photograph.08 ≪7月24日≫

 レギュラーに選ばれてから三日。

 私は基礎練習に加えて二、三年生に混じって練習する時間が多くなった。

 先輩たちとの練習は大変だけど、勉強になることばかりで毎日充実している。

 何だかんだ私はバスケが好きなのだと、改めて思った。


彩花あやかはポイントガードよりスモールフォワードの方が向いてるかもね」


 練習を見ていた柚木ゆずき先輩にそんな指摘をされたのは、私がハーフコートでのディフェンス練習をこなして一息入れたときのことだった。


「私がフォワードですか?」

「そ。今までポイントガードばっかやってたでしょ、彩花」

「そう、ですね。でも私フォワードやったことないですよ?」


 バッグから取り出したスポーツタオルで汗を拭きながら答えた。

 これまで何度か一年生だけの練習試合があったが、先輩の言う通りその全てで私はポイントガードをしている。

 スモールフォワードもポイントガードもどちらもポジションのことだ。簡単に言えばアウトサイドからの得点の要になる役割がスモールフォワード。比較的オールマイティな選手が任される。

 それに対してポイントガードは司令塔。後ろからコート全体に気を配って的確なパスを供給する役割で、コート上の監督なんて呼ばれたりもする。

 球技大会では矢野やのくんがポイントガードを担当して、クラスの得点力が格段に上がった。レギュラーチームでは柚木先輩が担っているポジションだ。


早織さおりちゃん――宮下みやした先生が彩花をポイントガードにする理由はわかるんだ。今年の一年の中じゃあなたがダントツで成長してるもん。チームの中心としてバックから全体を見られるポジションに据えておきたい。あたしが監督でも同じように考えるだろうね」


 私はまだポジションとか戦術とかの知識が足りない。

 だから先輩がそう言うならそうなのかなとも思う。

 

「彩花は誰より周りが見えてるし、自分のプレーよりもチームを優先して他の子のことも引き立てようとしてる。バスケ始めて半年もないのに、なかなか出来ることじゃないよ。いやぁ、さすがあたしが見込んだだけのことはあるね」


 けど、褒められてるはずなのになんだかしっくり来ない。

 いつもの先輩らしくない回りくどい言い方に、私は違和感を覚えた。


「えっと……」

「……だけどね、彩花は司令塔向きじゃない」


 少しだけテンションの下がった声。

 言った後で口を突いてしまった言葉を後悔するように、先輩はバツが悪そうに目を逸らした。


「それってどういう意味ですか……?」

「誤解しないでね。別に彩花の能力を疑ってるわけじゃないから」


 困ったような表情で微笑むその顔は、私にはなんだか痛々しげに映った。

 先輩はふぅと息を吐き、気持ちを切り替えるとばかりに両手を腰に当てる。

 

「あなたの強みは1on1でボールを持ったときの負けん気と、アウトラインからインに切り込むときのスピード。相手とマッチアップしたときが一番光る。反対に一旦目の前のことに集中すると、それに固執こしつしがち。性格的に前衛向きなんだろうね。だけど今の一年生に彩花をフォワードとして活かせるパス出し役がいない」


 だから私を仕方なくポイントガードにせざるを得なかった。

 本来は前をやるべきだ、と先輩は言った。


「彩花って一見クールそうに見えて、実は根っこの部分はもっと本能的で諦めが悪い性質たちじゃない?」

「本能的って、私は野生動物か何かですか」

「ごめんごめん、けなすつもりはないんだ。っていうかむしろめ言葉? ライオン系女子ステキ! みたいな」

「まったく褒められてる気がしませんが……」


 それにライオン系女子はたぶん意味が違うと思う。よく知らないけど。

 先ほどまでとは一転してまた軽い口調に戻った先輩に、私はジト目を向けた。

 まったくこの人は本当にしょうがない人だ。

 そうやってすぐからかって冗談のようにしてしまう。

 たぶん先輩なりに考えがあってこんな話をしていることぐらい、私でもわかる。

 

「褒め言葉だよ。スモールフォワードには少しぐらいが強い方が向いてるんだ。なんてったってエースだからね。この間の球技大会とかすっごく情熱的だったよ」


 彼女はそう言ってニヤっと笑った。

 柚木先輩、私たちの試合見てたのか。

 二、三年の部員たちはバスケに出られないから、てっきり別の競技で忙しくて来てないものだとばかり思っていた。


「だからさ、彩花。思い切ってコンバートしてみない?」

「ポジション転向……ですか」

「うん。まだ一年生だからポジションかっちり固まってるわけじゃないじゃん? それに私だったらもっと彩花を活かしてあげられると思うんだ」


 よかったらちょっと考えてみてよ。

 そう言い残し、先輩は練習に戻っていった。

 ガードからフォワードへの転向……。

 突然過ぎて、正直とまどいはある。

 中学バスケの場合、細かいポジションまではっきり決まってないことも多いけど、前か後ろかぐらいの違いはあった。

 私自身どのポジションが一番自分に合ってるかなんてわかっていない。

 けど先輩と同じようにチームの中心として活躍したいという気持ちはあるのだ。

 だから宮下先生にポイントガードを指示されたときも嬉しかった。

 先輩と同じポジション。チームの柱。

 私もあの背中を追いかけよう。そしていつか追いつくんだ。

 そう思っていたのに……。


――彩花は司令塔向きじゃない


 その言葉が、心の奥底で小骨のように引っかかっていた。


椎堂しどうさん、今日はもう基礎練習きそれんに戻っていいわよ」


 どれぐらいそうしていただろう。

 一年生の練習を見ていたはずの宮下先生の声で、自分が立ち尽くしていたことに気が付く。

 少し考えた末、私は思い切って先生に尋ねてみることにした。


「あの……ひとつ聞いていいですか?」

「何かしら?」

「私ってポイントガード向いてないんでしょうか」

「……柚木さんに何か言われた?」


 宮下先生には何か思い当たることがあるのだろうか。

 先輩の名前を出していないのに言い当てられた。


「……はい。ポジション転向しないかって。お前は司令塔には向かないからと」

「まったくあの子は……。来年のことは来年の主将に任せなさいって言っておいたのに」


 まるで手のかかる子供だといわんばかりの口調で先生はため息を吐いた。


「まあ彼女なりに少しでも何かを残したい気持ちで焦ってるんでしょうね」

「どういうことですか?」


 そして尋ねた私をベンチへ座るよう促すと、自分もその隣に座る。

 どう話したものかと迷った素振そぶりのあと、おもむろにこう切り出した。


「椎堂さんから見て、柚木さんってどういう選手に見える?」

「どういう……。コート上ではいつも落ち着いてて、頼りになるチームの司令塔、です」


 ふわっとした質問に思えたが、私は感じたままを伝える。


「そうね。でも彼女、元々は今みたいなプレースタイルじゃなかったのよ? もっとアグレッシブでがむしゃらで攻撃的な選手。そもそもポジションもフォワードだったしね。二年生の夏頃までは」


 意外でしょ、と微笑む宮下先生に私はうなずいた。

 知らなかった。

 先輩は最初からずっとポイントガードだとばかり思っていたから。


「私が赴任したばかりの女バスは今ほど強くなくてね。公式戦もひとつ勝つのがやっと。私も相当勉強したつもりだけどなかなか結果には繋がらなかったわ」


 昔を思い出すように、先生はゆっくりと語り始めた。


「そんなとき、柚木さんが入学してきたの。彼女はミニバスでもそれなりに有名な選手でね。一年生なのに他の誰より上手だったわ。もちろんすぐにレギュラーになって先輩たちに混じってプレーしていた。彼女の活躍で試合にも少しづつ勝てるようになっていったわ」


 知ってる? 中学バスケって選手次第でチームの雰囲気がガラっと変わるのよ。

 そう尋ねてきた先生に私は首を振った


「まあチームとしてまとまるまでには色々なことがあったけどね……」


 含みのある言葉で私はなんとなく察した。

 自分より優秀な存在が活躍するのが面白くないって人はどこにでもいる。

 それが年下となればなおさらだ。

 きっと先輩は嫌な思いもたくさんしてきたんだろう。


「そんな彼女にもすごくしたっていた一個上の先輩がいたの。ポジションはポイントガード。フォワードだった柚木さんとはいいコンビだったわ。一緒に全国へ行こうって、二人でよく話してた」

「全国大会ですか……」


 今の私には想像もつかない舞台だ。

 先輩がそんな大きな夢を持っていたなんて。


「柚木さんが二年生、その先輩が三年生のとき。二人のお陰もあって、女バスは創部以来初めて市大会の決勝戦まで駒を進めることが出来たわ。だけどその試合で柚木さん怪我しちゃってね」


 私ははっと息をのんだ。

 選手にとって試合中の怪我ほど悔しいことはない。


「平気、だったんですか?」

「幸い大きな怪我ではなかったんだけど、試合を途中退場したわ。残った部員の頑張りで決勝戦は何とか勝つことが出来たけど、県大会の試合に柚木さんが出場することは出来なかった。結果は一回戦敗退。相当ショックだったんでしょうね。彼女、何日もふさぎ込んでいたわ」


 聞いてるこちらの胸が痛くなってくる。

 慕っていた先輩との最後の公式戦がそんな終わり方だなんてあんまりだ。


「それからよ。柚木さんがフォワードからポイントガードに転向したのは。そのとき彼女と彼女の先輩の間でどんなやり取りがあったかは私にはわからない。でも……」


 先生はそこで一旦言葉を区切った。

 練習する柚木先輩の背中を、私は遠目で見る。


「きっと柚木さんはその先輩の想いを受け継いだのね……」


――柚木、あんたと一緒なら全国いける気がするよ

――絶対みんなで行きましょう、先輩!


 いつかあったかもしれないそんなやり取りが、遠くから聴こえた気がした。


「今でこそチームの主将で司令塔なんてやってるけど、あの子も根っこはフォワードなのよ。だからあなたに自分に重ねちゃったのね。椎堂さんにはもっと自由にバスケをして欲しい。そんな気持ちから居ても立ってもいられなかったんだと思うわ」

「自由に……」


 先輩は想いを受け継いだから、自分のバスケを捨てたのだろうか。

 ううん、きっとそうじゃない。

 夢を諦めなかったから、そうしたのだ。

 尊敬する自分の先輩と見た、全国大会への夢に少しでも近づくために。


「スモールフォワードやってみる?」

「はい、私やってみます」


 もう答えはわかってるとばかりに聞いてきた宮下先生に対し、私ははっきりとそう告げた。

 ちなみに先生からは後で、一年生のオーダー組み直しねと愚痴られたのだけど。

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