第17話

 トロールの姿に変身したバルムントは、おもむろに周囲を見やると、


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──────‼」 


 天を仰いで雄叫びを上げる。

 すでに人としての意識は残っていないのか──その行動は完全に獣のそれだ。

 無造作にバルムントが足を踏み鳴らす。すると、


 ドゴンッッ‼


 投石機で発射された巨石が地面を穿つような──否、それ以上の衝撃で地面を抉り、土が巻き上げられる。


「「「……!」」」


 それを見て、その場にいるもの全てが絶句するよりなかった。

 先ほどまでのバルキリス人になったバルムントでも、十分な脅威だった。しかしそれ以上の脅威が現れるなど、考えもしていなかった。

 今のトロールに変身したバルムントなら、ひと蹴りで民家を更地にできるだろう。


「……あんな怪物が街に出たら、一体どれだけの被害がでるか……!」

「……見た感じ、半日で都市を壊滅できるんじゃねぇか……?」


 さしものメルも、ナッシュに返す軽口に力がない。

 それ程までに圧倒的だった。

 これがダメ押しとなり、衛兵隊は総崩れになる。


「もうダメだ!」

「お終いだ! 俺たちみんな殺されるぞ!」

「逃げろ、逃げるんだ!!」

「待てお前たち‼ ここで逃げてなんとする、我らがここでこの怪物を押しとどめるのだ!」


 逃げ惑う衛兵たちに、隊長らしき男が激を飛ばすが、それでも陣形は総崩れとなっている。


「くっ……このままじゃマズい! 俺たちも避難を──」

「何処へですか?」


 妙に静かな声でフィオナが言う。


「あの怪物は、獣の本能のままに、街を襲い人を殺すでしょう──逃げようにも、馬の数は限られていますから、今から逃げても食い殺されるのが関の山でしょうね」


 恐ろしい程淡々と、フィオナは事実を口にした。


「じゃぁここで諦めるのか⁉ ここで死ぬって」

「いいえ!」


 メルに力ずよくフィオナは言い返す。


「ここであの怪物を倒しましょう」

「なっ⁉」

「正気ですか⁉」


 目を見開くメルとナッシュに、フィオナは頷きを返す。


「ええ、どのみちあの怪物を倒すしか、我々に生き残る道はありません。なら倒すだけの事です」

「理屈はそうだが──あんな怪物、本当に倒せるのか? マジで神話の化物だぜ?」

「何を言いますか、こちらにも『伝説のバルキリス人』がいるじゃありませんか」


 メルは反論に詰まる。

 フィオナはふと表情を緩めた。


「勝機はあります」


 フィオナは作戦を説明する。

 その作戦は確かに筋が通っており、突破口としては十分といえるものだった。


「──私を信じてください」

「……」

「……」


 メルとナッシュは顔を見合わせる。

 フィオナはナッシュに向き直る。


「ナッシュ様、あなたの望みは『一門の貴族として成功したい』でしたよね──今がそのチャンスだとは思いませんか?」

「チャンス……」

「国家転覆を企て、衛兵隊が逃げ出すほどの怪物になった公爵を打ち倒す──これ以上ない名声を手に入れる好機ではないですか?」

「……」


 静かにナッシュの顔色が変わった。

 どうせこのままでは死ぬ。ならば華々しく戦い、名声を得るほうが余程いい──そう思ったのか、先ほどまで悲壮感を漂わせていた目に、今は小さな炎が宿っている。


「メルさんの望みは『男らしい容姿を手に入れる』でしたね」


 今度はメルに向き合うフィオナ。


「霊薬は失われ、その望みを果たす手段はもうない──悔しくないですか?」

「悔しい……」

「あなたの望みを叶える手段を、横から取られて口惜しくはないですか? やり返したくなりませんか? ハラワタが煮えくり返っているのでは?」

「……」

「それなのにすごすごと引き下がるなんて、男らしくないとは思いませんか?」


 男らしくない──それはメルの心を焚きつけるキーワード。


「やってやる……やってやろうじゃねぇか‼ あの野郎を絶対にぶっ飛ばす‼」


 握りしめる拳に力が宿る。


「行くぞナッシュ!」

「おう!」


 二人はバルムントへと駆け出した。

 


 

 メルはバルムントの右側、ナッシュは左側へと二手に別れて回り込む。


「オラオラどうしたクソ公爵! 俺はここにいるぞ‼」


 喚き散らすメルにバルムントが気付く。

 すぐに固めた握り拳が振り下ろされる。

 それはさながら神の鉄槌──恐ろしい程の破壊力を秘めた拳が振り下ろされる。


「おっと!」


 間一髪、メルは振り下ろされた拳を避ける。メルなど片手で握り潰せそうな巨大な拳が、眼前で地面を打つ。

 轟音と同時に土砂が巻き上げられる。

 その音と衝撃の余波が、その威力を物語る。


(一撃でも受けたら死ぬ──!)


 内心で冷や汗を流しながら、メルは歯噛みする。


(さっさと配置に付けよナッシュ!)

 


 メルが注意を引き付けている間に、ナッシュはバルムントの左側に回り込み、冷静にバルムントを観察していた。

 メルへと繰り出される攻撃の合間に、バルムントの左腕を凝視する。


「あった!」


 ナッシュは感嘆を漏らす。

 バルムントの左前腕部に、縦筋の小さな傷がたしかに見えた。


『──バルムント公爵が変異する前、メルさんが彼の左腕に大きな傷を残しました。この変異が不完全な魔術によるものである以上、おそらく傷の再生・回復も不完全である可能性が高いです』


 脳裏に掠めるのはフィオナの示した勝算。


『左腕の傷を再度攻撃すれば、あのバルムント公爵にも攻撃が通じるはずです!』


 筋は通っている。

 だが確証はなかった。

 それでもフィオナの作戦に乗ったのは、合理的な判断によるものではない。ナッシュもまた、この極限の状況に酔っていた。


 雄々しく戦う自分に。

 そして勝利し、富と名声を得る未来に思い焦がれる──そんな熱さに追いたてられたのだ。


(こんな無茶な作戦に乗せられてしまうとは──)


 男を進んで死地に進ませる──フィオナはとんだ悪女かもしれない。

 ナッシュはそう思いながらも、今の自分を嫌いではないと思っていた。


「メル! 来い‼」


 ナッシュが叫び、それに応じてメルが駆ける。

 途中でバルムントが使っていた身の丈程もある大剣を拾う。

 ナッシュは自分の長剣を鞘に納めたまま、斜めにして固定する。まるで土台のように。ナッシュが鞘込めの長剣で造った土台に、メルは脚をかける。


 バルムントが振り向く。

 飛び上がるメル。

 その脚力に物をいわせ、空高く飛び上がったメルは、空中で大剣を振りかぶる。


「────くたばれぇぇぇぇ!」


 バルムントに向かって大剣が振り抜かれる。 

 左側に回り込まれてからの斬撃──バルムントは咄嗟に左腕で防御態勢を取る。しかしそれこそが狙い。

 空を切り裂き、大剣はバルムントの左腕にできた傷を、寸分過たずに直撃した。

 剣や槍の刃を弾いてきた硬質な表皮を、メルの振るう大剣は断ち切った。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッ‼」


 斬り落とされたバルムントの左腕から、夥しい量の血が流れる。


「やったか⁉」

「まだだ‼ 気を付けろメル!」


 切り落とされた左腕を庇いながらも、バルムントは着地したメルを丸飲みにしようと牙をむく。

 牛さえも一飲みにしそうな口が眼前に迫る。

 高所から着地したばかりのメルの体勢は崩れている──逃げられない。


(やべぇ‼)


 濃厚な死の気配に背筋に走る悪寒。


「メルさん‼」

「う────おおおおおぉぉぉぉx!」


 フィオナの声に我に返る。

 メルは逃げなかった。逃げるのではなく、剣を構えてそのまま前進した。ランスを構えるナイトのように、大剣の切っ先を真っすぐ前に向けて、全力で突っ込んだ。

 大剣の切っ先が、バルムントの喉の奥を貫き、脳髄までも切り裂いた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッ‼」


 絶叫とともにバルムントは悶え苦しみ、周囲をさらに破壊しながら血をまき散らし、最後には動かなくなった。


「メルさん⁉」

「無事か! メル⁉」

「──おう」


 フィオナとナッシュの悲鳴にも似た声が響く。その声に答えるように、倒れて動かなくなったバルムントの死骸から、血だらけのメルが這い出てくる。


「へへ──やってやったぜバカ野郎!」


 緊張の糸が切れたメルは、大の字になって空を仰いだ。

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