第12話 個人的な正義

 何とか研究室前のピンチを切り抜け逃げてきた先は屋上だった。こういうところは普通施錠してあるものだが、直徒があらかじめハッキングで開けておいたのだという。用意のいいことだ。

 給水タンクの裏に隠れ、三人は息を整える。

 直徒を横目にちらりと視界に入れて、舞架は口早に告げる。

「助けてくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう」

「そもそもこんな状況になって欲しくないから、君に十夜を止めてくれるよう頼んだんだけどな」

 呆れてはいるようだが怒ってはいない。何故ならきっと、こうなることも見越していたのだ。

 彼を視界の端にすら入れたくなくて完全にそっぽを向き、憮然として言い返す。

「……マッチポンプ」

 この手際と準備の良さ。

 この男、こちらを囮にしたとしか考えられない。

 けれど当の直徒は心外だと首を振って見せる。

「君達が暴走して止まらないにしろ、無事に目的を果たせたなら何も手を出す気はなかったさ。表に出ないのが俺達の信条だからね」

「ぐぅっ」

 こちらの手際が悪かったと言われてしまえば、正直反省点は多々ある。

「それに何が起こってもいいように準備していくのは当然じゃないか。

 心配だったんだ――いや君達がちゃんと目的を達成できるかがね?」

 つい零れた本音を素知らぬ顔で取り繕う。

「…………………………」

 まずい。その一言で、顔が熱い。きっとまだ激しく動いた熱が冷めていないんだ。そうに違いない。

 だがまた〈撫子〉だからという理由でミスをしてなるものかと、冷静さとあの時の悔しさを呼び戻して頭を冷やす。

 そこに直徒は一つ息をついた。

「おしゃべりはここまでだ。時間がない。

 ――ほら、吾座倉十夜。君の欲しかったものだ」

 そう言って、直徒は十夜にメモリスティックを投げてよこした。

「え?」

 いまだ呆然として気が抜けている十夜だったが、反射的にそれを受け取る。

 そこに記憶された情報はつまり――研究データ。

 おそらく研究成果だけでなく、そこに至るまでの過程を含めた情報。

 この研究所に侵入した目的を果たせたのだ。

 結果的に陽動として目的達成に貢献できたということにしておこう。

「君達が研究室で話し込んでいる間に手に入れておいた。先にハッキングされた痕跡があったからやりやすかったよ。

 君の望みだ。これをどうするかは十夜、君に任せる」

「…………………………」

 十夜は無言で手の中のメモリスティックを半ば呆然として見つめる。

 犯罪に手を染めてまで欲しかったその情報。

 けれど彼の顔に喜びは伺えない。同じ出生の櫻科氏と話せたことが大きいのだろう。

 その時。

 屋上への重たいドアが開けられる音がした。

 続く大量の足音。

 もう追いつかれたのだ。できれば物陰に隠れて隙を見て棟の中へ戻りたいところだが。あるいは外壁に沿う非常階段で逃げるか。

 舞架は音をたてずに給水タンクの端のほうへ移動する。

 警備員達の動向を陰から伺っていると、十夜はノートPCを起動してメモリスティックを挿し、何やら操作を始めた。

 早速情報をネットに公開して混乱を誘い、こちらに手を回す余裕をなくすつもりか――と推測したのだが。

 十夜は姿を隠していた物陰から唐突に飛び出したのだ。

「こっちだ!」

 そう叫びながら。

「なぁっ!?」

 舞架も思わず声を上げるがもう遅い。

 当然すぐに警備員が声を聞きつけ集まってくる。

 どういうつもりか分からないがとにかく急いでこの場を離れようと、手を伸ばし十夜の腕を引っ張る。

 だが十夜は自ら警備員を呼んだのだ、足に力を入れて動こうとはしなかった。

 その間に警備員とドローンは身を潜めていた給水タンクの前に展開してしまう。

「…十夜、どういうつもり!?」

 舞架の詰問に、十夜は申し訳なさそうながらもどこか吹っ切れた顔をして答える。

「……ごめん、俺の無茶振りに巻き込んで。

 俺が無知なガキだった」

「それで、ごめんなさいと研究所にも謝って済ませるつもりかい?」

 憎いほど静かに直徒が問う。

 それに十夜が答える前に、一人の研究者がドローンの盾のすぐ後ろまで進み出てきた。

 白衣を着た中年の女性。髪をきっちりと結い上げて、見るからに知性の高そうなその佇まいから、研究プロジェクトでも上位の地位にあると推測させた。

 彼女は高圧的に名乗る。

「私がストークスプロジェクトのチーフ、観園みそのよ。

 ねぇ、十夜。アポイントを取って正面から入れば、こんな出迎えをすることもなかったのに嘆かわしい。

 吾座倉夫妻の教育はどうなっているのかしら。ずっと心身ともに健全で、こんなことをする問題児なんて報告は今まで受けていないのだけれど。

 まぁ、いいわ。まずは研究所に侵入した理由を聞きましょう」

 十夜は及び腰になりつつも口を開いた。

「……すみません。理由はもうどうでもよくなりました。

 だから、このまま帰らせてもらえませんか?」

「子供染みた子供の意見ね」

 観園チーフは容赦なく却下する。

「貴方一人なら百歩譲って検討しないこともなかったけれど、隣の大人二人を連れ込んだ時点でそれはないわ。

 どうせその二人は、機密情報を盗んで売り払うか身代金でも要求するつもりでしょう? データにアクセスしたことは把握してるのよ。子供の前で嘆かわしい」

「二人は俺が巻き込んだんです、悪いのは俺だ」

 その懸命な科白に舞架は一つ息をつき、できるだけ堂々と見えるように背筋を伸ばして一歩前に進み出た。

「その気遣いと志は嬉しいし立派だと思うけど、大人としてはそれに甘えたら格好悪いわね」

 自分で決めたことの責任は、自分でとる。

 すると、おずおずと、直徒がノートPCを差し出してきた。そこにはメモリスティックが差し込まれたままだ。

「……すみません。なら、これは任せます。

 これの実行と引き換えに見逃してもらえないかと考えてたんですが。

 ――Enterキー押せば、メモリスティックのデータがネットにアップロードされます」

 つい受け取った腕が強張った。

 観園チーフの顔も険しくなり、後ろに控えている研究員から悲鳴や非難の声が漏れる。

 徹底的に極秘にされていた研究が、これで衆目の目にさらされることになる。

 それはつまり、この研究を潰すということ。

 舞架はEnterキーから視線を引きはがし、研究員達を見回す。

 ――悪事がばれて焦る犯人。

 そんな素振りを見せる者は見当たらず、誰もが研究したことを後悔してはいないのだ。

 それを、この指先一つで――

 捕まることを覚悟で今すぐこの指を押すべきか。

 身を挺し、悪を許さない正義を貫くのだ。けれどこの二人を道連れにして?

 この指を離すことと引き換えに、自分達の安全な脱出を手に入れるのが最良の選択ではないのか? 二人にとっても――世間にとっても。

 けれど――

 研究室の光景が脳裏をよぎる。

 機械と液体の中に浮かぶ胎児。その水の中から出たばかりの嬰児の泣き声。

 とるべき道を選べないでいるうちに、観園チーフが落ち着いた様子で口を開く。さすが、チーフを務めるだけある貫禄か。

「このデータを盗もうとしたということは、このストークスプロジェクトがどんな過程を経て進められてきたか、見当がついているということでしょう?」

 その問いかけに舞架は腹を括って観園チーフを見据え、向かい合う。

「その通りよ。

 ――貴方達は、その表沙汰にできない過程について、どうするつもりなのかしら?」

 観園チーフは目の端さえ動揺に揺らがせることなく論説して見せた。

「現代医療の発達は人体実験なしにはありえないわ。この人工子宮の研究だってそう。

 一度の失敗例も出さずこの成果を生み出しました、なんてどれほど資料を捏造したって誰も信じやしないわよ。

 どれほどの胎児がヒトの形を成せずに死んだのか、貴方達が盗んだその機密データには含まれているのかしらね。

 けれど、こうして成果を結実させたのも事実。

 今の世にこの研究がどれだけ必要とされていると思う?

 確かにこの研究は国際機関や行政の倫理審査を行っていない非合法なものよ。けれどこの研究は、審査で却下されたからといって止めていいものではないわ。人の未来を憂うのならね」

「だからって―――」

 観園チーフは肩をすくめ、舞架に最後まで言わせずに言葉を先取る。

「許せない? 認められない? ならこの研究成果、全てなかったことにしていいのかしら?

 扱いを間違えればこの技術が望まない未来を引き起こすことは理解してる。あの研究室で、人間工場、とかいうSF的な用語を思い浮かべたんじゃない?

 だからこそ、私達はこの装置の公表を慎重に準備してきたの。

 徹底して秘匿してきたのは非合法だからというだけじゃない。悪用しようとする輩に目を付けられないためよ。

 この装置が正しく活用されるために、秘密裏に利用規定と許諾の草案を作り、既に関係各所に手は回してある。

 ――さぁ、正義感の強いお嬢さん。

 貴方のその個人的な正義のために、多くの人々が手にできるかもしれない未来を摘み取るのかしら?」

「―――――――――――」

 舞架は唇の端を噛みしめる。

 観園チーフもまた彼女の正義があるのだ。

 それでも。舞架には「やったもの勝ち」の印象が拭えない。ちくちくと、舞架の正義感をつついてくる。

 ――それでも。

 この研究には、価値が、未来が、願いが、ありすぎる。

 それなのに、自分が一人、今ここで世間の代表者面して結論を出せと?

 ならどうしろというのだ!

 ノートPCを掴む指先に力が入る。いやそこだけでなく、腕や肩、全身が力んで息さえ詰まる。

 その時。

「舞架」

 直徒に名を呼ばれた。

 その声に心配したり気遣う響きはなく、励ましが込められていたわけでもない。ただ、その名を鼓舞する力強さがある。

 はっとして視線をそちらに向けると、まっすぐにこちらを見据える直徒の視線と絡み合う。

「俺は、君の選択が見たい」

 それだけの言葉。

 どんな選択でも支持するとか言われたわけでもない。

 それなのに。

 舞架は唇の端をわずかに吊り上げ薄く笑う。

 危機的状況におかれてもなお挫けない、映画のヒーローのように格好よく。

 ――見せてやろう。

 自分の選択を。

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