第12話

 ルミナスの滝──この地方を代表する巨大な滝で、水量が非常に多く、滝つぼから先の流れも速い。

 日が中天に登っているというのに、薄っすらと霧が出ており、視界はあまり良くなかった。滝つぼから飛沫も多いので、空気中に多分に水分を含んでいるからだろう。


 ひんやりとした湿った空気が辺り一面に流れており、視界の悪さも相まって不気味さを醸し出している。

 滝つぼの付近は岩場と草地に分かれており、草地の方は下草が腰くらいの高さまで伸びていた。


 その草原に人影が現れる──ナッシュとメルだ。

 先頭にナッシュが立ち、後ろにメルが控えている。ただ以前とは違い、メルはフードのついた大き目のマントを目深に被っていた。

 そのせいでどんな顔をしているのかは、周りからは見えないでいる。


「来たぞ、出てこいダニアン」


 メルの呼びかけに応えるように、また人影が現れる。岩場の陰から現れたのはダニアンとフィオナ。フィオナは縛り上げられており、後ろ手をダニアンが押さえている。


「ふふ、よく現れたな小童ども」

「メルさん! ナッシュ様!」


 ダニアンの下卑た笑みを浮かべ、フィオナは思わず二人の名前を叫ぶ。


「霊薬はちゃんと持って来たんだろうな?」


 ナッシュが肩に下げた鞄を軽く叩く。


「ここにある」

「出して見せろ。偽物を掴まされちゃかなわねぇからな」

「フン」


 ナッシュが鞄から瓶を取り出す。瓶には薄桃色の不思議な液体が入っており、仄かに発光していた。

 一見して尋常な物ではないと分かる。


「なるほど。どうやら本物みてぇだな」

「霊薬ならちゃんと持ってきただろう。早くフィオナ嬢を解放しろ!」

「そう焦るなよ」


 ニヤニヤとした顔でまるで嬲るように語るダニアン。


(てめぇらがここに来た時点で、霊薬も娘も俺の手の内なんだよ……!)


 ダニアンは内心でほくそ笑んでいた。

 霧が出て、草木が生い茂るこの場所を取引場所に指定したのは、部下たちを控えさせるためだ。

 今こうしている間にも、メルとナッシュの背後に、ダニアンの部下が迫っている。


(娘も霊薬も、俺様の総取りだ!)


 そう思うと笑いを押さえるのも一苦労だった──緩む頬を隠そうとダニアンがフィオナから手を離した。その刹那、


「オラァァァッ!」


 笑うダニアンの横っ面を、背後から現れた人影が思い切り殴りつける。

 バキィッ!

 硬い棍棒で殴りつけたような打撃音がして、ダニアンは吹っ飛ばされた。


「「⁉」」


 突然の事にダニアンは何が起きたのか分からず、フィオナも驚愕していた。なぜならダニアンを殴り倒した人影は、メルだったからである。


「メルさん⁉ どうして──⁉」

「んなもん、お前を助けるために決まってんだろ」


 メルはフィオナを庇うように、サッとダニアンとフィオナの間に割って入った。


「いや、でも、その……あれ? ではあのナッシュ様の後ろに立っているのは……?」 


 フィオナは眼を瞬かせ、何度も目の前のメルとナッシュのそばのマント姿を見比べる。


「ナッシュの後ろに突っ立ってんのは、ただのカカシだ」

「うぐ……」


 殴り飛ばされたダニアンが、顎を抑えながら起き上がった。


「っの野郎! 最初からカカシを立たせて、霧と草むらに紛れて忍び寄ってやがったな……!」 

「ご名答。さっすが盗賊ギルドの頭目、察しがいいな」


 皮肉を込めて言うメル。すぐにナッシュに向き直る。


「さてと、フィオナは取り返したし逃げるぞナッシュ!」

「おう!」

「──逃がすかぁっ!」


 逃げ出そうとするメルとフィオナではなく、ナッシュに向かって鞭を振るう


「赤蝮の名に懸けて、総取りなんてさせるかよ!」


 ダニアンが背中に手を伸ばす。取り出したのは小さく丸められた鞭だ。ダニアンが鞭を振るうと、まるで生き物であるかのようにしなり、ナッシュの持っていた霊薬の入った鞄に絡み付いた。

 ダニアンが鞭を引くと、鞄が鞭に巻き取られる。


「しまった!!」

「コラッ! 何やってんだナッシュ!」

「俺の通り名がなんでマムシなのか、分かっただろう? へへっ、これで近日中に大金が手に入る──笑いが止まらねぇぜ!」

「クソッ!」


 ダニアンが得意絶頂でほくそ笑み、メルはギリギリと歯噛みする。

 霊薬を奪われた。

 反射的に飛び出そうとするメル。しかし寸前で思いとどまる。今飛び出せば霊薬は取り返せるかもしれない、しかしフィオナを無防備にしてしまう。

 霊薬か、フィオナか。


(────クソ!)


 断腸の思いで、メルは飛び出すことを諦めた。


「おい、出てこい野郎ども!」

「へい! お頭‼」


 ダニアンの声に応じて、周囲に隠れ潜んでいた盗賊たちがぞろぞろと姿を表す。

 フィオナを連れたまま、この人数を相手に包囲網を突破するのは至難の業だ。


(やべぇ! 逃げるタイミングを逸した‼)


 本当はダニアンに一撃を入れてフィオナを取り返したら、すぐに逃げる算段だったのだが、こうも囲まれてしまってはそうもいかない。

 メルはチラリと横を流れる川を見やる。滝から流れ出した水量は相当なもので、川も激流だ。


(一か八かだ!)


「──仕方ねぇ。ナッシュは一人で何とか逃げろよ!」

「えっ」


 きゃあああああああああ──とフィオナの悲鳴が響いた後に、ドボンと水飛沫が上がる。メルがフィオナを抱えて激流に飛び込んだのだ。


「ああっ!」

「あの女顔、飛び込みやがった⁉」


 盗賊たちは慌てて後を追おうとするが、


「止めておけ」


 ダニアンが止める。


「この川の流れは速く、おまけに水温はとんでもなく冷たい。下手すりゃ溺れ死ぬぞ」


 ダニアンは手の内の霊薬を見やる。


「お目当ての霊薬を手に入れた。コイツさえ有れば、あのガキどもなんか些末な事──行くぞお前ら、三億ルミーがもうすぐだ!」


 ダニアンの高笑いが響いた。

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