第9話 彼からの頼み事

 なかなか繋がらない通話に、むしろ直徒は安堵していた。

 舞架に頼む以外に選択肢がないわけではなかったが、ベストではある。

 そう、だからこれは舞架の声が聞きたい、会いたいとかいう理由のためで選んだのではない――などと自己嫌悪に陥らないための弁明をするが、わざわざ弁明をしているということに舌打ちする。

 まだ鳴り続ける呼び出し音。長く感じるだけで、実は然程待っていないのかもしれない。

 ――どうせ彼女が通話を受けることはないだろう。その方がお互いのためだ、それでいい。

 デスクの上のPCには十夜の暴走を止めるための算段を書き散らしたファイル。

 そのうちの舞架に頼む案を記したそれを閉じようと空いている手でマウスを操作し――通信端末の奥から聞こえてくる呼び出し音が不意に止んだ。

 ファイルを閉じようとしていた指先が寸でで止まる。

 ――あー出るのかー。

 こちらの気も知らず。

 直徒は手に持った通信端末を床に放り捨てたい衝動に駆られたがそれを抑え、平静に先手を取った。

「出てくれてよかった。

 実は君に頼みたいことがあってね。君にとっても悪い話じゃないはずだ」

 そうして依頼内容を告げていくのだった。


 通信端末越しのどこか淡々とした直徒の声が、一方的に舞架へ依頼内容を告げていく。

「少年の名前は吾座倉十夜。

 更木皿メディカルの最先端技術研究所に侵入して研究データを盗むつもりだ。それを止めてほしい」

「更木皿メディカル? ――なによ。この前は研究について何も教えてくれなかったのに、今度は関わっていいのかしら?」

 溜息をついたらしい息遣いが音だけで耳をくすぐるから、つい肩をすくめてしまう。

 だからそれを意識しないように、直徒の答えに注意を向ける。

「状況が変わったんだ、仕方ないさ。君は既に一度関わってしまっているから、新たに誰かを巻き込むよりはいい。嫌なら断ってくれ」

「格好悪い意地の張り方はしたくないわ。

 またあそこの情報が狙われてるの?」

 答えが返ってくる前に、舞架はふと察した。硬い声で問いを重ねる。

「またじゃなくて、まだ? その吾座倉十夜って少年――」

「だとしたら何の問題が?」

 それは遠回しな肯定だろう。

「――貴方は彼に情報漏洩をして欲しいの? して欲しくないの?」

「彼の身の安全が第一ってことさ。直接研究所に乗り込んだら、彼の身に危険が及ぶ」

 捕縛だけでは済まなそうな言い回し。あの研究所の内部は一体どうなっているのだ――と問い詰めようとしたのだが、口に出た科白は悲鳴を上げたくなるくらいに違った。

「私の身は心配してくれないのね」

 しかもごまかす前に直徒が言葉を返してくる。熱っぽい声で。

「俺が心配してもいいのかい?」

「いいえ結構! これでもボディガードなんだから鍛えてるわよ、今のはこんなこと頼もうとしてる貴方をからかっただけ!」

「…ああそうとも、俺も冗談だったとも」

「……………………」

「……………………」

 この空気!

 悠月がにまにまとこちらを見つめる視線に気づき、早く通話を終わらせなければと意識を元の依頼に引き戻す。

 先日情報漏洩を企てた少年を、今度こそ止める。

 少年とはいえ犯罪者を救うのか――と否定的な感情が頭を過ったが、犯罪を未然に防ぐことにはなる。それに。

「話を戻すわ。私はその少年を止めたうえで捕まえて警察に突き出すわよ。救うんじゃなくてね」

 だがあのときわざわざ少年を救いに来たこの男は、気を取り直したようで慌てることなく、むしろ余裕すら感じさせて言ったのだ。

「やりたいのならそうすればいい。

 あんな薄暗い中でフードを目深にかぶっていた少年が、本当に吾座倉十夜だと証明できるのならね」

「……………………」

 舞架は大きく溜息をついた。

「わかったわよ。なんであんなことをしたのか気になるところだし、あの少年を止めるのには協力する。

 だから詳しいことを教えて」

「感謝する」

 そうして直徒は説明をはじめた。

 明後日10月9日土曜日夜。更木皿メディカルの最先端技術研究所に忍び込んで情報を盗み取る。想定される侵入経路など――

「渡せる情報はこのくらいだ。じゃあ頼んだよ」

 一方的に通話を終わらせようとした直徒を、舞架は慌てて呼び止める。

「待って。吾座倉十夜に会えば、あの研究所が何をしているのか高確率で聞けるでしょうね。

 なら貴方から今聞いたって同じでしょ? 教えて」

 ずっと気に留めていることであったし、吾座倉少年を止めるにあたり、できるだけ情報を仕入れておきたい。

 けれど直徒は否定した。

「同じじゃない。

 俺から聞けばフラットな状態で判断ができないだろ?」

「………………。できるわよ」

 それは自分でも、負け惜しみのように聞こえてしまった。


 ようやく通話の終了操作をして、舞架は大きく溜息をついて脱力した。通信端末をバッグの中に放り込む。

 そこにひょいとビールのグラスが差し出された。どうやら悠月が注文してくれていたらしい。

 その気遣いはありがたくあるのだが。

 それを受け取って、程よい苦みの液体を喉の奥に流し込んでから、ぎろりと悠月をジト目で睨んだ。

 勝手に通話を繋げたことに対し、一応は文句の一つくらい軽く投げておこうかと思ったのだ。

 だが悠月は心外とばかりに頭を横に振って肩をすくめ、釈明をはじめる。

「舞架。キミが気付いてるのかどうか分からないから一応指摘してあげる。

 〈撫子〉の一目惚れは必ず双方向なんだから、鑑戸直徒だってキミと同じくらいキミに惚れてるはずなんだよ。

 それこそ、浮気性の浮気が治るくらいには心底惚れてるはず。そうでしょ?

 だったら浮気性だから付き合うのはやめようなんて、出まかせに決まってるじゃん」

「…なんでそんなことする必要があるのよ」

「わっからないかなー。そりゃ舞架の為でしょ。

 だって研究所の件からしてなんか怪しいところに足突っ込んでる人みたいだし。

 好きだからこそ遠ざけたいって奴だとみたね。

 そういう気遣いできる人みたいだし? 何かいろいろ込み入った事情がありそうだし?

 だからまぁ、ちょっとは後押ししてみてもいいかなって思ったわけさ」

 舞架は小さく嘆息する。

「――何の説明もなく遠ざけたいとか。そんなの余計なお世話だわ。勝手に決めつけないで欲しいわよ」

 悠月はしてやったりと笑う。

「だったら、直接会ってそれを言ってやりなよ」

 舞架はついそっぽを向き、唇を尖らせて答えた。

「依頼の件を片付けた後でも、まだその気があったらね」

「うんうん」

 悠月は満足そうに頷いて、けれど急に声を潜め真顔になった。

「そうだ、またあの研究所と関わるんなら、黙っていないほうがいいかな。聞き流しとくつもりだったんだけど」

「――なによ、思わせぶりね」

 悠月は舞架に寄りかかり耳に自分の口を寄せ、囁くように告げたのだ。


「…これでパートナーに赤ちゃんを抱かせてあげられるって喜んでたんだから。


 あの日、櫻科さんは車の中で、そう呟いてた」

「―――――なっ!? それ――っ!」

 舞架は間近にある悠月の目をまじまじと見返すが、冗談を口にしたようには見えない。

 それはつまり――その研究内容とは。

 人類の3分の2が子孫を残せなくなる世界を一変させた疾患、バックマン疾患の治療に関する類ではないのか!?

 世界中で研究され続け、それでもなお見つかっていない治療法。

 だとすればどうして直徒達はそれを妨害するようなことを企てている?

 悠月は舞架の困惑を見てとったのか、先にそこまで思い至っていたらしく低い声でとある可能性を告げた。

「もしあの研究所が悪いことしてるとすれば、医療関係なんだもん、ありえそうなのは人体実験、だよね」



 10月9日、土曜夜、20時過ぎ。

 舞架は通い慣れた道の途中、ブレーキを踏みこんで減速し、市街地の端に車を止めた。

 研究所までは車をとばしてあと15分ほど。

 長時間止めると不審がられるが、直徒に十夜の動きを連絡してもらっているので然程待たずに来るはずだ。

 念のため通信端末で道を調べるふりをしていると、バスが横を通り過ぎて行った。近くにバス停があるのだ。研究所まではまだそれなりに距離があるが、それが最寄りのバス停である。

 ならばもう少しで少年も現れるはずだ。

 その予想通り、街路灯に照らし出され、道の向こうから歩いてくる一人の少年の姿が見えた。あの日と同じようにパーカーのフードを深く被っていて顔はよく見えないが彼だろう。

 直徒はちゃんと正しい情報を回してくれていたわけだ。

 舞架は車から降りて十夜の前に立つ。

「吾座倉十夜ね」

 十夜はびくりとして立ち止まる。

「だ、誰だよ!? 俺をどうするつもりだ!?」

 とぼけて通り過ぎようとは思いつかなかったらしい。

 だから犯罪ができる性質ではないのに、どうしてまた研究所に忍び込もうとするのか。

 彼にそこまでさせる事情が、何かがあるのだ。

 ここで十夜を取り押さえ、無理やり車に押し込めてエンジンを掛け走り去れば、直徒からの依頼は果たされる。

 だが舞架は運転席の逆側に移動して、助手席側の扉を大きく開けてみせると十夜に向かって座った眼差しで告げた。

「研究所に忍び込むの、私にも手伝わせてくれる?」

「はぁ!?」

 驚いて身構える十夜。

 研究所で行われているかもしれない悪行。

 そこまで知って目を瞑ることなんてできない。

 それに。

 ――それが鑑戸直徒が立っている正義なら知りたい。

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