第2話 護衛任務
「泥棒! ひったくり! ――誰か!」
そんな悲壮な声が耳に届く前に、舞架は既に犯人の操るバイクの進路上に身を躍らせている。同時に、ジャケットの内側に吊るしたホルスターから拳銃を抜いてもいた。
ネオンサインの散らばる街並み。月光よりも明るいオレンジの道路灯。
バイクのヘッドライトに浮かび上がるのは何物にも染まらない黒のスーツ。
蛮勇ともとられる行為をとったにしては細身で華奢と意外に映るかもしれない。けれど舞架のその眼光は揺らがず臆するところがない。
瞬く間にバイクとの距離が詰まる。比例して冷静さは増していく。
両手を伸ばし銃を構える様はまるで、前時代の遺産である大作映画のワンシーン。
今の時代、観客の絶対数が激減した為、CGではない実際の派手なアクションがふんだんに盛り込まれる大金を投じられた実写作品はつくられなくなった。
――――パンッ
軽い発砲音。続いてタイヤがアスファルトを擦る甲高い音に派手なバイクの転倒音。
遅れて到着した交通警備ドローン群が犯人とバイクを取り囲んで、逃亡阻止と交通整理をはじめた。
舞架は逃亡妨害の成功に舞い上がることなく、ただ一つ小さく息を吐いたのみ。
銃は手にしたまま、ドローンの間をすり抜け道路で呻く犯人へと歩み寄り傍に膝をついた。
そして近くに転がっていたそれ――手のひらに載るほどの小さな箱を摘まみ上げて立ち上がる。犯人が奪ったものだ。
中に入っているのは箱のサイズからして指輪かネックレスだろうか。
いや。それがたとえ何であれ取り返しただろう。
正義とはそういうものであり、正義は常に為されるべきだ。――そう、格好よく。
ようやく駆け寄ってきた被害者の女性の手に、そっとそれを渡してやる。
目を潤ませて感動する彼女。
状況は最高に整った。
そして自分は何か言葉を――そう、格好よく決まる格好いい科白を何か口にしようとして。いい感じにBGMも流れてきた――
ジリリリリリリリリリリ
BGMにしては全く盛り上がらない無慈悲なアラーム音が、いちばんいいところで意識を現実に引き上げた。
「――なんて夢を見たわけよ。あと五分、いいえ一分でも寝られていたら最高の朝を迎えられたのに」
10月4日。週明け月曜日。の東京都九区、朝の幹線道路で車を走らせる。
堂露木舞架はハンドルを握りながら、後部座席に座る同僚に一方的に今朝の愚痴を聞かせた。
護衛任務の開始前なので車は自動操縦にしても良かったが、運転技能向上のために手動のままだ。
あの夢のお陰で朝から気分が乗らず、ネクタイが曲がったり長さが不格好だったりで何度も結び直してしまったが、そこは意地でびしっと決まるまでやり直してある。
なにせ格好よく正義を成すなら見た目も格好良くなければならない。スーツは体型にフィットするものを、パンツにはセンタープレスを真っ直ぐに。身だしなみにも気を使い、凛とした顔を縁取る髪にはトリートメントを欠かさない。
着古したスーツを雑に気崩すのもそれはそれでありだと思わなくもないが、二十一歳の若造では不精に見えるだけで渋みも出せまい。
「はははっ、それはご愁傷様だね。ボクだったら二度寝して夢の続き見ようとするわ」
後部座席から返ってきたのはちょっと呆れまじりの楽しそうな笑い声、アルトのハスキーボイス。
バックミラー越しにちらりと顔を伺えば、お人形のように愛らしい顔立ちが派手に相好を崩していた。
悠月は女でもあり男でもあるのだ。
つまりは両性具有。今風に称すならヘルマフロディーテ、あるいは略してヘルマ。ギリシャ神話に出てくる両性具有の語源からの引用で、インフルエンサーの両性具有者が自らをそう呼称したことで広まった。
もともとごく少数存在していたが、それが世間的に普通に認知されるくらいには近年その数が明らかに増えていた。ウイルスが変異した影響だとか噂されてはいるが、はっきりとしたことは分かっていない。
上半身が男性で下半身が女性とか、両性ではなく無性とか、出方は様々だが、悠月が実際どういうふうになっているか、おいそれとは聞けずにいる。
「二度寝って、そんなことして仕事に遅刻したら格好悪いでしょ」
舞架が憮然として言い返す。その誘惑に駆られなかったかといえば嘘になるが。
「いや格好どうこうよりまず社会人としてどうって話だと思うけど。君の〝格好いい〟正義フリークは相変わらずだね」
「そりゃあ、格好よくて悪いことってある? ないでしょ」
「ないね」
悠月も即答。そうして気の知れた友人としばし笑い合う。
正義を為すのは正しい。
ならばどう為したって構わないではないか。
――昔、自分を助けてくれたあの人のように。
「じゃあ今日も格好よくお仕事こなすぞ!」
悠月が元気に声を上げ、舞架もそれにのる。
「おう!」
仕事は好きだ。大変だけどやり甲斐がある。
何しろ正義を為しやすい、つまり事件や困っている人に出会いやすい職場なのだから。
舞架と悠月はその会社に所属するボディガードだ。
人口の減少――つまりは労働力の減少を補うようにドローンが発達し、各種の警備も多くはドローンが担っている。だが柔軟さと咄嗟の判断力を求めて、人による警備もなくなることはなかった。
「じゃあもうすぐ
「はーい」
舞架が催促すると、悠月が軽く受けて通信端末を操作する気配に会話の声が続く。
二十九歳。女性。
この年齢で重要プロジェクトの幹部メンバーらしく、有能な研究者。溌溂として知的好奇心旺盛な人柄だ。護衛内容はその勤務先への送迎である。
幹線道路から横道に入り、彼女の住むマンションの玄関前に車をつける。悠月が一人で車を降りると部屋まで出迎えに行った。
櫻科二葉の住むマンションから更崎皿メディカルの最先端技術研究所までは車でおよそ五十分。住宅地から少し離れた場所にある。
事故も渋滞も事件もなく、予定通りに研究所に到着。許可証を警備ドローンに見せて小さな守衛所の前を通過し、敷地に入って駐車場で車を止める。
すぐに悠月が車外に出た。
そしてドアを大きく開けたまま手で押さえてもう片方の手を櫻科氏に差し出し、どうぞと促す。彼女はその手をとって車外に下りた。
「今朝もありがとうございました。ではまた夜にお願いします。ちょっと残業予定なので七時に」
週明け、月曜の朝だからか、今日はあまり声に張りがない。
「了解です。お仕事頑張ってください」
ここで終わればタクシーと変わらない。悠月は安全圏まで護衛するため、櫻科氏に付き添って車からゆっくり離れていく。舞架は櫻科氏のその背を視線で追う。
櫻科氏は生まれつき足が不自由らしく、杖をつきながら歩いていた。それでもこの送迎がはじまるまでは一人で電車と会社の送迎バスで通っていたらしい。
彼女はようやく駐車場の奥にある先程とは別の守衛所の横を通り、研究所の内側を囲む塀の中へ入っていった。
今車を止めている駐車場はもちろん研究所の敷地内ではあるのだろうが、実質的には敷地外である。研究所の外に来客用の駐車場を作りその駐車場をさらに塀で囲って、二重の塀になっているのだ。
「ここまでして見せたくない研究って、何なのかしらね」
つい言葉を漏らしてしまった。すると。
「あーあー。聞こえなかったことにしてあげる」
そんな揶揄い混じりの科白と共に、護衛を終えた悠月が車内に戻ってきた。舞架も茶化した口調で言い返す。
「何言ってるのよ。自分だって気になってるくせに」
「そりゃあね。だって普通ここまでする? 気にならない方が嘘ってものでしょ」
好奇心を隠さずに言ってのける。
けれど。
――研究の詮索を一切しないこと。
それが今回の依頼で示された禁止条項なのである。ボディガードとしてそれくらい弁えてるというのに、内容説明の際にしつこく脅迫染みた念を押された。
そしてその念を押してきたのは櫻科二葉当人ではない。この依頼は彼女からではなく彼女の勤める会社から出されたものなのだから。
護衛対象は彼女一人ではなく、とある開発プロジェクトの幹部メンバー合計六名。他の五人は別の者が護衛に当たっている。
依頼内容は幹部メンバーの通勤の護衛。依頼期間は9月27日から10月14日までのおよそ3週間、平日限定。今日は護衛としては休みを挟んで6日目だ。
――一体何を開発したというのか。
「どこかから脅迫でもされてるのかな? でないとわざわざこんな護衛つけないよね」
「だとしたら警察に届けるでしょ」
「警察って実害がないと動いてくれそうにないじゃない?」
「確かにそうだけど」
「あ、それともそれとも。逆に警察にばれるとまずい研究だったりしてー」
悠月が悪ノリしてふざけた調子でそんなことを言ってくる。
――こんな誰もが名を知る大企業が? まさか。
ちょっと黒い噂というか都市伝説的な話があるのは知っているが。
舞架は溜息混じりに同僚を窘めた。
「はい、これくらいにしとこ。車出すよ」
「はーい。長く停めてると警備ドローンに警告されちゃうしね」
研究は気になるが、護衛の最終日が開発された何かのお披露目に当たるのであれば、今禁止条項を無視して詮索することでもない。
舞架はシフトレバーを操作してアクセルを踏み、車を発進させた。
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