第5話

 ダニアン率いる盗賊ギルド『赤蝮あかまむし』の追跡を振り切り、メルたち一行は宿場町から少し離れた森の中にいた。

 フィオナを抱えたメルの傍で、ナッシュは大きく肩で息をしている。


「今日は月明かりがあって良かったな。お陰でもし曇り空だったら、暗すぎて身動きとれなかったぜ」


 町から離れれば明かりのない森は本当に暗い。

 何があるか分からず、普通の人間は一歩も動けなくなる。


「いえ、わたくし全く周囲が見えないんですが……」


 メルの腕の中でフィオナが答える。


「あっそう? 俺はけっこう見えてるんだけどな」

「メルさんは夜目が利くのですね」

「まぁそうなるのか? 人と比べた事なかったから、気付かなかったぜ」

「……そのメルさん」

「何だ?」

「そろそろ下ろして貰えませんか」


 フィオナをずっと抱きかかえたままだったと、ようやくメルは気が付いた。

 いそいそとフィオナを下ろすメル。


「暗くてよく見えてないんだろ、足元気を付けろよ」

「はい……」


 妙にしおらしく答えるフィオナ。


(もしかして照れているのか?)


 フィオナも年頃の娘だ。男に抱きかかえられるというのは、気恥ずかしいのかもしれない。


(ちょっと無神経だったかな。でもああしないと逃げられなかったしな)


「メルさん」

「な、なんだ」


 改まって名前を言われて、メルは少しドキリとする。


「わたくし、メルさんの──」


 メルはゴクリと唾を飲み込む。


「横顔に見惚れておりました」

「──は?」

「実は最初に会った時から思っていたのですが、本当にメルさんのお顔は綺麗ですね。逃げている間に、月明かりにメルさんの顔が照らされて──月明かりに浮かび上がるメルさんの横顔は、まるで高名な芸術家の絵画のようでした。思わず見惚れてしまいました」

「あ……そう」


 なんだか肩透かしをくらったようで、メルは肩を落とす。


「凄い……体力をしているんですね」


 それまで黙っていたナッシュが口を開いた。


「ここまで走ってきて……息も切らしていないとは……」


 息を整えながらナッシュはメルに頭を下げる。


「ピンチのところを、貴方のお陰で助かりました。ありがとうございます」

「あ、ああ……別にいいって」


 ひらひらと手を振るメル。人に礼を言われるのに慣れていないのが態度に現れていた。

 不意にメルの身体がブルッと震える。


「あらメルさん、どうしたのですか?」

「ちょっと飲み過ぎた」


 気を紛らわす為に、酒を飲み過ぎたみたいだ。強い尿意をメルは覚えた。

 それだけでフィオナはメルの膀胱具合を察した。メルがいそいそと近くの茂みに向かうのを、黙って見送る。

 しかし事情を知らないナッシュは、のろのろと立ち上がるとメルを追う。


「あのナッシュ様、別に追いかけなくても」

「いえ、万が一戻したものが喉に詰まったら大変です。様子を見ておかないと」


 フィオナがやんわりと止めるが、ナッシュは聞かずに歩いて行った。

 どうやらメルが吐き気を催したと勘違いしているらしい。勘違いを正そうとフィオナは思ったが、既にナッシュも行ってしまい、暗い森の中でフィオナは動けなくなってしまった。

 仕方がないので、フィオナは二人が帰ってくるのを待つことにした。


(まぁナッシュ様は男性ですから、女性のわたくしに見られるより問題はないでしょう)


 とそこまで考えてから、フィオナは首を傾げた。


(あら? そういえば、まだナッシュ様はメルさんを女性だと思っていたのでしたっけ?)


 

 

 茂みに入って、メルはベルトを緩める。

 そのまま立ち小便を始めた。


「は~……すっきり」


 膀胱が破裂しそう感覚から解放された。


「危ない危ない、膀胱炎になるとこだった……ん?」


 ふと背後に何者かの気配がした。

 メルが背後を振り返ると、


「……」

「……」


 ナッシュが立っていた。

 まるで信じられないモノを見るように顔を歪める。

 メルはやや身体を捻って局部を隠した。


「そんなマジマジと見るなよ。男同士でも恥ずかしいだろ」

「うあああああぁぁぁぁーーーーーーーっ!」


 ナッシュの悲痛な叫びが森にこだました。




 その後、簡易式の天幕を張り、周囲に極力光が漏れないようにして火を起こして、三人で焚火を囲んだ。

 ナッシュは虚ろな目で日を眺めている。


「おーいどうしたナッシュ、目が死んでるぞ」

「うるさい!」


 メルの呼びかけに、ナッシュは声を荒げる。


「一目惚れした美女の正体が男だった時のショックが、貴様に分かるか! これほどまでに残酷な裏切りが、かつてあっただろうかと人生を振り返ったぞ‼」

「それこそうるせーよ! 別に裏切ったわけじゃねぇだろ、お前が勝手に勘違いしただけだ! ていうか一目惚れとか気持ち悪い事言うな‼」

「何おぅ! やるか貴様‼」

「上等だ表出ろ!」


 メルが男だと分かり、ナッシュも態度がぞんざいになる。互いに胸倉を掴みあって睨み合う二人。


「ま、まぁまぁ、落ち着いてくださいませ。二人とも!」


 慌てて仲裁に入るフィオナ。


「確かにメルさんのお顔が美しすぎるのが問題ではありますが、ここで喧嘩しても良い事はありません」

「フィオナ、フォローしてるのかもしれないけど、全然フォローになってないからな」


 というかそもそも、メルが女性だとナッシュが勘違いしたのを訂正しなかったのは、フィオナの発案なのだが。


「それでもやっぱりメルさんの顔に責任があると思ってしまいますね」

「顔に責任ってなんだよ」


 ジト目でメルを見るフィオナ。


「だって……最初の盗賊たちも、ナッシュ様も、ダニアンという盗賊ギルドの頭目も、みんなメルさんの方に行ってしまうんですもの」


 言いながらどんどんフィオナの顔が沈んでいく。


「いや分かっているんですよ? メルさんが超絶美形なのは。でもですね……男性であるメルさんばかりが言い寄られて、わたくしに何もないというのは……その、乙女として非常に傷付くといいますか……自信をなくすというか」


 気付けば今度はフィオナの目が死んでいた。虚ろな顔で膝を抱え、焚火を眺めている。


「おいメル! 貴様のせいでフィオナ嬢まで深く傷付いているではないか‼」

「俺のせいなのかよ⁉」


 ナッシュの理不尽な責めに、メルも声を荒げた。


「ちょっと待てよ、一番ダメージデカいの俺だろ! 会う奴会う奴、みんな俺の事を女だと思って薄気味悪い態度で口説いてくんだぞ⁉ それに耐え続けた俺の自尊心が、どんだけ削れたか──お前ら分かるか⁉」 


 言いながら、メルの目からも輝きが失われていく。

 気付けばメルも虚ろな表情で火を眺めていた。


「……」

「……」

「……」


 しばらく三人とも無言のまま、重苦しい空気が流れる。

 ナッシュはメルを女だと勘違いして口説いた事にショックを受け、フィオナはメルばかり言い寄られる事に自信を失い、メルは誰もが自分を女だと思う事に傷付いていた。


(なんだこれ、誰も得をしてねぇ──三人もれなくダメージ受けてるじゃねーか)


「今日の事はなかった事にしようぜ……」

「……そうですわね」

「……そうだな」


 メルの提案に、フィオナとナッシュは力なく同意した。

 メルはグッと拳を握りしめ、悲痛な面持ちで決意を新たにした。


「クッソ……絶対霊薬手に入れて、男らしくなってやる……!」 

「霊薬を手に入れて男らしく? 何のことだ?」


 ナッシュが首を捻ったので、メルとフィオナは霊薬を手に入れるために動いていることを説明した。

 ナッシュは霊薬の効果までは聞き及んでいなかったらしく、『飲んだ者の姿を自由に変える』という効果を聞いて、大きく頷いた。


「──事情は分かりました。自由を獲得する為に、こんな危険な旅をしているとは……敬服いたしますフィオナ嬢」

「いえいえ、それほどの事では」


 フィオナににじり寄るナッシュに、フィオナは手をひらひらと振って恐縮する。それを見てメルは口を尖らせた。


「ったく、今度はフィオナに粉かけてんのかよ。この女好き」

「黙れ。貴族の男子たるもの、魅力的な伴侶を得るために努力するのは当然だ」

「すげぇサラッと言ってるけど、ようは見境なしなだけじゃねーか」


 ナッシュの額に血管が浮き上がる。


「──やるか?」

「上等だ──」


 ナッシュとメルは剣の柄に手をかける。

 睨み合う両者の間で、バチバチと火花が散った。

 どうもメルとナッシュの相性は良くないようだ。


(これは止めてもキリがないですわね)


 フィオナは少し考えてから、話題の矛先をずらす事にした。


「ところでナッシュ様、成り行きでわたくし達に付いて来られてしまいましたがどうでしょう──わたくし達が霊薬を手に入れるのに、このまま協力していただけないでしょうか」

「何ですと?」

「おい、何言ってんだフィオナ⁉」


 睨み合ったままナッシュとメルは耳を疑う。


「フィオナ嬢には申し訳ないが、私はこんな男か女かも分からないような奴と組むことはできません」

「俺は正真正銘男だ! 俺だってこんなスカした野郎の手を借りるなんて御免だぜ」

「少し冷静になってくださいませ」


 異口同音に反対意見を述べる二人に、フィオナは飄々と言った。


「メルさん、件の霊薬を狙っていくつもの盗賊ギルドが動いています。この状況、少しでも協力者が多い方が良いのではないですか?」

「それは……」


 感情的な反発を抜きにして、少しでも霊薬を手に入れる可能性を高くするなら、たしかにナッシュを仲間に引き入れた方がいいだろう。

 それが分かるだけに、メルは言い返せなかった。


「ナッシュ様、手柄を立てて立身出世をしたいとおっしゃっていましたね。であればこれを機に、エトワール家に縁故えんこを作っておくのはどうですか?」

「何と?」

「この旅で霊薬を手に入れエトワール家に持ち帰った際に『この旅で無事だったのはナッシュ様のお陰』だと、わたくしがお父様に口添えいたしましょう。さすればエトワール家とナッシュ様の間に、太いパイプができるでしょうね」

「……」


 ナッシュは無言で考え込む。頭の中で算盤を弾いているのかもしれない。

 エトワール家は商人であるが、並みの貴族以上に財力を持ち、強い影響力がある。何をするにも先立つものがいるし、強力な後ろ盾や出資者というのは、いくらあっても良いものだ。


 ナッシュの気持ちはグラグラと揺れる。


「し、しかし……このような男と共に行動するのは、貴族としてのプライドが……」


 なおも悩むナッシュに、フィオナは止めの一言。


「エトワール家は皇室御用達の品を扱い、皇族や有力貴族にもパイプがあります──ゆくゆくは、ナッシュ様に貴族のご息女をご紹介できると思います」

「困っている女性を見過ごすのは貴族の名折れ、ナッシュ・シュトラールはフィオナ嬢に協力を惜しみません!」


 さっきまでの態度はどこへやら、ナッシュはフィオナにひざまずいて敬礼。その後、メルの手を握ってわざとらしくブンブンと振る。


「やー、すまなかったな。霊薬を手に入れるため、力を合わせて頑張ろうじゃないか」

「手のひら返しが早過ぎんだろ……」


 メルは開いた口が塞がらない。


「うふふ、良かったですわ」


 フィオナは口元を押さえて笑う。


(口八丁でこうも簡単に人を丸め込むとは……恐ろしい女だ)


 メルはフィオナの底知れなさに、少しだけ怯えた。

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