photograph.09 ≪7月28日-1≫

 早朝。

 私たち女子バスケ部は、『白陵南はくりょうみなみ中学校』のプレートを掲げたマイクロバス二台で、中総体ちゅうそうたいの県大会会場まで向かっていた。

 中総体――正式名称は〈中学校総合体育大会〉。毎年夏休み前から予選が始まり、地区大会、県大会を経て、夏の終わりには全国大会が行われる、いわゆる夏の大会。そして三年生にとっては中学最後の公式戦になる。

 今回、県大会まで進出したのは女バスだけで、予選を敗退した男バスは今日も学校で練習に打ち込んでいた。

 試合、見に来てほしかったな……。

 窓の外を流れる車を眺めながら、私は心の中で周防すおうくんが応援に来られないことを残念に思った。

 って、試合に出られるかどうかもわからないのに何を考えてるんだ、私は!

 公式戦だぞっ! もっと集中しなくっちゃ……。

 浮ついた気持ちを抑えつつ、バスの車内をちらっと見渡す。


「先輩。なんで私、三年生用こっちのバスなんですか」


 隣の席でのんびりとくつろいでいる柚木ゆずき先輩に私は抗議の声を上げた。

 朝、一、二年生用のバスに乗り込もうとしたところを「彩花あやかはこっちねー」と半ば強引に三年生用バスに連行されたのだ。狭い空間の中、先輩たちに囲まれて正直居心地いごこちが悪い。


「うん? そりゃ彩花がレギュラーだからに決まってるでしょ」


 足元のバッグからお菓子を取り出しながら、先輩は当たり前という顔をした。


「別に彩花だけ特別扱いしてるわけじゃないよ。こっちのバスはレギュラーがリラックス出来るようにって乗る人数減らしてんの。バス移動出来るのも県大会けんたいからだし」

「あぁ、なるほど……」


 確かによく見れば車内には三年の他に、ベンチ入りしている二年生の姿も見える。


「それに! レギュラーになったからにはやっぱり特別感がないとね。ほら、漫画とかでもレギュラーだけ別格扱いだったりするじゃん? 黒バスとか弱ペタとか王子様とかさぁ」

「いや私スポーツ漫画読みませんけど……」

「うそっ!? 見ないの? 全然?」


 ちぇーっと不満そうな顔をする先輩にジト目を向けた。

 けれどあまり効果はないようで、先輩は特に気にした様子もなく、私に向かって包みを開けたポッキーを差し出してきた。


「まあ彩花をこっちに乗せたのはそれだけじゃなくてさ。ちょっと話がしたかったんだ」

「? 話……ですか?」

 

 改まった言い方に、差し出されたポッキーをまむ手が止まる。

 私は神妙な面持おももちで先輩の顔を見つめた。


早織さおりちゃんから聞いたよ。フォワード転向受けてくれたんだってね」

「あ、はい。どこまで出来るかはわかりませんが、やるだけやってみようと思って」

「そっか、ありがとね。うん、今はそれでいいよ」


 私の答えに、先輩は満足そうに頷いた。


「でも宮下みやした先生にはオーダー考え直しだって愚痴られちゃいました」

「あはは、それはあたしも言われた。でも彩花をフォワードにしようってことは、瑠美るみとも相談して決めたことだから」

小高こだか先輩と?」


 私は後ろの席でイヤホンを耳に腕組みしながら目を閉じている小高先輩の姿を盗み見た。

 小高先輩は二年生のベンチメンバーで、三年が引退した後の主将候補だ。身長156cmの私より背が低いにも関わらず、三年生にも引けを取らない実力を持っている。スターターじゃないのは柚木先輩と同じポイントガードだからだ。


「最初は瑠美にも怒られたんだけどねぇ。誰もがあなたみたいに器用に出来るわけじゃないんです! って」


 その姿を想像して私は微笑ましい気持ちになった。

 クールで真面目な小高先輩は、柚木先輩とは正反対の性格だ。

 だからなのだろうか、先輩はいつも小高先輩に叱られてる気がする。

 二年生に叱られる三年生っていったい……。

 けれど二人が信頼し合ってることは、見ていればわかることだった。


「あの、先輩……ひとつ聞いてもいいですか?」

「何でも聞いてみたまえ。このあたしが答えてしんぜよう」

「真面目な話です。先輩は何でフォワードからポイントガードに転向したんですか?」

「あー……聞いたんだ? あたしがフォワードだったこと」

「はい……宮下先生から」

「むぅ、早織ちゃんめっ。って別に隠してるわけじゃないんだけどねー」


 先輩はいたずらがバレたときのような苦笑いを浮かべつつ頬をいた。


「それじゃあ、あたしが去年の地区大会決勝で怪我したことも?」


 私は「はい」とうなずく。


「そっか。転向した理由……理由ねぇ。まあ悔しかったからが一番大きいかなぁ」

「チームが県大会で負けたことが、ですか?」

「それもあるけど、最後の試合で先輩たちとプレー出来なかったことが、だね」


 そう言って先輩はふぅと息を吐き、座席に深く腰を沈めた。

 うつむき加減の顔を前髪がすっと隠して、表情は読み取れなかった。


「試合に出られなかったあの日から、あたしはあの場所に忘れ物をしたまんまなんだよ。だからそれを取りに戻らないと先に進めないって思ってる」


――柚木さんはその先輩の想いを受け継いだのね……。


 宮下先生が言ったことを私は思い返す。

 急に胸が苦しくなり、血液が熱くなるような感覚を覚えた。


「だとしても! ポジションまで変える必要なんて……!」


 想いを受け継ぐ。

 それは先輩をここまで支えてきた目標なのかもしれない。

 けど同時に、先輩をしばる呪いのようにも思えて、気付くと私は自分でも驚くほど大きな声を上げていた。

 先輩は小学生の頃からバスケをやっている。それもたぶんずっとフォワードで。

 バスケを始めて半年も経っていない私がポジションを変えるのとは意味が違うはずだ。


「彩花がまだ入学する前のことだから知らないのは当たり前なんだけど、三年が引退した後さ、チームの大黒柱がいなくなった女バスうちは結構ガタガタになったんだよね……」


 思わず感情的になった私を落ち着かせるように、先輩が私の頭を撫でた。

 優しい手の感触に、熱くなった血が少しづつ下がっていく。

 

「攻撃の軸が作れなくなってさ。練習試合にも何度も負けて、このままじゃとても県大会なんて無理だって思った。だからあたしがいなくなった先輩の代わりになるしかなかった」

「だからって……」

「まあ、いろいろ思うことがないわけじゃなかったよ。だけど何より、もう一度あの場所に立たなくちゃって気持ちの方が強かったから」

「それじゃあ先輩自身のバスケは……!!」

「……彩花も瑠美と同じこと言うんだね」


 私を見つめる先輩の目が、何かを懐かしむように柔らかいものへと変わる。


――それじゃあ先輩のバスケはどうなるんですかっ!

――私がポイントガードになります。今はまだ先輩の代わりは務まりませんが、いつか……いつか必ず、先輩がまたフォワードに戻れるように!


 小高先輩との間にどんなやり取りがあったのかはわからない。

 でも先輩はとても優しい目をしていた。


「そう言ってくれてありがと。でもあたしはコンバートしたことを後悔してないよ。やるべきことをやっただけ。それに、今年またこうやって戻って来られたことが何より嬉しいんだ」

「柚木先輩……」

「それもこれも去年ベンチで一緒に泣いたあいつらのお陰。だからね、彩花たちにも見せてやりたいんだよ」

「見せる……ですか?」

「うん。あたしたちがあの日見ていた景色をさ」


 先輩がいつもの人懐っこい表情で笑う。

 それはまるで太陽のようで、私はその笑顔をとても眩しく感じたのだった。


「ところでぇ!」


 そう言うと先輩は急に後ろを振り返る。

 

「あんたたち。さっきからなに必死に笑いこらえてるわけ?」


 先輩の声に私も後ろを振り返った。

 見ると私たちの真後ろの席にレギュラー陣が集まって、先輩の話に聞き耳を立てていた。


「っぷ! あはは! ごめん、もう無理!」 

「だってキョーコが柄にもなく真面目な話してるからおかしくってぇ」

「そうそう! ユズのキャラじゃないでしょー」

「ホントだよ。なーに一人で抱え込んだつもりになってんだこのやろー」


 聞き耳がバレたこともお構いなしに、先輩たちが一斉にお腹を抱えて大爆笑する。

 びっくりした。全然気が付かなかった……。 


「人の話盗み聞きしといてそれか! どいつもこいつもまったく……」


 顔を赤くした柚木先輩が、腕組みしながら自分の席にドカッと座った。

 不機嫌そうな、でもどこか嬉しそうな横顔に、つられて笑いがこぼれる。


「あははっ、先輩たちって本っ当に仲が良いですね」

「もう! 彩花まで!」


 笑い合う先輩たちの姿に、さっきまであったモヤモヤがすっかり晴れていたのを私は感じた。


   *


 さすが県大会と言うべきか。試合会場はプロバスケットボールも行われる立派なアリーナだった。

 開始時刻に合わせフロアへ入場して、私はその独特の雰囲気に圧倒された。

 高い天井。輝く照明。観客席には横断幕がはためき、各校の補欠や応援の生徒たちがあふれんばかり歓声を上げている。

 全国への切符を賭けて県内の強豪校が集まる館内は、すでに大きな熱気と張りつめたような緊張感に包まれていた。


「これが……県大会……」


 思わずごくりと唾を飲みこんだ。

 子供の頃に何度か参加したことがあるスポーツイベントとはまるで違う。

 こんな雰囲気の中、私なんかが先輩たちと一緒にプレーできるのだろうか。

 足手まといにならないかと、今更ながらに緊張で手に汗がにじんできた。


「さぁて、気合入れていきましょうか! みんな、今年こそ全国いくからね!」

「「はい!!」」


 円陣の中心で主将の柚木先輩がユニフォーム姿で大きな声を上げる。

 ベンチメンバーの私も、スターター五人の外側からそれを囲んでいた。


「緊張する?」


 私の不安を読み取ったのか、隣に立つ小高先輩が小声で囁きかけてきた。


「……はい、少し」


 手汗をジャージの上着でぬぐいながら答える。

 すると小高先輩は、黙って私の手に自分の手を重ねてきた。


「小高先輩……」


 名前を呼ぶと、先輩の切り揃えられたボブヘアがかすかに揺れた。

 バスケには不向きに思える小さな手の温もりに、不思議と緊張が薄らいでいく。


「はくなーん! ファイトー!」

「「オー!!」」


 柚木先輩の掛け声に合わせ、私たち全員の声がアリーナに響き渡った。

 初戦の対戦相手は私立の氷川ひかわ学院。昨年のジュニアウィンターカップで県内ベスト4になった強豪だ。

 試合開始のホイッスル。第1クォーターは白南ボールで始まった。


「まずは1本!」


 ボールを突きながら、人差し指を空に向かって掲げる柚木先輩。

 私はベンチから、祈るようにその姿を見つめた。


「頑張って下さい……先輩!」


 忘れ物を取りに来たと言った彼女の、一年越しの試合の幕が上がった。

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