photograph.06 ≪7月6日≫
球技大会が終わって一週間。
私はある事象に悩まされていた。
それは……。
「お願い
「この通り!」
昼休みの時間。
私を廊下に呼び出した女子二人が、神社に拝むように手のひらを合わせてそう言った。名前はよく知らない。隣のクラスだった気がするけど話したことはない……と思う。
神様じゃないんだけどな、私。
彼女たちの姿に、心の中で大きなため息をついた。
ここ最近、休み時間の度にこの調子だ。
他のクラスの女子が入れ替わり立ち替わり私を呼び出しては、こうして頼み事をしてくる。
これでもう何人目だっけ?
正直そろそろうんざりしていた。
切実な表情で頭を下げる彼女たちを横目に、私はちらりと教室の中を見る。
視線の先には
彼女たちの目的は彼だ。
はぁ……。
二度目のため息をもらし、二人に視線を戻す。
いい加減この状況をどうにかしないと、私の身が持たなくなりそうだった。
「いったいなんなのよ!……どいつもこいつもぉ」
教室に戻った私は、体を投げ出すように机にうつ伏せた。
周防くんたちの姿はもう教室にはない。
「おかえり
「疲れた。やってられないわ……」
ぐったりした私の頭を、
「今月これで五人目だっけ?」
「今の二人入れたら七人目……。何でみんなして私に
彼女たちのお願いは全員同じもので、「周防くんの連絡先を教えて欲しい」だった。もちろん周防くんの連絡先なんか教えて貰ったことのない私はその全部を知らないと断っている。けど断ったら断ったで、今度は「なら椎堂さんから訊いて貰えないかな?」と言われるのだ。
「だいたい何で私が周防くんに……。そんなに知りたきゃ自分で訊けっての!」
「まぁまぁ……」
感情に任せて立ち上がった私を智紗が
「それはしかたないんじゃないかなー?」
その声が聞こえたのか、
「球技大会であれだけ目立てば、誰だって彩花ちゃんを通さないといけないかなって思っちゃうよー」
最近私を「椎堂さん」から「彩花ちゃん」と呼ぶようになった彼女の言葉に、私はキョトンとした。
「目立ったのは私じゃなくて周防くんでしょ?」
「彩花ちゃんも充分目立ってたよ? しかもいろんな意味で」
「私が?」
「あー、自覚ないんだね……」
いまいち的を得ていない私に松川さんが苦笑いを浮かべる。
「彩花は昔から、自分のことになるとにぶちんだからねぇ」
知ってたと言わんばかりに智紗がうんうんと頷いた。横で松川さんもなるほどと納得した顔で頷く。
私、何かおかしなことを言ったかな?
「あのね彩花ちゃん。上級生の男子相手に一年生、しかも女の子があれだけばんばんゴール決めてたら、そりゃ目立つと思わない?」
「あ……」
「それに、コートの上で周防くんとハイタッチしてたじゃない。こうやって何回も」
それを受けるように智紗が片手を挙げると、二人してパチンと手を叩きあった。
「そんなの
う……。
プレーに集中してたとは言え、それが
「で、でもあれは試合中のテンションでやっただけで、他に意味なんて……」
「みんなはそう思わなかったから、こんなことになってるんじゃない?」
「……おっしゃる通り」
こうして改めて指摘されると、自分がしていたことの恥ずかしさが今さらながらに込み上げてきた。
「彩花も立派な有名人だねぇ」
智紗のマイペースな発言が余計心に刺さる。
いつの間そんなことになってたのか……。
「そ、それにしたって、私じゃなく本人に直接訊けばいいだけだと思わない?」
それでも納得がいかない私は、松川さんに食い下がるように言った。
「それが出来たらみんな苦労しないって。相手は今や
「
「周防くん、女子たちの間じゃもうちょっとしたアイドル扱いだけど?」
「……そうなの?」
「うん」
知らなかった。
自分で噂好きだと公言する松川さんが言うと妙な説得力がある。
人気者になるだろうとは思っていたが、どうやら私の予想以上だったらしい。
「だから熱が冷めるまでガマンするか、それが嫌なら本人に言って直接対応して貰うしかないんじゃないかな?」
松川さんの言葉に軽い寒気が走った。
ガマンなんて冗談じゃない。
休み時間の度に呼び出されては、どうにもならないお願いを断り続けるなんてまっぴらごめんだ。
「周防くんに対応して貰うことにする……」
しゅんと肩を落とした私を、智紗がまたよしよしと慰めてくれた。
*
とは言ったものの、いざ周防くんにお願いするにしてもどう伝えたらいいか思いつかない。午後の授業中もずっとそのことを考えていたが、結局放課後になってもいい言葉が見つからなかった。
「周防くんって人気者ね! みんなあなたの連絡先を知りたがってるから教えてあげてよ」
「え? なんで?」
……そりゃそうだ。立場が逆なら私も同じ反応になるに違いない。なら……。
「あなたの連絡先を私に訊いて来る女子がいて、こっちはいい迷惑なんですけど!」
「わかった。椎堂に迷惑掛けないよう注意してくる」
いやいやいや! そんなことされたら私は確実にあの子たちに恨まれる。それこそ面倒なことになるだけだ。
難しい……。どうやって話すのが一番いいだろう。
「私もう部活いっちゃうけど、大丈夫?」
カバンを持った智紗が心配そうに尋ねてくる。
もう少し考えたかった私は右手だけでいってらっしゃいと手を振った。
智紗を見送った教室にはもう誰もいない。
気がつくと時計は16時になろうとしていた。
私もそろそろ部活に行かなくちゃいけない時間だ。
考えがまとまらないまま荷物を持って立ち上がろうとしたとき。
――ガラッ
「あれ、椎堂まだいたのか。部活は?」
教室の扉を開けてジャージ姿の周防くんが入って来た。
――どくん
「こ、これから行くところ! 周防くんこそどうしたの?」
考え事の相手が急に現れ、心臓の音が高まる。
無意識に声が上ずってしまった。
ヘンな風に思われてないよね……。
「スマホ取りに来た。
「そ、そう……」
うちの学校ではスマホは朝に回収されて帰りに返却される。部活中は自己管理だからなくなったら大変だ。
「あったあった」
周防くんは見つけたスマホをひらひらと掲げた。
「あ、周防のスマホ、もしかして私のと同じ機種?」
「俺、iPhoneの黒。椎堂も?」
「私もiPhone。色は白だけど」
私はカバンからまったく同じデザインのスマホを取り出して見せた。
「お
そう言って私のスマホを覆う透明ケースに描かれたペンギンのイラストを指差した。以前、都内の水族館に智紗と遊びに行ったときに買ったお気に入りだ。
「うん、割りと好き。可愛いし」
「へぇ、俺そういうケースしてないけど、いいな」
見れば彼のスマホにはケースらしき物が何もなく、本体の所々に傷が付いていた。
「ケース嫌いなの?」
「そういうわけじゃないけど、ただなんとなく」
「ふぅん……」
その様子から、特にこだわりがあるようには感じられない。本当になんとなくなんだろう。
「そう言えば俺、椎堂の連絡先知らないな。LINEやってる?」
「え? うん、やってるけど」
「じゃあID交換しようぜ。スマホ貸して」
何気なく差し出された彼の手に、また心臓が大きく跳ねた。
彼の言葉や行動に、私の心臓は最近反応し過ぎている気がする。
「う、うん……いいけど……」
待って……本当にいいの?
もしそれを交換してしまったら、私は彼女たち対してもう知らないと言い訳出来なくなってしまうのではないか。
頭の中で訪ねてきた女の子たちの顔が浮かんだ。
私はぎこちない手付きでロックを解除してから、おずおずとスマホを渡す。
受け取った周防くんは、慣れた手付きで私のアカウントを友達登録をした。
――ピロリン♪
それは、私のスマホに初めて男の子の名前が登録された音。そしてみんなが欲しがっていた音だ。
なんで彼はそんなに自然なんだろう。
意識しちゃってるのは私だけ?
他の子にも同じことしてるの?
いつもは考えない、余計なことが頭を巡る。
「これでよし、と。はい、返す」
「うん……」
受け取ったスマホを見つめる。
後ろめたさにチクリと胸が痛んだ。
「そういや最近やたらLINE教えてって聞かれるんだよな。めんどくさいから教えてないけど」
直接訊きに行った子もいるんだ。
それもそうか。
あれ? ならどうして……。
浮かんだ疑問が口許まで出掛かる。
「あ、椎堂は別な。いつも世話になってるし、夏休み中も部活のこととかでいろいろ連絡するだろうからさ」
私の言葉よりも先に、周防くんはそう言って笑った。
「やべ、そろそろ戻らないと怒られる。椎堂も早く行った方がいいぜ」
「うん、ありがと。私もすぐ行くから」
周防くんを見送ると、教室にはまた誰もいなくなった。
手には彼の連絡先が登録されたスマホ。
私はしばらくの間、それをぼんやりと見つめ続けていたのだった。
*
その日の夜、私は湯船の中で周防くんの言葉をリフレインしていた。
――椎堂は別な。
周防くんはどういう意味で言ったんだろう。
彼にとって私は特別、なのかな……。
じゃあ私にとって周防くんは……?
いくら考えてもその先の答えは見つからない。
話していて、他の男の子とは違うような感覚はある。けど何が違うかと聞かれると、まだよくわからなかった。
「ダメだ……のぼせそう……」
出口のない思考だけが頭をぐるぐる回る。
鏡を見ると頬がいつもより赤い。
本格的にのぼせてしまう前に、私はお風呂から上がることにした。
パジャマに着替えてリビングに行くと、同じくパジャマ姿の姉がソファで台本を読んでいた。
「お姉ちゃん、ドライヤーお願いしていい?」
「いいわよ。こっちきて」
そういって自分のいた場所に私を座らせる。
しばらくはドライヤーのファンの音だけがリビングに響いた。
一日の終わり。
お風呂上がりに私はいつもこうして姉に髪を乾かして貰っていた。
それはお互い今日あったことを共有する時間でもある。
それぞれが別々の中学に通うからこそ、私はこの時間を大切に感じていた。
でも周防くんのことだけはあまり話していない。
どう説明すればいいのか、自分でも整理出来ていないのだ。
「学校で何かいいことあった?」
姉の唐突な質問に意表を突かれた私は、手に持っていたスマホを取り落とした。
「な、なに、突然? 別に何もないけど……」
落としたスマホを拾いながら、出来るだけ平静を装って背中の姉を振り返った。
「そお? だってさっきから画面暗いままのスマホ眺めて嬉しそうにしてるから」
「うそ。そんな顔してない」
「本当に?」
普段の天使みたいな顔とは裏腹な、面白いおもちゃを見つけたときのような悪戯っぽい表情の姉。
私はちょっとだけむきになって否定した。
「本当に! ただ部活で疲れただけだから」
「まあそういうことにしておこうかしら。はい、乾いた」
「……ありがと。私もう寝る。おやすみ!」
「ふふふ。はい、おやすみ」
姉から受け取ったバスタオルで顔を隠すと、深く追及される前にリビングを後にした。
「私、そんなに嬉しそうな顔してたのかな……」
部屋に戻って机の上の鏡を見る。
そこには、湯上がりで火照ったままの真っ赤な自分の顔が写っているだけだった。
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