第21話 最後の仕上げ

 舞踏会の夜から数日が経過したが、私は未だ夢を見ているような心持ちだった。

 12年もの間、恋焦がれていた相手と直接言葉を交わし、見つめ合い、ダンスに誘われたのだ。

 布越しとはいえ、陛下の手がこの体に触れたのだ。

(ガレマ11世国王陛下……)

 ベッドの上で身悶えする。思い出すほどに、胸が切なく締め付けられる。頭はシャンパンにすっかり酔わされたように、うまく回らなかった。

「ミューリ」

 ノックの音と共に、カイルの私を呼ぶ声が聞こえて来た。

 部屋に入って来たカイルは、一つの封筒を手にしていた。

「王宮から、お前にだ」

 ベッドの上で身を起こし、受け取って中身を確認する。

 王妃から、女官として王宮に入るようにとの要請だった。

「やったな、ミューリ」

 カイルもベッドに腰かけ、私の髪を撫でる。

「ついにここまで来たぞ。王宮に入れば、陛下が部屋を訪れることもある。つまり、お前は陛下と恋ができるんだ」

(陛下と、恋が……)

 カイルは歯を見せて笑い、私の顔をのぞき込む。

「どうした、もっと喜べよ。お前の夢だったんだろう?」

「う、うん。でも……」

「でも?」

「なんだか、怖くて……」

「アホ」

 カイルは私の頭を軽く小突く。

「怖気づくなよ。お前は陛下からダンスに誘われた、王妃様から気に入られもした。あとは飛び込むだけなんだ。ここまで来て尻尾巻いて逃げるなんてありえないだろう?」

「そう、だけど……」

 長年の恋が実るかもしれない、それは本当に嬉しい。

 だがそれ以上に、何か大きなものを失う気がしてならないのだ。

「カイル、私、やっぱり……」

「行けよ、ミューリ」

 その声の思わぬ固さに、瞬時に頭の奥が冷える。

 だが目を上げた先にあったのは、カイルのいつもの明るい笑顔だった。

「気を抜くな、ミューリ。公妾候補者はお前以外にもいる。絶対に勝ちあがれ。そして」

 カイルの大きな手が、そっと私の頬に触れた。

「俺を出世させてくれ」

「……うん」

 私はカイルの手に自分の手を重ねる。

「その約束で結婚したんだもの。わかってる」



 夜が訪れた。

 すっかり眠る準備を整え、ベッドに入ろうとした時、控えめなノックの音が聞こえて来た。

「誰?」

 扉が開くと、カイルが滑り込んでくる。

 カイルは慎重に扉を閉めると、歩み寄ってきた。

「何? こんな夜更けに」

 カイルは怖いほど真剣な眼差しをしていた。

「ミューリ、俺はお前を抱く」

「!?」

 私は息を飲み、飛び退る。

「急に何を?」

「王宮に入るのに、処女のままだとまずいだろう」

(あ……!)

 この国では、既婚者同士であれば『大人の自由恋愛』とされるが、未婚のものに手を出せば国王とはいえ罪になる。

「俺たちは結婚をしているから、お前は人妻で間違いない。ただ、そうなるとお前が処女であることを王が不審がるだろう。それにお忙しい身の上の方だ。初めての女を一から手ほどきするのは面倒に思うかもしれない。ついでに言えば、技巧に優れている他の愛妾たちから後れを取る可能性がある」

「そ、そうね……」

 カイルに返事をしながらも、声が上ずる。

 そういうことを全く考えなかったわけじゃない。

 ただ、ロマンティックな恋を夢見ていたら、突然生々しい男女の現実を突きつけられ、落差に軽いショックを受けたのだ。

「……急に言われても、心の準備が必要だよな」

 カイルは頭をバリバリと掻くと背を向けた。

「まぁ、今すぐって話じゃない。王宮に上がるまで、まだ少し日がある。心の準備が出来たら言え」

 立ち去ろうとするカイルのシャツを、私は掴んだ。

「なんだ」

「お願いします」

「え?」

「今から、その、ねやのレッスンをお願いします」

 カイルが僅かに息を飲んだ。

 シャツを掴んだ私の手に、カイルはそっと触れる。

「……無理するな、ミューリ。指先、冷たいぞ」

「大丈夫」

「それに震えている」

「大丈夫、だから!」

 私は叫ぶように伝える。

「カイルなら、信用して身を任せられるから!」

「……」

 カイルがベッドに腰を下ろす。

 そして身を寄せると私の唇をそっと奪った。

「無理ならすぐ言えよ、ミューリ」

「……わかった」

 カイルの掠れた低い声に、私はうなずいた。



 その夜、私はカイルのしるしを刻まれ、カイルに満たされる幸せを知ったのだ。

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