第12話 水面に舞う

「俺は今から陛下を散歩道へと誘導する。お前は湖の中に入って待て」

「はぁ!? 湖の中に、入る!?」

「あの地点だ」

 カイルが指差したのは、散歩道から近い、湖面が木漏れ日を跳ね返し輝いている場所だった。

「そこでお前は……」

 カイルが私の耳元へ口を寄せ、作戦内容をささやいた。

「そんな、上手くいくわけ……」

「上手くやるんだよ、お前が。それとも陛下への想いは偽物か?」

「! 偽物じゃない!」

「なら、作戦開始だ。お前があの地点に到着したらマントを枝に掛けろ。それを合図に俺も行動に移る。ほら、行け」

(本当にこんなので上手くいくの?)


 私はカイルに言われた地点に到着すると、羽織っていたマントを枝に掛け、思い切って水の中へと足を入れた。

(少し冷たい。けど、慣れれば問題なさそう)


 どれほどの時が経っただろうか、こちらへ近づく二つの足音が耳に届いた。

「陛下にぜひ見ていただきたい景色がございまして」

 カイルの声だ。

 私は水音を立てぬようにそっと滑り降り、胸の辺りまで水に浸かる。

「ああっと、これはいけない。どうやら忘れ物をしてきてしまったようです。急いで取りに戻ってまいりますので、陛下はそちらの木陰にあるベンチでお待ちください」

 足音が一つ遠ざかる。

「ふむ、ベンチとはこれか」

「っ!!」

 心臓が跳ね上がった。低く深く甘い、陛下の声だ。土を踏みしめる足音がゆっくりと近づいてくる。

(もう少し、あと少し……)

 私は水の中で、うるさく高鳴る胸を押さえる。舞台袖で出番を待つ女優とは、いつもこんな思いをしているのだろうか。震える指を固く組み、私は物音に耳を澄ませる。

 やがて、ぎしりとベンチのきしむ音がした。

 カイルの立てた作戦通り、私はその瞬間を逃さなかった。


 パッシャア!


 私は大きく背を逸らし、両手で水をはね上げながら伸びあがった。水面にはねる魚のように。

「ぬっ?」

 陛下の驚く声が聞こえる。だが、私はそれに気づかないふりをする。

「ふふふっ」

 出来るだけ無邪気に笑いながら、私は指先で水面みなもをなぶり、飛沫を上げる。腰から下は水に浸かった状態で、ダンスをしながら。首の角度、腕の広げ方、指先の動き、視線の運び方、全てワッザーに教わった『妖精のような動き』を忠実に守って。

 飛沫が木漏れ日を跳ね返し、キラキラと輝く。

 カイルの仕立ててくれたドレスは、水に濡れても胸や腰が透けぬよう、工夫がされていた。それだけでなく、水の中でものびのびと動けるよう特別にあつらえられたものだと、この時になって理解した。つまりこれはただのドレスではなく、ドレスのようなフォルムの水着だったのだ。

 ひとしきり舞った後、私は水面をすべるように泳ぐ。顔を濡らさぬよう注意しながら。


「水の中は気持ち良いか」

 突如投げかけられた陛下の声に、心臓が口から飛び出しそうになる。

(は、話しかけられた!! 陛下が、私に!?)

 私は、初めて陛下の存在に気付いたように振り返り、口を押さえ目をしばたかせる。

「……あっ」

 ドレスは二重構造になっていて、外側の部分は水面に浮かび、妖精の羽のような形になる。

「こ、国王陛下……!」

 すっと目を逸らし、恥じ入るようなしなを作る。頬が赤くなっているのは演技ではないが。

「お、お恥ずかしいところをお見せしました」

「いや、構わぬ」

 陛下は目を細め、クックッと喉の奥で笑う。

「この美しい湖を司る、女神に出会ったかと思ったぞ」

「お戯れを」

「さぁ、我が手を取り上がってくるがよい。名は何と申す?」

(名前、聞かれた!!)

 陛下が私に手を差し伸べてくれている。ずっと触れたかった憧れの人の手。

 その手を取りたい、名前を答えたい。

 けれど私はカイルの立てた作戦に従った。

「私は……、湖の精霊でございます」

「うん?」

「失礼いたします」

 鏡の前で繰り返し練習した、一番の笑顔を返し、私は湖の中へと身を沈める。そして教えられたルートを通って物陰へと身を隠した。

「……」

「陛下、お待たせいたしました」

 カイルの戻ってきた声がした。

「いかがなされました?」

「いや」

 国王陛下の楽しそうな声が聞こえる。

「麗しい、湖の精霊に出会うたのよ」

「はぁ、湖の精霊でございますか」

 二人の足音が完全に遠ざかったのを確認し、私は船着き場へとよじ登る。

(これで、本当にいいのよね?)

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