第10話 研究室

 やると決めたのだからやる。

 直前になって怖気づいて前言撤回とか格好悪い。

「この子の親の忘れ物を取りに来たの。だからこの門を開けてくれる?」

 更木皿メディカルの最先端技術研究所。その門の手前で車を止めに来た守衛ドローンに向かい、舞架は腹を括って運転席からそう要求する。

『閉門の時間です。翌営業日の営業時間内にまたお越しください』

「そこをどうにか融通させてよ。すぐに回収したいの」

『できかねます。閉門の時間です。翌営業日の営業時間内にまたお越しください。

 開門の時間は平日朝7時から夜22時となっております』

「だから融通が利かないわね。いいじゃない」

 しばし搭載AIを相手にクレーマーばりの押し問答を繰り広げる。

 感情機能が搭載されていないAIはキレることなく淡々と応答していたが、ついに。

『あと3分以内にお引き取り願えないのでしたら、警察に通報いたします。

 カウント3分前』

 最終宣告。

 大丈夫かと、舞架はちらりと助手席に視線を向ける。

 そこでは十夜が膝にノートPC――今時は紙のノートと変わらない薄さと軽量化がされている――を載せて画面を鋭く見つめ、いくつもウィンドウを出して操作していた。

 その間にもカウントダウンは進んでいく。

『1分前、59、58、5―――――』

 不自然に止まるカウント。

 再開することはなく、ドローンは車の前から移動していった。門も開き、中へと進めるようになる。

「お見事。大したものね」

「――俺は機械との相性がいいんだよ」

 褒めたつもりだったがあまり嬉しくはなさそうで、よくわからない科白を憮然として返された。難しい年ごろである。

 十夜が自分のPCからドローンを制御する無線通信に入り込み、ハッキングしたのだ。

 セキュリティシステムが入っていないはずはないので、かなりの専門知識がないとこんな芸当はできないだろう。

 完全に犯罪行為だが、ここはぐっと飲み込んでスルーする。

 舞架は車を発進させ、駐車場の隅に停車させた。

 監視カメラの制御も奪って映像を停止させてある。

 二人は車を降りると内側の門も同じ要領で開けて、研究所の内部へ侵入したのだった。

 いくつもの大きな建物が立ち並んでいるが、十夜は目星をつけていたらしい。迷わず端の一棟に進んでいく。

「そこまでハッキングの腕があるならそれで研究データを盗めばいいのに」

 その研究棟の裏口まで解錠した手並みを見て舞架が半ば呆れて言うと、十夜が答える。

「できればやってた。完全に独立したネットワークだから、外部からじゃ接続できないんだよ。

 研究部門はさらに別系統だから、こんな入口からじゃ届かない」

「それで直接繋ぐためにサーバー室を目指すわけね」

「その通り。――こっちだ。サーバー室なら研究室の類に比べたら人がいないだろ」

 通信端末に転送した見取り図を確認して十夜は走り出した。舞架もそれに続く。

 土曜日の夜、休日出勤している者がいないのはいいことだ。

 無人で静まり返る棟内。足元の常備灯だけが点いた薄暗い廊下に二人の足音が響く。

 そこに混ざる機械の駆動音。

 それは急速に大きくなり、行く手の先、廊下のほうから聞こえてくる。

 曲がり角の向こうから現れたのは大きな分厚い盾三枚。その間にはすり抜けられる幅もない。制圧重視の警備ドローン群だ。

 巡回中に当たったのか、それとも既に侵入がばれたのか。この場を切り抜けなければならないという点ではどちらも同じである。

「他の経路はないの?」

 怖気づいたのではなく、できれば双方の損害を軽微に抑えたいために舞架はそう問いかける。

「見つかった時点で侵入者の位置情報は共有されてるに決まってる。だったら最短ルートで早くサーバー室にたどり着いたほうがいいだろ。

 頼んだ。あのドローンへの指令通信を特定してる暇がない」

「仕方ない、任せて隅にいて。けど離れすぎないで」

 舞架は十夜の前に出る。その手には特殊警棒。

 ここからが自分の役目だ。

 真実までたどり着く。

 舞架はドローンから流れてくる警告メッセージを無視し、廊下を塞いで並ぶ盾に向かって駆け出した。

 ただの研究所にしては過ぎたセキュリティ。

 古いRPGのダンジョンに出てくる迫りくる壁のように迫ってくる盾。

 さらに進路を塞ぐだけではなく、前面のスリットから舞架の足元めがけ両端に錘のついた縄が投擲される。

 侵入者の足元に絡みつき引き倒すそれを、舞架は落ち着いて跳躍して躱した。

 このドローンの型にそういう機能がついていることは知っているので予想の範囲内だ。

 ボディガードとして働く舞架には、警備ドローンのスペックや取扱説明書だけでなく実際にともに警備した経験まであるのである。

 舞架は盾にぶつかる手前で特殊警棒を伸ばし、棒高跳びの要領で床につくと大きく跳んで盾を飛び越えた。

 そして後ろに着地すると盾が回転する前にすぐさま腰を捻り、後ろ回し蹴りで盾を倒す。

 ―――ガンっ

 行く手を阻んでいた盾はあっさりと倒れたのだった。

 群体で壁を作ることを主な用途として正面からの衝撃には強いが、それに特化しているので後ろからの衝撃には弱いのである。

 三枚のうち一枚が倒れれば壁は割れて走り抜けるスペースができる。

 配置を組み替える前に急いで倒れた警備ドローンを踏み越えて、十夜も壁を突破した。

 そのまま二人はサーバー室を目指して走り出す。

 目的地は最上階の八階。まだまだ油断はできない。


 階段室を見つけて一階から駆け上る。六階に差し掛かったところで階下から肉声の怒鳴り声が聞こえてきた。

「侵入者か!? 止まれ! 何が目的だ!?」

 不法侵入の感知によるドローンの自動出動あるいは巡回中のドローンの遭遇ではなく、もう警備員が状況を把握して動き出したのだ。

「止まれ! これは犯罪だぞ!」

「―――――――!」

 舞架は歯噛みする。

 その科白は常に自分が発する側だった。それを浴びせかけられる。

 だがその科白を口にしたものが必ずしも正しいとは限らない。

 それを確かめに行くのだ。

 舞架達は立ち止まることなく階段を上り続ける。何とか八階までたどり着くと防火仕様の重いドアを体当たり気味に開けて廊下に出る。

 幸いここまではまだ警備の手は回っていないようだ。

 長い廊下。研究所の広さが恨めしい。

「十夜君、今は時間が惜しい。下にいた警備員に追いつかれる前に手近な部屋で情報をとれない?」

「手前の部屋は実験室だ。土曜の夜だし、誰もいないことを願ってくれ」

 行き当たりばったりなことが否めないが、それでも実行する勢いがなければそもそもこんなことしていない。

 ギィンと音がして、目の前のドアの鍵が開く音がした。

 十夜が解錠したのだ。

 祈りつつすぐに部屋の中に入ると――耳につんざく大音声。

 すぐにアクセス可能なコンピュータを探さなければならないというのに、舞架は思わず足を止める。

「――ぎゃぁああっ、おぎぁあああ」

「――あぁぁ、ああぁ、あぁあ」

 それは嬰児特有の全身から発せられる泣き声。

「……なに、ここ……」

 舞架は茫然とつぶやく。

 NICU――新生児用の集中治療室。それがまず思い浮かんだ。

 新生児が寝かされた箱につながる数々の医療機器。

 だがここは研究所であって病院ではないはず。

 それでも箱にはいくつかの種類が数個ずつあるようで、それが病院ではなくバリエーションをつくって最適解を探す研究室なのだと思わせた。

 箱の一つで嬰児の世話をしていた白衣の研究員――看護師というよりは研究員――が振り向く。

 まずい――

 室内には研究員が一人きり。咄嗟に逃げようかと逡巡しかけたが、その研究員は見知った顔、櫻科二葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る