第15話

「何ぃ⁉」


 ダニアンは図ったなという顔でバルムントを見るが、当のバルムントもこれは寝耳に水だったようで、啞然としていた。


「無礼な! この私をバルムント公爵と知っての事か‼」

「如何にも。最近、胡乱な輩と関わり、陛下に対する反逆を企てているという噂を調べて見れば、このような場に出くわすとはな」


 メルとフィオナは物陰で顔を見合わせる。どうやらバルムントの事を、衛兵隊は以前からマークしていたらしい。


「くっ! ……証拠は、証拠があるというのか!」

「このような人里を離れた場所で、盗賊ギルドと密会しているというだけでも状況証拠は十分でしょう。すでに皇帝陛下からもバルムント公爵捕縛の命令は下されている」


 なおも言い逃れようとするバルムントに、衛兵隊の隊長はすげなく答えると羊皮紙を取り出した。取り出した羊皮紙には、バルムント逮捕を命じた文章と、皇帝家の紋章が描かれている。


「大人しく縛につかれよ」

「くぅ……!」


 バルムントはギリギリと歯噛みする。その場は混乱の様相を呈していた。 


(今だ、今しかない!)


 この混乱に紛れてなら、バルムントから薬を奪える。盗賊ギルドの連中も衛兵隊から逃げるのに必死で、メルたちを追いかけられないだろう。


「……!」


 決断してからは早かった。脱兎の如くメルは駆け出す。霊薬に向かって、一直線に走った。


「てめぇは⁉」

「⁉ 何だ貴様‼」


 一瞬早く、ダニアンが気が付いた。さすがは盗賊ギルドの頭目といったところか。

 ダニアンにつられてバルムントもメルに気が付く。

 しかし既に、メルは霊薬の瓶に指をかけていた。バルムントの手から、無理やり霊薬をひったくる。


「よっしゃ! 霊薬ゲットォォォ!」 

「させるか!」


 ダニアンの鞭が唸りを上げる。 

 鞭がメルの手と霊薬の瓶を弾いた。


「ああ⁉」


 やべぇ!


 霊薬の瓶が宙を舞う。

 僅かばかり中の霊薬が飛び散る。


「──うおあああああっ!」


 バルムントは霊薬の瓶に飛びつくと、これ以上霊薬を無駄にすまいと、瓶の口を塞ぐようにして、残りを一気に飲み下した。


「あああああああっ⁉」


 メルの絶叫が響き渡る。

 ここまで来て──最後の最後で、霊薬をバルムントに飲まれてしまうとは。

 気落ちするメル、呆気に取られる衛兵隊を尻目に、


「フハ──フハハハハハ! フゥアハハハハハハハハハハハ──ッ!」


 バルムントの哄笑がこだまする。


「どれだけこの瞬間を待ちわびたことか──!」


 すぐに異変が現れた。

 まるで粘土細工のように、バルムントの輪郭がグネグネと動く──それはまるで、見えない神の手が、人間という創造物を作り直すかのよう。


 やがてバルムントの姿が徐々に定まっていく。

 余計な肉がそげ落ち、スラリとした体型。

 背丈は先ほどより、少し縮んでいる。

 肩幅は狭く、腰に丸みのある張りができ、そして胸がたわわに実っている。


 そして何よりも特徴的なのが、その顔立ちだった。

 輝くような金髪。そして目もくらむような美しい美貌。

 その美貌の前には、黄金や宝石さえも霞むほどに美しい。神々しいという言葉が正に相応しい顔立ちだ。

 女神が降臨したのかと思うほどの、絶世の美女がそこにいた。


「ふむ──思った通りの美しい身体だ。気にいった」


 身体の変化に合わせて、声も女性的な少し高い美声になっている。


「バルムント様、なのですか?」


 おずおずと尋ねるダニアン。

 思わず確認してしまうほど、霊薬の力で変身したバルムントの姿は別人だった。


「うむ」


 絶世の美女──に姿を変えたバルムントは鷹揚に頷き、緩んだ衣服の各部を調整する。

 と、それまで呆気に取られていた衛兵隊が、我に返って動き出した。


「美女に姿を変え、皇室に取り入ろうとでも思ったかバルムント卿!」

「我々の前で変身したのが運の尽き──大人しく縛についてもらおう‼」


 迫る衛兵隊たちに、バルムントは冷めた目で一言、


「何も知らぬ愚か者どもめが」


 と呟いたのと、動き出したのは果たしてどちらが先だったのか。


「ぐぁああ⁉」

「ぎゃっ⁉」


 一瞬でバルムントを取り囲んでいた衛兵隊六名が、斬り倒された。


「⁉」


 メルは目を見張る。

 何が起きたのか、全く理解できなかった。


(一体今何をした⁉) 


「冥途の土産だ。教えてやろう、愚か者ども」


 バルムントの声が朗々と響く。

 その手には衛兵の標準装備である長剣が握られていた。


(一瞬で近くにいた衛兵の剣を奪い取って、そのまま斬り伏せたのか!)


 だとしたら今のバルムントは、とんでもない速さで動けるということだ。メルの額に冷や汗が流れる。


「かつてこの地にはバルキリス人という戦闘民族がいた。彼女らはまるで女神のような神々しく美しい姿をし、その強さは一人で一騎当千であったという」


 バルムントのセリフ。

 それはまるで、自分のことを評しているようだ。


「私は考えた──どうにかそのバルキリス人の力を手に入れられないかと」

「馬鹿な! バルキリス人はただの伝説のはず‼」

「しかし実態なきところに伝説は生まれない。バルキリス人がかつて存在したのは、調査から断定できる事実だ。それが分かった時から、全ては始まった」


 私は持てる権力と財力を結集し、バルキリス人のことを調べ続けたのだよ──得意絶頂といった風にバルムントはニヤけ面で語る。


「その結果分かったのは──彼女らは、その身に魔術式を帯びているということだった。何の儀式も、祭具も、杖も、秘薬も、詠唱も──一切要らない。バルキリス人は存在するだけで、魔術を行使し身体能力を強化する」


 それがどれだけ凄い事なのか、学のないメルでも分かる。


「バルキリス人の力、その強さは、彼女たちが身に帯びた魔力と、その身体の魔術式に依る──ならば、身体をそのバルキリス人と同じようにすれば、バルキリス人の力は手に入る」

「相似の理論──」


 それは最も基礎的な魔術理論。

 対象の荷姿を造ることにより、対象に近しい効力を得ようという理論だ。石でできたゴーレムを動かしたければ、人間に近い身体をしていればいい──それと同じだ。


「かつて地上を支配下に置いたバルキリス人の力。それを持ってして、私はこの国の頂点に立つ!」


 バルムントは高らかに宣言する。

 それは皇帝に対する明確な反逆の意思表示であり、通常なら領地や爵位を没収されてもおかしくない大失言だ。

 しかし今のバルムントにはばかるものなどありはしない。

 それほどまでに、彼は強大な力を得ている。


「さて──手始めに、貴様らを殲滅するとしようか」


 言うが早いか、バルムントは持っていた長剣を投げ捨てると、配下に持たせていた巨大な剣の柄を持つ。人の背丈ほどある巨大な剣──おおよそ儀礼用としか思えないそれを、バルムントは易々と担いで見せた。


 瞬間、バルムントが消える。

 一拍遅れて響くのは、両断された兵士の悲鳴。


「ふむ、カカシを斬るようだな」


 呟くバルムントに罪悪感はない。

 彼にとってこの殺戮は、子供がアリを潰して遊んでいるようなもの──文字通り児戯に等しい所業なのだ。


「お前たちを一人残らず斬ったあとは、地方の貴族を制圧しながら、帝都に攻め入るとするか──クハハハハハ!」

「──ふざけんじゃねえぇぇぇぇ‼」

「?」


 メルの怒声が響いた。


「おいこのクソジジィ! てめぇ、そんな事のために、俺らが苦労して手に入れた霊薬を飲みやがったのか‼」

「そういえば先ほどからちょこまかとうろついていたようだが、なんだ貴様は?」

「俺は流れ者のメル! その霊薬を魔術師の工房から持ち帰ったモンだよ」

「ほう、それはご苦労だったなぁ」


 バルムントは肩を竦める。

 その仕草が余計にメルの神経を逆撫でした。


「お前が飲んだ霊薬はな、本当だったら俺が飲んで普通の男になるはずの薬だったんだよ!」

「はて? そもそもあの霊薬は私が作らせたものだぞ。私が作らせた、私のための霊薬だ。私が飲んで何が悪い」

「……何?」


 どういう事だ?

 訝しむメルを、憐れむように見やるバルムント。


「姿を思うがままに変える霊薬などという物を、なぜ魔術を極める事以外に興味のな

い魔術師という人種が作ったと思う? ──私が金を払い、依頼したからだ。まさか霊薬を完成させた後、持って来る前に死んでしまうとは思わなかったがな……お陰で、裏社会に噂を流して懸賞金をかけたりと、余計な手間がかかってしまった」

「んじゃ、今回の事の発端は──」

「──全て私だ」


 得意げにバルムントは首肯した。


「であれば私がこの神々しい姿になれたのは、貴様のおかげでもあるわけだ。なんとなれば、私の軍門に下るかね?」 

「ぬかせぇ!」  


 抑えきれない怒りを迸らせ、メルは吠える。


「よくも俺の──俺たちの未来がかかった霊薬を飲みやがって‼」

「「‼」」


 一瞬、フィオナもナッシュも目を見開く。

 もし霊薬を得ることが、メル一人だけの目的であったのなら、ここまでメルが激昂することもなかっただろう。

 霊薬を得ることが三人の目的であったから──霊薬に三人分の夢や希望が詰まっていたから、メルは三人分の怒りを抱いたのだ。


「俺はお前を絶対許さねぇ!」

「うるさい小娘だ」

「俺は男だぁ!」


 剣を構えて突進するメル。バルムントは忌々し気に顔をしかめると、大剣を無造作に振り払った。

 反射的にメルは長剣で受けるが、それでも質量の差が大きすぎる。メルは放物線を描いて、五メートル程吹き飛ばされた。


「……ぅぐっ!」

「メルさん⁉」

「メル!」


 思わずフィオナとナッシュが叫ぶ。


「ほう、まだ仲間がいたか」


 バルムントの視線が二人を射貫く。

 アリを踏みつぶすような気軽さで、バルムントはフィオナに向かって剣を向けた。


「マズい!」


 咄嗟にナッシュが割って入る。しかしメルと同じように、ナッシュもバルムントの一撃を受けて、成す術もなく吹き飛ばされてしまった。

 バルムントの前に、フィオナ一人が立ちすくむ。


「ひっ……!」


 フィオナは息を呑む。

 それを地に伏せながら、メルは見ていた。

 たった五メートルの距離が随分と遠くに見える。バルムントの凄まじい膂力と、大剣の質量が相まって、さっきの一撃は筆舌に尽くしがたい威力を持っていた。


 身体が衝撃で痺れている。

 力が入らず、立ち上がれない。


「クソッ……!」


 ナッシュも同じのようだ。

 懸命に立ち上がろうとしているが、フラフラして足元が定まらない。


(クソッ、クソッ、クソッ!)

(立て、立て、立て!)


 このままだとフィオナは殺される。

 それだけは嫌だ。

 絶対に嫌だ。


「動けよ俺の手足──!」


 散々この身体を嫌ってきた。この身体に、容姿に、苦しんできた。

 ならばせめて、


(こんな時くらい役に立てよ────‼‼‼)


 ──その時、それは起こった。

 今までにないほどの魔力の波動。強い力がそこに存在するという感覚が広がる。

 その魔力の波動の中心に、メルはいた。


「何⁉」


 バルムントは目を見張る。

 メル自身も、何が起きたか正確に把握しているわけではなかった。ただ、力が身体中に漲っている。その事実だけで十分だった。


「う──おおおおぉぉぉ!」


 雄叫びと共にバルムントに突撃する。凄まじい速度だ。バルムントも反応が追い付かない。

 メルのブチかましを喰らって、バルムントは砲弾の直撃でも喰らったかのように吹き飛んだ。


「メルさん……!」

「フィオナ! 無事か‼」


 メルの問いに、フィオナはこくんと頷く。

 ただただ目の前の事態が飲み込めていない。唖然としている。

 吹き飛ばされ、寺院の石壁に埋もれるようにしていたバルムントは、身体を起こしながら冷や汗を流す。


「これ程の力──貴様は一体…………!」


 バルムントはメルを凝視した後に瞠目する。


「まさか、まさか貴様──!」

「?」

「バルキリス人か‼」

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