photograph.11 ≪7月28日-3≫


 スポーツはとても残酷だ。

 一番努力した人が必ず勝つとは限らない。

 才能や環境に恵まれていたとしても、ちょっとしたアクシデントで勝利を逃すことだってある。

 どれだけ心の底からそれを望んだとしても。

 もし彼女の足が万全だったら、なんて仮定に意味はない。

 それはもうどうしようもないことで、取返しがつかないことなのだ。

 だから、いま私に出来ることを精一杯やるだけ。

 悔いが残らないように、次に繋げるために。


 スコアボードの表示は55-57。

 第4クォーター。2点リードされて残り時間はあと10秒。 


   *


 アリーナは大きな歓声と熱気に包まれていた。


「すげぇ! いいぞ、白南はくなん5番!」

「あれで中学生かよ! 信じらんねぇ! 全国区じゃねぇか!」

「きゃー! 柚木せんぱーい! かっこいー!」


 柚木ゆずき先輩をフォワードとした白南が、第3クォーターであっという間に氷川ひかわ学院を追い上げる攻撃を見せたからだ。

 流れるようなフェイントからのドライブ、フェイダウェイ、バックシュート。


「すごい……こんなに変わるものなの……」


 彼女の華麗なシュートに観客も私も思わずため息を漏らした。

 先輩の巧みなプレーはこれまで何度も見てきたけど、フォワードにポジションチェンジしてからは別人のような動きに一変していた。

 執拗しつようにマークするダブルチームをもろともせず、水を得た魚のように氷川ディフェンスを翻弄ほんろうする先輩。

 元々が司令塔なだけに、相手チームの連携の穴を突くのも上手い。

 パスコースを読んでボールを奪い、積極的にゴールを狙う。

 まるでそうすることが彼女の本能であるかのような、冴えわたるプレーの数々。


「もしかしてこのまま最後までいっちゃうんじゃない?」

「これはひょっとしたらひょっとするぞ!」


 そうした観客の声もあながち大袈裟おおげさとは思えなかった。

 そして両チーム同点で迎えた第4クォーター。

 開始から一進一退のシーソーゲームを繰り返しながら、ついに白南は柚木先輩のスリーポイントで逆転。スコアを53-52とした。

 これなら県大会優勝も夢ではないかもしれない。

 そう思っていた矢先、異変は突然起こった。


「ねぇ、柚木先輩の動き、ちょっとおかしくない?」

「うん、なんだか苦しそう。やっぱりひざ治ってないんじゃ……」


 二年の先輩たちの心配そうな声が聞こえる。

 膝って何の話だろう?

 けど言われてみれば、第3クォーターで見せた圧倒するようなキレが感じられない気がした。

 相手の慣れもあるだろうけど、少しづつディフェンスに足止めされる時間が長くなっている。

 試合時間は残り3分を切ったところ。


「また決めたぁ!!」

「いいぞ白南5番!」


 それでも柚木先輩はディフェンスの隙間を割るような強引な突破から、姿勢を崩しながらもまたゴールを奪った。これでスコアは55-52。氷川を突き放す。

 だがゴール直後、先輩はそのままコート上にしゃがみ込んでしまった。


「柚木先輩……!」


 膝を押さえて苦痛に歪む顔を見た私は思わずベンチから立ち上がる。

 だけど時計は止まらない。ファウルではないから。


「だからあれほど無理するなって言ったのに!」


 監督のイライラしたような声が後ろから聞こえた。

 数で不利になった白南ディフェンスに、氷川が一気に襲い掛かる。

 ようやく立ち上がった柚木先輩が、明らかに右膝をかばいながら走り出そうとしていたが、氷川のオフェンスにはとても間に合いそうにない。


「やらせないっ!」


 シュートさせまいと必死の形相ぎょうそう小高こだか先輩が懸命にボールに食らいつく。そしてゴールとの間に小さな体を割り込ませたとき。 


「プッシング! 白南10番! バスケットカウント!」


 相手の手からボールがリリースされた直後、シュートを止めようとした彼女の体が氷川選手と接触してしまったのだ。

 審判のジェスチャーに呆然と立ち尽くす小高先輩。


「うぉぉぉ! 氷川のバスカン! 決めれば同点だ!」


 バスケットカウントはゴールの他に、相手にフリースローが1本与えられる。

 決められれば3点。また追いつかれてしまう。


「うそ……、小高先輩がファウルなんて……」

「今のは狙われたわね。こちらが焦っていたのもあるけど、相手が止めにくると分かっていて、あえて一拍遅れてシュートを打つことでファウルを誘うの。上手いわ」


 だが監督の説明も今の私の耳には届いてなかった。

 ショックから回復していない様子の小高先輩に、足を引きずった柚木先輩が近づいていく。


「せ、先輩! 私……」

「どんまい、瑠美るみ。点はまた取り返せばいいさ」


 いつものように笑顔を見せているが、膝の痛みを我慢しているのが遠くからでもわかった。

 痛々しくて見ていられない。


「交代ね。あんなプレー続けさせたら去年の二の舞だわ」

「えっ!?」


 監督の言葉に私は息を呑んだ。

 昨年の地区大会決勝で柚木先輩が怪我をした話を思い出す。


「でもそれは大した怪我じゃなかったって……」

「それ自体はね。だけどあの子のセンスに、中学生の体が追い付いてないのよ。だから普段はポイントガードで後ろからのプレーにてっしさせてたけど、前衛でこうも全力だされると体への負担が大きすぎる。とにかくタイムアウトよ」


 氷川のフリースローがゴールネットを揺らすとともに、監督のタイムアウト要求でようやく試合が止まった。


早織さおりちゃん! ここで代えたら一生恨むよ!」


 ベンチに戻ってくるなり柚木先輩は、考えてることなどお見通しだと言わんばかりの剣幕で監督に詰め寄る。


「試合中は監督と呼べって言ったでしょ。まったく……。いい? あなたにはまだこれから先いくらでもバスケをする機会があるの。高校のスカウトも来てるんだし、ここで無理して本格的に身体壊したらどうするのよ」

「そんなのはそんとき考えればいい! 今この試合を戦う以上に大事なことなんてないよ! そのためにやってきた。お願い早織ちゃん、最後までやらせてよ!」

「柚木さん、あなた……」


 腕を掴んで必死に訴える柚木先輩に監督も言葉を失う。

 先輩の足の具合がどれほどのものか、私にはわからない。

 けれどれあがった膝を見れば、試合を続けられる状態でないのは一目瞭然だ。

 彼女自身の先のことも考えたら本当はきっと交代するべきなんだろう。

 なのに……。


「私からもお願いします!」

「あたしも!」「私もです!」


 いつの間にか三年生たちが柚木先輩を囲うように集まっていた。

 みんなが真剣な表情で先輩の手を握って監督にうったえかける。

 その光景を見たとき、バスの中で先輩が言った言葉が浮かんできた。


――それもこれも去年ベンチで一緒に泣いたあいつらのお陰


 忘れ物をしたのは柚木先輩だけじゃなかったんだ。

 去年この場所にいた全員が、同じ想いをこの場所に取りに戻ってきた。

 前の先輩たちからたくされた、夢という名前の忘れ物を。

 それに気が付いた私は胸が熱くなるのを感じた。


「あなたたちまで……」


 タイムアウト終了を告げる審判のホイッスルとともに、先輩たちはコートへ戻る。

 その姿を見送りながら、監督は大きく息を吐いた。


「感情に流されるなんて監督失格ね、私は……。けど、あの子たちのあんな顔見たら何も言えないじゃない……」


 誰に言うでもない監督のつぶやき。

 この先生がなぜ先輩たちに「早織ちゃん」と呼ばれて慕われてるのか、私にも少しわかった気がした。


 試合は再開した。

 先輩たちの想いが込められた最後のプレー。

 氷川のシュートがバックボードに弾かれる。

 それをリバウンドした白南が小高先輩にボールを回し、ロングパスで柚木先輩へと繋ぐ。だがパスを受けた先輩も膝の痛みから鋭い切り込みが出来ず、高さのでないシュートを氷川の堅いディフェンスに防がれてしまう。

 55-55の同点から1分間、どちらの側も得点することが出来ていなかった。

 ジリジリとした試合展開。

 だが均衡きんこうはついに終わりを迎える。


「しまった……!」


 3度目になる氷川のカウンターを防いだ白南ディフェンスが、またもや小高先輩へとボールを回そうとした瞬間を狙われたのだ。

 自陣ゴール下でのパスカットを許した白南に、氷川のシュートを再び止めることは出来なかった。


「氷川の逆転だぁ!!」

「これで55-57……」


 一段と大きくなった氷川学院サイドの声援で、私の声はかき消されてしまう。

 残り10秒。仮に次の攻撃でこちらが得点しても同点止まり。延長となれば氷川側が有利なのは明らかだった。

 ここで勝つためにはスリーポイントがいる。


「まだよ! 私たちは最後まで諦めない!」


 歓声の中にもかかわらず、柚木先輩のその声はベンチにいる私の元まで届いた。

 見ていられないと下を向いていたひかえの幾人いくにんかが、はっとしたように顔を上げる。


「当たり前!」「まだまだ!」「こっからこっから!」「絶対勝つんだから!」


 コート上の先輩たちの戦意はいくらもおとろえていない。

 顔も知らないかつての先輩たちも、彼女たちと同じ気持ちだったのだろうか。

 ううん、きっとそうだ。

 エースを怪我で欠いても、最後まで諦めずに戦ったに違いない。


――杏子キョーコ。私、諦めないよ。だからあなたも最後まで信じていて


 今ならわかる。なぜ柚木先輩が私をベンチに入れたのか。

 私だけじゃない。残される後輩たち全員に見せたかったのだ。

 自分たちが何を夢見て、何を目指していたのかを。

 その姿を、想いを、次に託すために。


「ああ、そうか……これが受け継ぐってことなんだ……」


 気付くと私の目には涙が浮かんでいた。

 そして力の限り叫んだ。


「せんぱぁぁぁい!! まけるなぁぁぁ!!」

「てりゃぁぁぁぁぁぁ!!!」


 全身全霊の雄叫おたけびとともに柚木先輩の体がスリーポイントラインで宙を舞う。

 残り時間はもうない。

 このシュートさえ決まれば。


 届け!


 私はただそれだけを祈った。

 その瞬間は何もかもがスローモーションのように見えた。

 先輩の手がバネのようにしなる。

 ディフェンスの懸命に伸ばした指先がかすかにボールの端をかすめた。

 わずかに軌道を外されたそれは、それでも大きな弧を描いてゴールへと向かう。 

 けれどリングの奥に当たり、上へと高く跳ねた。

 誰もがその行方ゆくえ固唾かたずを飲んで見守った。

 まるで運命の天秤てんびんを揺らすかのように、リングのフチを2度3度とバウンド。

 そしてゆっくりと、ボールはゴールの外へと落下していった……。


 もし彼女の足が万全だったら、なんて仮定に意味はない。

 こちらに背を向けたまま、天井を見上げる柚木先輩。

 ベンチからでは先輩の表情までうかがい知ることは出来なかった。

 胸が苦しくなる。

 それでも私は、あの後ろ姿を一生忘れることはないだろう。

 柚木先輩たちの夏は、こうして終わりを告げた。


   *


 試合後、渋滞にも巻き込まれずに学校へと戻った私たちは、監督の配慮もありすぐに解散という流れになった。

 時刻は18時過ぎ。夕暮れの太陽がまだ校舎をオレンジ色に染めていた。

 照明設備もない校庭に残っているような部活はひとつも見当たらない。

 遠くからはひぐらしの物悲しい鳴き声だけが聞こえている。

 ひとり学校に残った私は夕日に照らされたグラウンドを見渡していた。


「……誰もいないな」


 男バスもすでに練習を終えたのか、体育館の扉にもカギが掛かっていた。

 ぐるりと回り込んで、傍らにある小さな階段にジャージ姿のままで座り込む。

 雲間から差し込む西日がまぶしくて、私は目を細めた。

 帰りのバスの中、先輩たちに掛ける言葉をついに見つけることが出来なかった。

 スポーツの試合でこんな気持ちになったのは初めてだった。

 天井を見上げていた柚木先輩の姿を思い出してまた胸が苦しくなる。

 ふいに西日から私を隠すように、頭上に影が落ちた。


「椎堂? ひとりで何やってるんだ?」

「そっちこそどうして……」


 顔を上げた私の前には、制服姿の周防くんが立っていた。

 これから帰るところだったのだろうか。肩にはスポーツバッグを、手には体育館のカギを持っている。

 その姿を見た途端とたん、なぜだか私の中にあった感情がせきを切ったようにあふれだしてきた。

 泣くな私!

 そう自分に言い聞かせようとするが、みるみる目の前の視界が涙でにじんでいく。


「てっ!? おい、いきなりどうした!」

「うぅっ……試合……負け……ちゃった」


 泣き顔を見られたくない気持ちと力になれなかった悔しさがない交ぜになり、私は咄嗟とっさにジャージの袖で顔を隠した。

 そんな私を見て、周防くんは何を思ったのだろう。

 しばらく迷った素振そぶりの後、そっと頭に手をのせてきた。


「……ここなら誰も見てない」


 それは少し恥ずかしそうな、でも優しい声だった。

 オレンジ色の空が青から黒へと移り変わる。

 いつの間にか、ひぐらしの声はもう聞こえなくなっていた。

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それは、いつか恋に至るかもしれない青春のフォトグラフ 高橋めたる @naraku7104

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