第11話 ストークスプロジェクト
「堂露木さん、どうしてここに?」
「それは――」
幹部研究員の送迎が中止になった後、彼らは研究所に寝泊まりしているという話だったから、そもそも土曜の夜だから社員はいないという推測の間違いに気づくべきだったのだ。
櫻科二葉は幸い悲鳴を上げたりはしなかったが、驚いて目を丸くしている。
どうにかして穏便に切り抜けたい。頭をフル回転させ言い訳を探していると、彼女は舞架から視線を十夜に移し、続けた。
「それに貴方――十夜君、よね?」
「……………………」
十夜は黙って何も言わない。
そういえば、彼はこの部屋に入っても驚く素振りを見せず、まるで元からこういう部屋があることを知っていたようだった。
確かに、研究に何かしらの縁がなければ、こんな子供がここまでして潰してやろうなどとは思わないだろうが――
十夜はシニカルに笑って言い返した。
「俺はあんたのこと知らないんだけどな。
俺が胎児の頃の顔でも覚えてた? 面影残ってるもんなの?」
「――貴方が家庭に引き取られてからの健康診断の結果を見たことがあるだけよ」
いくつもの種類がある箱型の医療器具。
その多くはよく見れば液体が満たされおり、その中に嬰児がどっぷりと浸かっている。泣き声をあげているのは液体のない箱に寝かされた嬰児だけ。液体に沈められた方は鼻すらも水面に出ていないというのに苦しそうな素振りはなく、その嬰児は――あまりにも小さすぎる。
十月十日、経っていない。
舞架はこの研究所がバックマン疾患の治療薬を開発したのだと推測していた。
けれど違った。
治療薬ではない。
男女少なくともどちらかが〈蓮華〉のカップルから生じた受精卵は、子宮に着床しないという症状。
それを根本から治す治療ではなく、ある意味、それに対する究極の対症療法。
――人工子宮。
合わないなら合うものをつくってしまえばいいという、単純で強引な解決法。
「こいつら、ある意味俺の弟妹ってわけ? 異母兄弟ってやつ?
同じ腹から生まれたけど、父親が違う、しかも母親まで違うけどな。
――ああ、胸糞悪い!」
脇に抱えたノートPCが小さく音を立てて軋む。
「俺はこんな機械から生まれたんだ! それでも俺は人間なのか!? 俺は一体何なんだ
!?」
悲壮な叫びが部屋に響き渡る。
彼もまた、あの箱の中から生まれたのだ。
舞架はこの少年がこの研究を潰したかった理由をようやく理解する。
そしてそれに手を貸した鑑戸直徒が掲げる正当性も。
この部屋にこそ数えられる程度しか機器は並んでいないが、これらが無数に敷き詰められた人間生産工場なんてSFじみた想像がどうしても頭を過る。
ただ、今はそれよりも。
己の出生に懊悩し震える拳を握る彼に、言葉が見つからないからと何も声をかけてやれないのは、格好悪くて情けない。
半ば口を開いたその時。
――リリリリリリ。
響き渡る電子音。櫻科氏が白衣のポケットから小型の通信端末を取り出した。社員向けの内線通信専用機だろう。
ここに侵入者がいることを伝えられたらまずい。
櫻科氏は舞架と十夜にちらりと視線を向ける。
手荒なことにはなるが通信端末を取り上げるべきか――
けれどその決断が下せぬままに、櫻科氏は通信端末を操作して通話を繋げてしまった。
「はい、櫻科です。
――ええ、今は第1実験室です。――部屋の状況ですか?」
今更妨害もできず、ただ彼女が口にする判断を待つしかない。
生唾を飲み込む。
「――いえ。異常はありません。では子供達が落ち着いたら戻ります」
そう答えて通信端末を頭から話すと、櫻科氏は通信を切った。
肩の力が抜ける。
どうやらここは見逃してくれるようだ。
けれど櫻科氏は杖を突きながらこちらとの距離を詰めてくる。そして十夜の方に歩み寄って、彼の頬に手を伸ばしたのだ。叩かれるのかと彼は身構えたが、その手は彼の頬をそっと包み、彼女は穏やかに語りかけた。
「ε型第10世代の子供達には、出生を知らせない取り決めになっていたはず。
それなのに知っているってことは、断片だけで聞きかじりの、良くない知り方をしたのね。
今までずっと育ててくれた両親とは血が繋がっていないというだけでも辛かったでしょう」
「―――――――――――」
十夜は睨む眼差しを揺らし、ただ息を飲む。
彼女はさらに驚くべき名乗りを上げたのだ。
「私は二葉、ε型第2世代。貴方が人間じゃないというのなら、私もそうなるわね。
けど、私は私のことを人間だと思ってるわ」
「あんたも――――!?」
「この子達が貴方の弟妹なら、私は貴方の姉でいいのかしら」
そして胸を張って誇らしそうに、彼女は言葉を続ける。
「私達兄弟姉妹はね、この衰退していくばかりの世界に希望をもたらすために生まれてきたのよ。
このストークスプロジェクトが手掛けた研究で、〈蓮華〉でも自分の子供を授かることができるんだから」
それは否定できない事実。
数はそれだけで力だ。
人口が減り続ける世界に、この研究は光明となるだろう。
望めば誰でも、〈蓮華〉でも、自分やパートナーの血を継ぐ我が子を抱くことができるのだ。
世界を拒絶するような十夜の頑なさが揺らぎ、視線から険が薄れていく。
「そもそも。人間以外の誰が、自分は何なのか悩むのかっていう話よね」
疑似人格を設定されたAIはあれど、自己の存在定義は根幹に入力されている。迷いはしない。
舞架が零したその声が聞こえていたようで、十夜は虚を突かれたように目を見開いて舞架をまじまじと見つめ返した。
その眼には陰りが薄い。
これはもしかして、研究を盗んで暴露しなくても彼の気は済んだのではないだろうか。
そうなると後は舞架自身の問題だ。
見逃してくれているうちに研究所を去るべきか。
だが鑑戸直徒が研究を潰そうとしている理由まではまだ届いていない。
櫻科二葉の先天性の足の障害。それは機械内での発育が不十分だった影響だろう。
研究の初期では、それよりも重度な障害を持つものがいたのではないのか? そのときこの研究所はどうした? そもそも器官が人として成り立つ以前での失敗も多かったのではないのか――?
その研究は、生命倫理に反している。
そこに。
――ガチャン。
唐突にドアが開き、ドローンを従えた警備員達が研究室内になだれ込んできた。
「侵入者発見! 確保に移ります!」
警備員が通信機に向けて叫ぶ。
「そんな!? この部屋にはいないって――!」
櫻科氏の嘆きに隊長らしき警備員は淡々と答える。
「侵入者を見つけるため虱潰しに回っているところでした」
まずい。
唯一の入口は塞がれた。強行突破しようにも数が多い。
距離を詰めてくるドローンの集団に、じわじわと後退して研究室の奥へと押し込まれる。
「やめて! この部屋で争わないで! 機械に、あの子たちに何かあったらどうするのよ!? 観園チーフの許可は!?」
櫻科氏が悲鳴を上げるが警備員は冷淡に答える。
「発砲許可は降りていませんのでご安心を。取り押さえるだけですから」
ずずっとドローン群の盾が周囲を取り囲み距離を詰めてくる。
今度こそまずい。
背筋を嫌な汗が垂れていく。
死ぬ――社会的に死ぬ。
その時。
開けたままのドアの向こう、部屋の外が俄かに騒がしくなった。
ドローンがそちらに反応して盾の壁に綻びが生じる。
「おい、そっちも捉えろ! 廊下だ、多少は手荒なことになってもいい!」
舞架達の他にも侵入者がいるのだ。
今日この時間に研究所に侵入することを知っているのは――
隊長の指示が飛ぶ。配下の警備員達が矢継ぎ早に情報を交わして連携をとる。
――それに混じり。
「早く来い!」
その心地よく響く声は、悔しいほどはっきりと聞き取れた。
ならば行くしかない。
彼が武器でも持ち込んだのか、派手な戦闘音がする
盾の数が減る。
この機を逃してはならない。
舞架は十夜の腕を掴んで引っ張り、警棒や肘で盾を押さえつけつつその間を駆け抜けドアへと向かう。
廊下に出ると、音からして非殺傷系の銃を構えたもう一人の侵入者――鑑戸直徒と視線が絡む。
こんな状況だというのに、お互い不敵な笑みを浮かべる。
近距離のドローンは舞架が警棒でセンサーを騙して牽制し、距離をとる警備員達は直徒が銃で威嚇し足止めする。
打ち合わせも何もなく、共闘なんてしたこともない。
それでも二人の呼吸は爽快なほどにあっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます