。私は次男坊でして、家督は兄が継ぎます」

「それは……無遠慮な事を聞いてしまい申し訳ありません」

「いえいえ」


 浅学なメルでも、家を継ぐのは直系男子の長男であるという事だけは知っている。男子が複数人生まれた場合、次男坊以降は親の領地を受け継ぐ事が出来ず、色々と苦労するらしい。

 そう言った事情に踏み込んでしまったから、フィオナは謝ったのだ。


「お嬢さん方、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「わたくしはフィオナと申します」

「……メルだ」


 二人がそれぞれ答えると、ナッシュはメルの手を握ってひざまずく。


「何⁉」

「メル嬢、私はいたく感動しました」

「はぁ?」


 何を言っているんだこの男は。


「友を守る為果敢に悪漢に立ち向かっていく姿を見かけ、思わず助けに入らずにはいられなかったのです」

「はぁ……そうか」


 答えながらメルは自分の顔が引きつっていくのを感じていた。


「こうして出会ったのも何かの縁。よろしければ、私もご相伴に預かってもいいだろうか?」


 ナッシュは熱烈な視線をメルに送る。ナッシュがメルに気があるのは明らかだった。


(こいつ爽やかなだけで、やってる事さっきの奴らと変わりなくねーか?)


 もう我慢の限界だ。


「──いいか、俺はモゴッ」


 男だと言おうとしたところで、フィオナが後ろからメルの口を塞ぐ。


「ふぁふぃふんふぁふぉ(何すんだよ)」

「(メルさん、今だけ女のフリをしてくださいませ)」


 そっと耳打ちするフィオナ。


「ふぁんふぇ(何で?)」

「(ナッシュ様は他の柄の悪い輩からの虫よけになります。どうせ明日には工房へ向かうのですから、一晩だけ我慢しましょう)」


 ナッシュがいなくなれば、周囲からはまた女の二人連れだと思われて絡まれるかもしれない。もちろん絡まれてもメルが追い払えるが、結局乱闘になってしまうし、あまり暴れては宿を追い出されかねない。


 なら、虫よけとしてナッシュを利用するというのは理にかなっている。


(…………クッソー!)


 心の中で精一杯の悪態をつく。


「どうしたのですかメル嬢? 俺?」

「……申し訳ありません。女二人で心細かったところです、どうぞテーブルにおかけになって」


 心の中の葛藤を押し殺し、メルはフィオナを真似て女らしい言葉遣いで喋る。そうすると思った以上に可愛らしい声が出てしまった。


「メル嬢はお声も可愛らしいのですね!」

「……あら、人を褒めるのがお上手ですこと」


 メルは天使のような笑顔を振りまきつつ、心の中で滂沱ぼうだの涙を流した。


(──絶対霊薬を手に入れて、男らしい顔と身体になってやるっ!) 


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