第15話 領内のお散歩

 ――あたしは、国王陛下のお嫁さんになるの!

 幼い私が、うっとりとコインを胸に抱く。

 ――無理だよ、ミューリ。だって陛下はもう結婚してしまわれたじゃないか。

 私より少し年かさのカイルが現実を見せる。

 ――するもん! 陛下のお嫁さんになるんだもん! もし出来なきゃ……

 幼い私は癇癪を起こす。

 ――悲しくて、死んじゃう!

 私の言葉に、少年のカイルは息を飲む。そして泣きじゃくる私を優しく宥めた。

 ――死んじゃだめだ、ミューリ。俺が君の夢をかなえてあげるから。



「ミューリ」

 私の名を呼ぶカイルの声に、はっと目を覚ます。

 見回せば辺りは真っ暗。

 私は書斎で読書しながら眠ってしまっていたようだ。

「大丈夫か?」

「うん。ちょっと転寝しちゃっただけ」

 カイルの手にした灯りが目に眩しい。

 私は目をこすり、伸びをした。

(なんか、懐かしい夢を見ていたような……)

 お腹が、クゥと鳴った。

「晩餐の時刻?」

「あぁ。いつまでも来ないから迎えに来た。義父さんも待ちくたびれてるぞ」

「いけない、急がなきゃ」

 立ち上がった瞬間、軽い眩暈を起こす。

「わわっ」

「ミューリ!」

 カイルが灯りを持ったのと逆の腕で、私を支えた。

「ごめん、ありがとう。ちょっと頭使いすぎたみたい」

「……」

 カイルは机の上に積み上げた本に目をやった。

「ウィヒッツ夫人のサロン以降、急に増えたもんな。作家関連のサロンへの招待が」

「うん。おかげで、読まなきゃいけない本が山ほど」

 作家関連のサロンに参加して、作者を前に「読んだことありません」はご法度だ。

「読書は嫌いじゃないけど、中には相性の良くないのもあるからね。そういうのは義務感で読むことになるから、どうしても眠くなっちゃうね」

「別に、全部のサロンに行かなきゃいいだろ。最近は招待の数も多いし、少し絞ったらどうだ?」

「そうね」

 私はカイルの肩に頭を持たせかける。

「でも、私の名が陛下の元へ届かなきゃ、カイルは出世できないでしょ?」

「え……」

「だったら、頑張るしかないよ」

「ミューリ」

 カイルの指が私の髪を優しく梳く。子どもの頃のように。

「明日、時間取れるか?」

「明日? うん、予定と言えば読書くらいかな」

「よし。なら俺と出かけるぞ」

 出かける?



「おお、カイル様だ!」

「カイル様、こんにちは!」

 翌日、私はカイルと共に馬車で出かけた。カイルが窓から顔をのぞかせると、領民は嬉しそうに声をかけてくる。しかもずいぶんフランクに。

「止めてくれ」

 カイルは御者にそう言うと、馬車を止めさせた。

「来いよ、ミューリ」

「えっ、何?」

 カイルは私の手を取り、共に馬車から降りる。

「おや、今日はミューリ様もご一緒でいらっしゃいましたか」

「あぁ、デートだ」

 カイルの言葉に、領民たちは微笑ましい顔つきになる。

「まぁ、仲のおよろしいことで」

「昔から、睦まじくていらっしゃいましたものね」

(えぇ……)

 領民たちの言葉に、なぜか頬が熱くなる。

(仲がいいって言っても、兄と妹みたいなものだったし。今だって、互いの目的のために手を組んでるだけだし)

 そんな私の気も知らず、カイルはグッと私の肩を抱く。

「長年の想いが通じたってやつだな!」

「ちょ、ちょっとカイル!」

「ははは、照れる顔も可愛いな」

「人前でこういうのは……」

「ん? なら二人きりの時にするとしよう」

 そう言いながら、カイルは私の額にキスを落とす。

「カイルー!」

 私たちのやりとりに、領民たちの間から好意的な笑いが起こった。

「あのっ、カイル様!」

 若い娘がオレンジを入れたかごを持って近づいてきた。

「カイル様の指示通りやり方を変えてみたら、こんなに大きく実りました。ありがとうございます!」

「おぉ、見事なオレンジだな。一つもらっていいか?」

「はい、どうぞお好きなだけ」

 カイルはかごからオレンジを取ると、器用に皮をむく。そして房を分け、その一つを口に運んだ。

「うん、美味い。口に入れた瞬間、甘い汁があふれてくる。実にみずみずしいな、これは」

「ありがとうございます」

「ほら、ミューリ」

 カイルはオレンジの一つを指先で摘まみ、私の口元へ持ってくる。

「口開けろ、美味いぞ」

「えっ、えっ?」

「うちの領民が精魂込めて作ったオレンジだ」

 見回せば、期待の眼差しが私に集中している。気圧されるように私は口を開け、それを受け入れた。

「美味しい!」

 思わず声を上げてしまう。甘く程よくすっぱい果汁が、口の中を優しく潤す。

「だろ?」

 カイルが得意げに笑う。

「採りたてのオレンジのおいしさは、やっぱ館では味わえないからな」

「こんなに香り豊かでみずみずしいオレンジ初めて」

 私はカイルの手にあるオレンジの房に目をやる。

「それ、半分ちょうだい」

「わかった、口開けろ」

「自分で食べるから」

「口開けないんなら、俺が全部食おーっと」

「あーっ、意地悪! ケチ!」

 私たちが子どものようにじゃれ合うのを、領民たちは笑って見ていた。


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