photograph.10 ≪7月28日-2≫

「アウトオブバウンズ! 白南はくなんボール!」


 ホイッスルと共に審判のコールが響く。

 ラインを越えたボールがコートサイドバナーに当たって止まった。


「ハァハァハァ……」


 肩を激しく上下させた柚木ゆずき先輩がそれを拾い上げる。

 第2クォーター、残り10秒。スコアは30-28でわずかに白南がリードしている。

 にも関わらず、一目でわかるほど先輩は消耗していた。

 それもそのはず。このクォーターが始まってから、相手オフェンスのほとんどを彼女一人で止めているようなものなのだ。


「柚木先輩すごい……」


 私は息をするのも忘れるほど、気迫のこもった彼女のプレーに圧倒されていた。

 もし先輩が居なければ、氷川ひかわ学院は今頃もっとスコアを伸ばしていただろう。

 とは言え両チームのスコアに大きな差はない。

 むしろ白南がどうにかしのいでいる、という方が正しいかもしれない。


「ディフェンスの負担がオフェンスに影響してる……」


 隣に座る小高こだか先輩の苦しげなつぶやきが耳に届いた。

 あれだけマンツーマンのフォローに入っていれば柚木先輩のスタミナがどんどん削られていくのは当然だ。

 攻撃の起点となる先輩の負担が増えれば、必然的にオフェンスにも響いてくる。

 さすがは県内ベスト4。個々のレベルが私たちより上だと思い知らされる。


「「残り5秒! いけー!!」」


 白南のオフェンスに味方ベンチからの声援が飛ぶ。

 緩急を付けたドリブルからインサイドへの切り込み。だがディフェンスに態勢を崩されたシュートはリングに弾かれ、それと同時にインターバルを告げるブザーが鳴った。


「ごめん、キョーコ。決めてあげられなかった」

「なーに謝ってんのさ。惜しかったよ」


 先輩たちがベンチに戻ってくる。

 ようやくおとずれたハーフタイムに、私は肺に溜まった空気を大きく吐き出した。

 8分。たったそれだけの時間だというのに1クォーターってなんて長いんだろう。

 ベンチから見ているしか出来ないことがこんなにももどかしいなんて。


「お疲れ様です、主将」


 私は他のベンチメンバーと共に駆け出し、疲れ切った選手たちにタオルとドリンクを手渡した。


「ありがと。やっぱり強いねぇ、氷川は」


 柚木先輩は受け取ったタオルを頭に被ると、ベンチに崩れるように座り込む。

 いつもの軽口を叩いてはいるが、まだ息が整わないのか肩が大きく揺れていた。

 びっしょり濡れた白いユニフォームからは、いくつもの汗が床にしたたっている。


「先輩……」

「柚木さん。第3クォーターはベンチ。いいわね?」


 先輩の疲労が濃いと見た宮下みやした先生――監督がそう告げる。

 ギリギリの攻防で主将が抜けるのはチームにとってかなりの痛手だ。

 それでも先輩を下げざるを得ない。

 監督としても苦渋くじゅうの選択なのだろう。

 先輩は下を向いたまま黙ってうなずいた。


「返事は……ってまぁいいわ。で、ポイントガードは小高さんお願い」

「わかりました」

「それから次のクォーターではフォワードも下げるわよ。椎堂しどうさん、アップして」

「えっ! あ、はい!」


 わ、私が試合に!?

 思ってもみなかった監督の指示に慌てて返事をした。


「一人あたま5分……ううん、3分でもいい。スタメンをローテーションで休ませるわ。椎堂さん、田島さん、渡辺さんの順番で投入していくわよ」


 なるほど。確かに3分なら私のスタミナでもなんとかなるかもしれない。

 フォワードの動きはここ三日間みっちりこなした。

 まだ氷川ほどの相手にどうにかなるレベルじゃないけど、手応えは感じてる。

 それに今は少しでもチームの役に立ちたかった。


「椎堂さん、ちょっと……」


 声の方を振り返ると小高先輩が手招きしている。

 どうしたんだろう?

 私はすすっと彼女のそばに近づいた。

 

「はい、なんですか?」

「あなたはボールを受けたら自分でゴールを狙いなさい」

「え、でもそれって……」

「黙って聞きいて。相手は一年であるあなたへのマークの優先順位が下がるはず。常に動き回ってフリーになる位置を探すの。私はそこへパスを出す。フリーならあなたのシュート率は決して低くないわ」


 小高先輩が力のこもった目でまっすぐ私を見つめた。

 期待されてる……と思っていいのだろうか。

 スコアではリードしていても、柚木先輩の抜けた後半の守りは間違いなく厳しくなる。おそらくすぐに追いつかれるだろう。

 大事なのは先輩たちが戻るまで大きく離されないこと。そのためには積極的にゴールを狙うしかない。


「わかりました。スリーでもミドルでも任せて下さい!」


 それがチームのためになるなら。

 私は、私が今出来ることを精一杯やろうと心に決めた。


「シュートもそうだけど、まずはフリーになることを意識しなさいってば、まったく。だいたいあなた、まだスリーは安定しないでしょうが」

「えへへ、意気込みです」


 つっこみに対して舌を出す。

 先輩の言う通り、練習でもスリーポイントシュートの成功率はそこまで高くない。監督からは体がまだまだ成長していないからだと指摘されていた。


「まあ本当を言えば、先輩にパスを出したかったのだけどね……」

「そんなの第4クォーターでいくらだってやればいいじゃないですか?」


 少しさみしげな瞳でつぶやいた小高先輩に、私はきょとんとした表情を返した。


「はあ? あなた監督の話聞いてたの? 私は繋ぎであって、柚木先輩が回復したら交代するに決まってるでしょ。だいいち私より先輩の方が上手いんだから」

「でも柚木先輩、前はすごいフォワードだったんですよね? だったらこのまま後ろに置いておくなんてもったいないですよ。それに小高先輩って、そのためにポイントガードになったんじゃないですか?」

「っ! どうしてあなたがそれを……」

「そんなの見てればわかりますよ。小高先輩、柚木先輩のこと好きすぎですし」


 それに今朝バスの中で柚木先輩が言ったことを考えれば、なんとなく察しがついた。こんなに先輩が好きなんだ。小高先輩も、彼女に自分のバスケをして欲しいと思っているに違いない。


「……そうね。ちょっと監督に話してくる」


 少し考える素振りをしてから背を向けた小高先輩を見ながら、柚木先輩は本当に人たらしだなぁと思うのだった。まあ私もたらしこまれた一人なのだけど。

 しばらくして監督と話しをしていた小高先輩が戻ってくる。


「10点。第3クォーター終了時点で相手のリードがそれ以下だったらそのフォーメーションでいくわ」


 吹っ切れたような小高先輩の顔に、さっきまでの寂しげな表情はない。

 この人もきっと一年間、この瞬間ときのために頑張ってきたんだろう。

 柚木先輩がフォワードとしてコートに戻れるように、と。


「だったら気合入れて攻めないと、ですね!」


 私は笑顔でそう答えた。


「ところで小高先輩って妙に私のこと気にかけてくれますよね。円陣のときのあれとか。もしかしてツンデレですか?」

「誰がツンデレよ! せ、先輩が可愛がってる一年生だから……ってだけよ」

「やっぱりツンデレですね」

「うるさいっ! ほら、アップにいくわよ!」


 後ろ姿に隠れて表情は見えなかったけど、きっとこの人は赤くなっている。

 そう思ったら、少し怖いと感じていた小高先輩がなんだか可愛く見えてきた私だった。


   *


「「また入った!」」


 バックコートの小高先輩から鋭く跳んできた絶妙なパスを受け、私はディフェンスの背後を取るミドルシュートを決めた。

 第3クォーター初めての白南側連続ゴール。スコアはこれで38-44。

 立ち上がりにスリーポイントを含む三連続失点で大きく逆転されたけど、私たちはなんとか食らいついていた。


「ナイスシュート、椎堂さん」

「ハァハァ……あ、ありがとうございます。先輩もナイスパスです」


 小高先輩の推測通り、氷川はクォーター開始直後、私へのマークを薄くしてボールマンに対しダブルチーム――つまり二人掛りのディフェンスを敷いた。

 そのせいで、白南はスティールやパスカットからのカウンターを許して連続失点に繋がったのだ。

 けどようやくその隙を突くことが出来た。

 それでもインサイド主体の私たちと、アウトサイドからのシュート力もある氷川では気を抜くとあっという間に離されてしまう。


「ハァハァ……きつっ」


 息が上がる。胸が苦しい。ほんの3分がまるで永遠に終わらないかのような感覚。

 先輩はこんな相手をあれだけのスコアで抑えていたというのか。

 やっぱりあの人はすごい。


「けどっ! 私だって!」

「「パスカット!!」」


 相手の背後からステップで前に出ると、カットした勢いのままにフロントコートまで一気に走った。


「「1on1だっ!!」」


 ディフェンスは一人だけ。

 勢いを止めるなっ、わたし!

 スピードに乗ったドリブルでサイドからペイントエリアまで一瞬で駆け抜ける。


「こいつ一年のくせにっ!」


 氷川の黒いユニフォームが併走してくる。

 私は慣性のまま左足から右足へと強くステップイン。

 相手の左腕がボールを奪うため懸命に伸ばされる。

 奪われまいとボールを両手で抱え直す。

 背番号が見えた瞬間――ここだっ!


「ロールターン!?」


 踏み込んだ右足を軸に体を半回転させ、私はんだ。


――バサッ


 手を離れたボールは、高い天井の照明にキラキラと照らされながら、弧を描いてゴールへと吸い込まれた。


「「ナイスシュート!!」」


 ボールがリングを通過すると同時に、アリーナを応援席の歓声が包んだ。


「はぁはぁはぁ……できた……」


 私は自分の放ったボールを見つめて呆然ぼうぜんと立ち尽くす。

 狙ったわけではない。ただ身体が自然と動いた。そんな感覚だった。


「っと、いけない! ディフェンス!」

「ちょ、ちょっ! 椎堂さん!」


 ほうけていた頭を振り払い、急いでバックコートに戻ろうした私を小高先輩が慌てて止める。


「タイムアウトだってば。審判の笛聞こえてなかったの?」

「えっ?」


 言われて振り返ると残り時間2分のところで時計が止まっていた。

 どうやら氷川側がたまらずタイムアウトを取ったらしい。


「って、えぇぇ!? もう5分以上も経過してるじゃないですかっ!」

あきれた……気付いてなかったの?」

「監督、3分だけだって言ったのにぃ……」


 どおりで時間が長く感じられたわけだ。

 実際長かったのだから。


「まったく……でもよく頑張ったわ。あとは私たちに任せなさい」


 そう言って小高先輩は腕を私の首に巻き付けて笑った。

 集まってきた他の先輩たちにも同じように囲まれながらベンチへと戻る。


「お疲れ、彩花」


 わざわざ立って迎えてくれた柚木先輩がタオルを差し出した。

 私はそれを受け取ると同時に、急に体の力が抜けたようにその場でへたり込みそうになった。


「っと! 大丈夫か?」

「先輩……ありがとうございます。大丈夫です」


 間一髪かんいっぱつ、先輩に抱えられて私はなんとか倒れずに済んだ。

 自分で思ってる以上に消耗していたらしい。

 練習ならもっと走れるのに……。


「ったく、やっぱあんたは私が見込んだ通り、根っからのフォワード向きだよ」

「あはは、そうなのかもしれませんね」


 優しく見つめる先輩の手を借りながらベンチへと座る。


「さぁて、後輩たちにこんなプレー見せられたら、先輩としては応えないわけにはいかないでしょ。瑠美るみ、後ろ頼める?」

「……!! はい、もちろん! 存分に暴れて下さい、先輩!」


 先輩の言葉に、輝くような瞳で小高先輩が駆け寄った。

 まるで子犬みたいだ。

 

「小高先輩、どれだけ柚木先輩好きなんですか、ほんと」

「い、いいでしょ! 別に!」


 私のちゃちゃに小高先輩は真っ赤になって反応する。

 やっぱり可愛い。


「ちょっと待ちなさい柚木さん! あなたは第4クォーターからって」

早織さおりちゃん。もう休憩は十分だよ」


 慌てて止めようとする監督を制止して、柚木先輩がコートへ向かう。


「さっきから出たくてうずうずしてるんだ」

「……はあ、あなたひざは大丈夫なの? 無理してるようならすぐ引っ込めるからね」

「サポーターした。もーまんたい」

「まったく……、わかったわ。でもつぎ試合中に早織ちゃんって呼んだらはったおすからね?」


 呆れた顔で宮下先生はその背中を押した。


「一年ぶりにキョーコさんの電光石火フォワード、見せてあげようじゃないの!」


 柚木先輩の啖呵たんかに合わせ、白南メンバーの掛け声が試合再開のホイッスルに重なった。

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