photograph.07 ≪7月22日≫
今日から夏休み。
と言っても部活は毎日あるからあまりお休みという気分はない。
違いと言えば授業がないことと、朝がゆっくりでいいことぐらい。
いつも通り制服に着替えて家を出る。
午前中なのにもう日射しが眩しかった。
遠くから蝉の声が聴こえる。
「よし!」
私はスポーツバッグを抱え直して気合を入れた。
中学に上がって初めての夏が始まった。
*
知ってしまった以上嘘をつくことはできないと思ったし、だいたい回りくどいのは私の性に合わない。
だから思い切ってこう伝えることにした。
「知ってる。けど、ごめん。私からは教えられない。知りたいなら本人に直接訊いた方がいいと思うよ。よかったら周防くん呼ぼうか?」
すると女子たちは慌てたように私を
さすがに本人を目の前に、直接尋ねる勇気はないみたいだ。
ちょっと意地悪な気がしないでもないが、私の平穏な学校生活の為にはやむを得ない。
それでも聞いてくるなら本当に周防くんに取り次いであげるつもりではあったけど。
お陰で終業式を迎える頃には、私にこの手のお願いをしてくる子はすっかり居なくなっていた。
「最初からこうすれば良かったぁ!」
「まあ
「あはは……おっしゃる通りです」
初夏の日射しの通学路を、他愛のない会話をしながら
夏休みはバスケ部の朝練がないから、普段と違ってこうして一緒に登校出来るのが少し嬉しい。
カバンに教科書が入ってないことも、いつもより気楽な気分にさせた。
「でもちょっと心配だなぁ……何もないといいけど」
「ん? 何が?」
「ううん、たぶん私の思い過ごし。気にしないで」
「そう? ならいいけど」
「そう言えばバスケ部って、夏休みの練習どれぐらい入ってるの?」
歯切れの悪い言い方が少し気になったが、彼女はこの話はおしまいとばかりに話題を変えた。
「ほぼ毎日。
「だいたい週四ぐらいかなぁ。土日はお休み。あとお盆も」
「いいなぁ。来週からはインハイ予選始まるし、三年の先輩は負けたら引退だから練習が厳しいのなんのって」
「運動部は大変だねぇ。じゃあどこかに遊びに行ったりは出来ないかぁ」
残念そうに笑う智紗。
それを見て、私は少し考えた後にこう切り出した。
「でも私もお盆はお休みだから、今年は一緒におばあちゃんの家に遊び行かない? 智紗のおうちの許可貰えたらだけど」
「え、いいの? 行きたい!」
一転して明るくなった表情に、もちろんと返した。
私の家族は毎年夏になると、千葉の館山にある祖母の家に帰省する。
小さい頃はよく智紗も誘って遊びに行っていた。
言うなら夏の思い出の場所だ。
「前に連れて行って貰ったの小五のときだよねぇ」
「そうそう。おばあちゃんも久しぶりに智紗が来るの楽しみにしてると思う。それにあの神社の花火、今年は上がるって言ってたし」
「ホント? じゃあ今から楽しみだね♪」
そう言って喜ぶ智紗に、私もお盆が来るのが待ち遠しくなった。
蝉の声が一段と大きくなるにつれ、古ぼけた校舎がだんだんと近付いて来る。
今年の夏は何かが始まりそう。そんな予感に胸が弾んだ。
音楽室へ向かう智紗とは更衣室の前で別れ、私は体育館のカギを開ける。体育館の中は完全に蒸し風呂状態だった。
急いで四方の扉や下窓を全開にすると、風通しがよくなったのか蝉の声がさっきよりも大きくなった気がした。
それでも館内の熱はすぐには抜けない。
着替えたばかりの体操服に早くも汗が滲んだ。
「うぇ~、熱気やばっ。これじゃ制汗剤いくらあっても足りないなぁ……」
「おはよう、椎堂」
独り言をつぶやきながらTシャツの
私は胸元から慌てて手を放して振り返る。
「お、おはよう」
ジャージにハーフパンツ姿の周防くんが、手にしたスポーツバッグを挨拶代わりにひょいっと持ち上げた。
出来るだけ意識しないようにと自分を言い聞かせて顔を見ると、彼の長い前髪が汗で額に張り付いているのに気が付く。
練習楽しみで走ってきたのかな?
顔もどことなく熱を帯びているような気がしないでもない。
そう思うと少しおかしくて、体の力が抜けるのを感じた。
「ふふっ。今日も暑いわね。髪、おでこに張り付いてる」
そう言って私は手にしたタオルを一枚彼に差し出す。
「げっ、うそ!?」
それを受け取った彼は慌てて前髪を直し始めた。
その様子がなんだか面白くて可愛い。
そこへ同じ一年の女バス部員たちが制服のままでやってきた。
「あ、周防くーん、おはよー」
「朝から会えるなんてツイてるー」
「夏休み中ずっと男バスと練習一緒だよねー」
私がいたことなどお構いなしとばかりに、彼はあっという間に数人の女子たちに囲まれた。
女バス内でも周防くんのファンを自称している子たちだ。
はっきり言って私はあまり仲が良くない。
はじき出されたことにムカっとした私は、一言いってやろうかと声を出し掛けたが、それより先に別の声が彼女たちを𠮟りつけた。
「ほら一年! こんなところで道塞いでないでとっとと支度してくる!」
見ると部長の
やっぱり三年生は
その迫力に、女の子たちは蜘蛛の子を散らすように慌てて更衣室へ走っていった。
「ちわっす」
「おはようございます、柚木先輩」
私たちは先輩に道を開けるようにして挨拶をする。
「おはよー彩花。あんた今日も早いねぇ。関心関心♪」
先ほどとは打って変わって軽い口調で笑う柚木先輩が、私の頭をわしわしと撫でてきた。
可愛がってくれるのはありがたいが、先輩のスキンシップはいつも過剰気味で困る。
「ちょ、髪くしゃくしゃになっちゃいますってば」
「どうせ練習中はもっとくしゃくしゃになるんだからいいでしょ」
「そういう問題じゃ……」
頭を押さえながら抗議したが、柚木先輩にはあまり効果はなさそうだった。
「そう言えば彩花ってさ、ちゃんとバスケ始めたの中学になってからって言ってたよね?」
「? はい、そうですけど」
突然の質問に思わずキョトンとする。
「じゃあ、頑張ってる子にはきちんとご褒美あげないといけないよねぇ」
「はぁ……」
意味ありげな先輩の笑顔の意味を私が理解したのは、その日のミーティングになってからだった。
「よし、みんな集合! これからスタメンとベンチ入りの発表をするよ」
顧問の
レギュラー発表。運動部にとってもっとも緊張する瞬間のひとつだ。
白南中女子バスケ部は運動部の中では一番人数が多い。その中でベンチ入り出来るのはたったの十五人。部員の半分にも満たないのだ。残りは試合に出ることすら叶わない。
「来週からの県大会メンバーだからみんなそのつもりで聞いてね」
その言葉に、三年生の中から唾を飲みこむ音が聞こえてきた。
彼女たちにとってはこの公式戦が最後の大会となる。
きっとすごく緊張してるんだろうな……。
いつか自分もあの立場になるのだろうか。
次々と読み上げられていくメンバー表を聞きながら、私は先輩たちの姿に未来の自分を重ねていた。
当たり前だがスタメンは三年の先輩ばかりだ。これまでの練習試合や春の公式戦とほとんど変わらない。ベンチメンバーには二年生もいたが、正直一年生が読み上げられることはないだろう。
そう思っていたとき。
「最後のひとりは
「え? わ、私ですか!?」
「返事は?」
予想外のことに思わず聞き返してしまった私に、先生の鋭い視線が飛んでくる。
「は、はい!!」
「まあ使うかどうかは試合の流れ次第だけど、一年のうちに総体の空気を間近で感じておきなさい。あなたにはこれから学年リーダーをやって貰うから」
大変だけど、期待してるわよ。
そう言った先生の言葉も、嬉しさと戸惑いの入り交じった感情が
「やったじゃーん彩花、レギュラーだよ。って、あたしが推薦しておいたんだけどね」
ミーティングが終わるとすぐに柚木先輩が近寄ってきて、私の首に腕を絡ませてきた。
「っと、柚木先輩……
「なんのなんの。まあ、彩花が頑張ってんのは知ってたからさ。来年のためにもいい経験になるかなって思ったんだ」
そう言った先輩の声には、どこか寂しげな色が
ちゃんと見てくれていた。そのことに嬉しさを感じる反面、大会が終わればこの人はいなくなってしまうという現実を改めて実感する。
来年……。
先輩は自分のことだけじゃなくて、自分が居なくなった後のことまで考えている。
それはきっとすごいことだ。
果たして二年後の私は、この先輩のようになれるのだろうか。
「その代わり! これからは一年じゃなくてレギュラーとして扱うから、そのつもりで覚悟しておくこと♪ わかったぁ?」
「うぇ……わかりましたぁ」
「声が小さーい」
「わかりましたぁ!!」
からかいながら意地の悪い笑みを浮かべる先輩が、このときの私にはとても大人びて映った。
*
『(彩花)レギュラーになったよ。まだベンチだけど』
『(
『(彩花)ありがと……』
『(陽太)俺も負けてられないな。お互い頑張っていこうぜ』
『(彩花)うん……そうだね』
『(陽太)何? 嬉しくないの?』
『(彩花)嬉しいよ。だけど先輩たち見てたらちゃんと出来るか不安で』
『(陽太)あぁ、それな。わかる。でも椎堂なら大丈夫だって』
『(彩花)どうしてそう思うの?』
『(陽太)だって椎堂がずっと努力してるの知ってるから』
「~~~~~~っ///」
LINEの文面に私は思わず抱きしめていたクッションに顔を埋めた。
お風呂上りにリビングのソファで寝そべり、ひとりバタバタと身悶える。
両親はすでに寝ていて、姉も部屋に戻っていた。
最近周防くんとぽつぽつメッセージをやり取りするようになってわかったことは、彼が天然のたらしだということだ。
女の子が喜びそうなことをさらっと言ってしまう。
「し、心臓に悪いんだけど……」
彼に好意がある子だったら簡単に勘違いしてしまうんじゃないか。
もう一度文面を見直してそう思った。
正直やめて欲しい。
周防くんはただ友達とLINEしてるだけなのに、私だけが変に意識してしまっているみたいで恥ずかしくなってしまった。
自意識過剰か!
私は友達として、彼との距離を適切に保つよう気を付けなければならないのだ。
レギュラーになった以上、恋愛なんかにうつつを抜かしてる暇はない。
でも……。
「ふふっ、嬉しい……」
スマホを両手に抱えながら、なんて返信しようかと考えると、私の心はやっぱり弾むのだった。
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