第14話

「──て訳で、霊薬の取引はミルサントの廃堂ってとこらしいぜ」


 場所は賭場の裏手、給仕の女──に変装したメルが言う。

 既に何度か顔を合わせているダニアンへの対策として、今日はカツラを被って髪色を変え、さらに化粧までしている。

 メルは被ったカツラを取った。茶髪のカツラの下から、メルの地毛である金色の髪の毛が零れ落ちる。


「ふぅ~……カツラって頭が蒸れるなぁ」

「ああ、もうカツラを取ってしまうんですか。似合ってますのに、それにお化粧も」


 メルがゴシゴシとタオルで化粧を落とすのを見て、フィオナは残念そうに口を尖らせる。


「……なぁフィオナ、お前楽しんでるだろ」

「だってメルさんのお顔綺麗だし、化粧乗りもするからメイクしてて楽しかったんですよ」

「俺の顔で遊ぶな!」


 さっさと衣装も着替えてしまいたいくらいなのに。


「とにかく、取引の場所は突き止めた──そこを狙うぞ」

「ダニアンの事だ。本当に取引現場に霊薬を持ってくるとも限らん。後を尾行してもよかったんじゃないか?」


 ナッシュのセリフにメルは首を振る。


「相手は盗賊ギルドの頭目だぜ? 普段から憲兵やら衛兵やらに捕まらないよう、逃げ回ってる奴だぞ。俺たちに気付かれずに尾行するなんて真似できると思うか?」

「なるほど。あまり現実的ではない……むしろ警戒されて、霊薬を隠されるほうがマズいか」

「そう言う事だな」


 ともかく霊薬の取引現場が何処なのかを突き止められたのは大きい。

 これなら先手を取れるというものだ。


「という訳で俺たちはミルサントの廃堂とやらに向かうぞ」

「今からか?」


 既に日が暮れている。

 こんな時間に向かうような場所ではない。


「だからこそ今向かうんだよ。先に場所を調べて、霊薬をかっさらうのに都合の良いところがないか探すんだ──これが最後のチャンスになるかもしれないんだ。それくらい出来るだろ」

「まったく嫌な奴だ……そう言われたら首を縦に振るしかないではないか」

「ですね」


 ナッシュが肩をすくめ、フィオナも首肯する。

 三人は郊外にあるというミルサントの廃堂へ向かった。 



 ミルサントの廃堂は、街外れにある古い聖堂だった。

 松明やランタンの明かりに浮かび上がったそれは、神秘的な雰囲気を醸し出している。


「昔の精霊信仰の聖堂らしいですね」


 草木に浸食された聖堂に入り、中を確認する。既に祭壇などは朽ち果てており、石造りのだだっ広いドームでしかない。


「街からは離れているし、人も寄り付かないから、秘密の取引をするには丁度いいかもしれんな──む?」


 崩れかけた聖堂の模様を見ていたナッシュが何かに気付く。


「どうかしたか?」

「いや、この壁面に描かれている物に見覚えがあるなと思ったのだが……これは魔術師の工房に使われていた遺跡の壁画と同じじゃないか?」


 メルもナッシュの見ていた壁画を見やると、確かに見覚えのある意匠だった。


「ホントだ。てぇ事は、ここもバルキリス人が関係していた施設ってことなのか」

「どうもそのようですね」


 メルの疑問にフィオナが首肯する。


「ここにもバルキリス人か──結構バルキリス人の逸話とか遺跡とかって、帝国のあっちこっちにあるんだな」

「広く信じられていた神話だからな」

「一説には、我々帝国人の先祖はバルキリス人であったとも言われているんですよ」

「いや神話なんだろ? 前にも聞いたけど、女しかいない民族なんてあり得ねぇだろ。生物学的に」

「まあ……それはそうですが」

「おっといけねぇ。とにかく明日に備えて、下調べしねぇとな」


 聖堂は半分崩れており、特に街側の壁が全て崩落している。

 隠れられそうな場所、そして取引が行われるであろう地点を予測してから、聖堂から少し離れたところで野営した。




 夜が明けると同時に、三人は目を覚ますと所定の位置に付いた。

 聖堂の右側にメルとフィオナ。左側にナッシュ。

 それぞれいざとなったらすぐに飛び出せるよう、窪みや茂みで息を潜める。そうしながらどれだけ待っただろう。


 日が高く天に昇る頃。人相の悪い男たちがぞろぞろと集まってくる。

 もちろん男たちの中心にいるのはダニアンだ。

 手に持っているのは、霊薬の入った包みだ。それを見て、窪みに隠れるメルの身体に力が籠る。


「まだですメルさん。抑えてください」

「……分かってる」


 メルは今にも飛び出したい気持ちを、グッとこらえる。

 三人の計画では取引の最中、霊薬を公爵に渡すその瞬間を狙う手筈になっていた。ダニアンは名うての盗賊だ。奴が持っている物を奪うのは至難の業だろう。

 ならば公爵に霊薬が渡った瞬間を狙う──そういう筋書きになっていた。


 ほどなくして公爵の乗った馬車が来た。馬車から降りてきたのはバルムントの他に護衛の者が数名。バルムントは丸腰だが、周りの配下は全員武装している。

 さらに配下の一人は、何やら重そうな箱を手押し車に乗せて運んでおり、もう一人は人の背丈ほどもある長剣──いや大剣と呼ぶべきか──を背中に担いでいた。


「お早いご到着で」


 慇懃いんぎんに礼をするダニアンに対して、バルムントは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。


「随分と物々しいご登場ですな」

「四億ルミーという大金を運んできたんだ、当然備えはするに決まっていよう」

「心外ですな。俺たちが公爵様を襲うとでも?」


 おどけた口調のダニアンにバルムントの不機嫌さは増していく。


「土壇場になって一億も吹っ掛けてくる輩が何をいう」

「へへ、その通りで。そのデッカイ剣も自衛用で?」

「アレは私のお気に入りだ。かのバルキリス人が使っていたという曰く付きの剣──こういう場には必ず持っていくようにしている」

「それはそれは」


 ダニアンが鼻で笑う。あんな大きな剣、バルムントが使いこなせる訳がない──見栄を張り、使えもしない剣を持ち運ぶバルムントに、ダニアンは失笑を禁じ得なかった。


「前置きはいい、さっさと取引を始めろ。霊薬は出せ」

「へいへい」


 ダニアンが懐から薬瓶を取り出す。中には妖しく発光する液体。 


(霊薬だ)


 取引を見ていたメルの喉がゴクリと鳴る。それを押さえるように、フィオナがメルの手を握る。


「(メルさん焦らないで)」

「(分かってる)」


 物陰でヤキモキするメルをよそに、取引は進んでいく。


「なるほど。わずかに魔力を感じる──本物のようだな」


 メルと同じく、バルムントもまた霊薬を前にして目の色が変わった。それを感じ取ったのか、ダニアンが釘を刺す。


「おっと、霊薬を渡す前に、こっちも確認させてもらいますぜ。四億ルミーは?」

「フン……ここだ」


 バルムントの指示で、手押し車を押していた配下が前に出る。手押し車に乗せられていた箱の蓋を開けると、中は金貨で埋め尽くされていた。


「ちょいと調べさせてもらいますぜ」

「好きにしろ」


 ダニアンが顎でしゃくると、今度はダニアンの手下が箱の金貨を確かめる。


「お頭、どうやら全部本物みてぇです」


 ダニアンは満足そうに頷く。


「よしっ、それじゃあ取引成立ですな。霊薬を渡しますんで、そこの手押し車は置いてってくだせぇ」


 ダニアンが霊薬を差し出すと、バルムントはようやくわずかに笑い、うっとりと霊薬を眺める。

 その眼差しが余りにも熱を帯びており、ダニアンは一瞬悪寒を覚えた。何かとんでもない事をしてしまったような、そんな気がして胸が騒ぐ。

 それを誤魔化すかのように、言葉がダニアンの口をつく。


「しかし旦那も酔狂ですな、そんな薬に四億も出すなんて」

「酔狂なものか、この霊薬にはそんな大金以上の価値がある」

「でもその薬、姿を変える事しかできねぇんでょう?」

「ふ──魔術を知らん者からすれば、そのくらいの認識しかないのだろうな」 


 バルムントは物分かりの悪い生徒に答える先生のように、得意げに語る。


「姿を変えるだけの薬──しかし、魔術的に見れば、それは非常に意味のあることなのだ」


(どういう事だ?) 


 霊薬は飲んだ人間の姿を変えるだけじゃないのか? ──物陰でバルムントの話を聞いていたメルも首を傾げる。


(いや、今はそんな疑問よりも、霊薬を確保する方が大切だ)


 メルはバルムントの持つ霊薬を凝視する。


(今飛び出せば、バルムントの護衛とダニアン達盗賊ギルド全員を相手取ることになる)


 そうなれば、霊薬を奪って逃げおおせるのは難しいだろう。

 取るとしても最後の手段だ。


(チャンスが、チャンスが必ずあるはずだ──!)


 バルムントもダニアンも油断し、上手く逃げられる絶好のタイミング──それを今か今かと待ちわびていると、


「者共、神妙にしろ!」

「「⁉」」


 その場の全員が何事かと驚いた。

 馬の足音を響かせて、何十人という数の甲冑を着込んだ衛兵隊が駆け付けたのだ。意外な乱入者に、物陰に隠れていたメルたちも驚きを隠せないでいた。

 衛兵隊の先頭にいた、おそらくは隊長であろう男が朗々と語る。


「盗賊ギルド赤蝮の一党と頭目のダニアン、さらにはバルムント公爵──この場に居る者、全員を捕縛する!」

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