第20話 恋焦がれていた人との邂逅

 王妃の元を離れ、私とカイルはバルコニーへと移動する。

 人目の届かない場所まで来ると、私はへなへなと手すりへ崩れ落ちた。

「緊張した~……」

「お疲れ」

 カイルは私の頭に軽くぽんぽんと触れる。

「漏らすかと思った」

「漏らすな」

「いやだって、王妃陛下は人間じゃないよ、女神だよ」

「確かにオーラ凄かったな」

 ピクニックの時は距離があったため、そこまで委縮することはなかったが。

「……あの人に並び立とうとしてるんだ、私」

 ぶるぶるっと身震いをする。

「私ごときが」

「まぁ、そう卑下するな。大勢の貴族が集うこの宴の席でも、お前はしっかりと輝いているぞ」

「カイルはそうやってすぐ適当なことを言う」

「適当じゃないさ」

 カイルの唇が、私の耳元に寄せられた。

「俺は嘘は言わん。ミューリ、お前は魅力的だ。自信を持て」

「っ!」

 カイルの低い声に背筋が甘く痺れる。反射的に跳ね起きた私にカイルはいたずらっぽく歯を見せ、室内へと戻っていった。「シャンパンを取ってくる」とだけ言い残して。


「ふぅ」

 私はバルコニーに肘をつき夜空を眺める。

(よく分からない……)

 それはカイルのことであり、自分のことでもあった。

 カイルは私を褒めてくれる。それはカイルが私に教えてくれた、『褒め方』に添った言葉に過ぎないのかもしれない。それでもたまに思うのだ。もしかしてカイルは私に愛情を注いでくれているのではないかと。

 一方の私も、カイルの言葉に心を乱されることが増えた。

(私が好きなのは、国王陛下なのに……)

 一つため息をつき睫毛を伏せた時だった。

「そこにいるのはいつぞやの湖の精霊ではないか?」

(え?)


 心臓が大きく跳ねた。背後から飛んで来たその声に、聞き覚えがありすぎた。

(まさか……)

 私はおずおずと振り返る。

「へい、か……」

「地上は息苦しいか? 湖に戻りたくなってしまったか?」

 子どもの頃から憧れ続けてきた人、結ばれたいと願っていた人が、今、目の前に立っていた。

(あ……)

 私は慌てて膝を曲げ、頭を下げる。

「よい、顔を上げよ」

 ふいに顎を捕らえられ、やや強引に仰向かせられる。目の前には整った顔があった。

「そなた、名を何と申す」

「ミューリ・キサットと申します」

 夢を見ているようだ。

 今、陛下の指が私に触れ、その瞳の中に私が映っている。

「ミューリ・キサット」

 低く甘い声が、私の名を呼ぶ。魔法にかけられたように、心が絡め取られたのを感じた。

「やはりそうであったか。近頃、芸術家の間で名高い子爵令嬢ミューリ・キサット」

「お、畏れ多いことでございます」

「ははは、どうしたミューリ嬢。湖でのそなたは余を翻弄する堂々たる振る舞いであったに。今はまるで子リスのように震えているではないか」

「も、申し訳……」

「だが、そこもまた初々しくて良い」

 陛下は背後をふり返ると、軽く手を振る。すぐに二つのシャンパンが運ばれてきて、一つを手渡された。

「再会を祝おうではないか」

 そう言うと陛下は中身をぐっと飲み干す。私もそれに倣いグラスを空にした。


「さぁ、噂のその唇で紡いでくれぬか。余を讃える言葉を」

(陛下を讃える言葉?)

 咄嗟のことで何も思いつかない。

(陛下は、月? ううん、太陽? それとも、世界?)

 どれもぴったり来ず、私はうつむく。

「どうした? 芸術家に恩恵を与える妖精、ミューリ・キサットよ」

「……いのち」

「うん?」

「我が命、そして我が愛、私を動かす力そのもの。それが陛下でございます」

「おぉ」

「尊きその声が、愛の深いその眼差しが、私の中に染み入り、指の先まで行き渡る。私を動かす熱い生命と力、それこそが私にとっての陛下でございます」

 この言葉は嘘じゃない。私の中で12年もの間抱き続けていた気持ちだった。

「なるほど、心地よい」

 陛下は目を細め、フッと笑う。そして流れるような動きで私の手を取った。

「一曲相手をしてもらおうか。ミューリ・キサット。シラーヴにインスピレーションを与えた軽やかな足取りを、余にも見せてくれ」

「お、仰せのままに」

「そのドレス、あの日の湖を思い出す色だな」

(あ……)

このドレスはカイルが用意したものだ。カイルはそこまで考えてこの色を選んだのだろう。


 陛下に手を取られ、私は再び室内へと戻される。

(あ……)

 柱の陰にシャンパンを二つ持って立つカイルの姿が見えた。

 目が合うとカイルはにっこりと笑う。

(カイル……)

 妻を奪われた夫の表情としては不自然だが、カイルに関しては何も不思議ではない。私が陛下に気に入られれば、カイルは出世の夢が叶うのだから。

 陛下の手が私の腰にかかる。曲に合わせ、私は大きく一歩足を踏み出した。

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