第7話 再会

 それは既に見た映画だった。

 だから内容も覚えている。

 情報漏洩未遂事件の翌日、10月5日。舞架はお気に入りの映画館で大きなスクリーンを見上げていた。

 今回の送迎任務の依頼について上層部と先方が協議したらしく、その結果、送迎任務は昨日まででキャンセルとなったのだ。お陰で急遽今日は強制的に有休である。

 なお独断専行で情報漏洩をもくろんだ犯人を取り逃がしたのは、情報漏洩を未然に防いだことで相殺。特にお咎めはなし。

 処罰されずにすんで嬉しくはあるのだが、釈然としたものは残る。

 大スクリーンで展開されるのは、ヒーローが事件に巻き込まれて、解決する。言ってしまえばそれだけの映画。

 けれどそれが重要なのだ。

 舞架は子供の頃に誘拐に遭いかけた。子供がいない夫婦が珍しくない昨今、どうしても子供が欲しい夫婦につけこむ人身売買組織があるのだ。幸運にもたまたま居合わせた人物に助けられて未遂に終わったが、助けてくれたその人の背中が、鮮烈なまでに格好よくて目の裏に今でも焼き付いている。

 これまでたくさんの映画を、その中で活躍するヒーロー達を見てきたけれど、舞架にとっていちばんのヒーローはずっとその人だ。

 だから自分もそうなりたかった。そうなるために体を鍛えて武術も習ったし、〈撫子〉でも身を張って人を助ける仕事に就きたくて、駆けずり回って仕事先を探した。

 いくら周りに諭され宥められても聞き入れはしなかった。その結果が今のこのボディガードの自分だ。

 それなのに〈撫子〉だから酷い一目惚れをして、そのせいで仕事で大きなミスをするなんて。

 本能が彼を求めても、堂露木舞架どうろぎ まいかという理性はそれを否定する。

 彼を受け入れれば自分を否定するのと同義だ。

 あんな場所にあんなタイミングで現れたのだ、彼は十中八九情報漏洩をたくらんだ少年と無関係ではあるまい。その限りなく黒に近い灰色の怪しい男に惚れるなんてありえないではないか。たとえ更崎皿さらきさらメディカルが法に触れる何かをしていたとしても、人を脅迫して情報を得ようというそのやり方には正しさがない。

 一晩経っても悶々として、映画の冒頭は内容が頭に入ってこなかった。

 けれどスクリーンの中では事件が起こってはらはらして。

 それが解決して映画が幕を降ろす頃にはすっかり夢中になって、ヒーローに魅入っていた。

 ――なら、大丈夫だ。

 まだ自分は自分でいられる。今の自分は間違っていない。

 格好よく、正義を為すのだ。

 映画のヒーローのように。あの人のように。

 ――鑑戸直徒かがみど なおとと付き合う選択肢などない。

 それでも。

 会わなければならない。

 正義を為すために。

 ――悪いのはそっちだろう!

 あの少年の言葉。

 それを聞き過ごして何が正義だ。格好悪い。

 たとえそれが大企業相手取ることになるとしても。

 まだ打つ手はあるのだ。

 エンドロールを最後まで見終えると、シアター内に照明が点灯する。

 舞架は映画を見終わった興奮が冷めないうちにと、バッグから通信端末と例の名刺を取り出した。電話番号を打ち込んで通話開始。

 鑑戸直徒はすぐに出た。

「はい、鑑戸です。もしかして昨日のお嬢さんかな?」

「……………………」

 ここは気持ち悪がるべき、あるいは全員にそう聞いているのかと呆れるところなのに、心が繋がっているみたいで嬉しくなってしまう。

 けれど舞架はそれを押し隠し、平静に問い返した。

「その通りよ。よく分かったわね?」

「知らない番号だったからさ。簡単な推測だよ」

 先程までとは違う原因で顔に熱が昇る。

 それでも気を取り直して余計な会話をせず単刀直入、いきなり本題を切り出した。

「貴方と話がしたいの。近いうちに会えない?」

「いいとも。けれど一つ条件がある」

「――言ってみて」

 何を要求してくるのか。

 舞架はごくりと生唾を飲み込む。

「名前を教えてくれないかな?」

 がくりと肩を落とした。言われてみれば、確かにまだ名乗っていない。

「……堂露木舞架よ」

 自分のIQが致命的に下がっている気がした。



 そうして舞架は一昨日の事情、何故鑑戸直徒があの現場に現れ犯人を庇ったのかを探るため――断じてただ会いたかったからではない――、彼を呼び出し二人で食事を共にしたのだが。

 そろそろ切り出さなければと思っていたら浮気性だからつきあえないなどと聞かされることになろうとは思っても見なかった。

 いやつきあうつもりで会いに来たわけではない。ただ真実を知りたかったから。

 それなのに、そもそもつきあってもいないのに裏切られたという感情が湧いてしまう。最低だし最悪だ。

 それを拭い去るために、舞架はあえてその科白はスルーしてこちらの本題を切り出す。

「そんなことはどうでもいいわ。それより鑑戸さん、聞きたいことがあるの。

 一昨日の夜、どうしてあの廃ビルにいたのか。あの少年とはどういう関係なのか、教えてくれる?」

 鑑戸は狼狽まではしていないが、意外そうに目を瞠っている。

「もしかして会いたいと連絡をくれたのは、それを聞くためかい?」

「そうよ。つきあいたくて、じゃなくてごめんなさいね?」

「驚いたな。いや確かにあのときあの状況は、俺は君を妨害したけど。でも〈撫子〉の一目惚れは必ず双方向だ、君だって一目惚れをしてるだろう?

 それでつきあおうとも言い出さずに妨害の理由が知りたい、と」

「妨害って認めるわけね」

「あ―――いや、つい」

 鑑戸は口元に手を当てて慌てて視線を逸らす。一拍遅れて溜息をついた。

「慣れたつもりではいたんだが、駄目だな。君のことで頭が一杯になっているせいだ。強気な視線に射貫かれるのがたまらない、とかね」

「浮気しますって宣言した口で口説き文句をよく言えたものね」

「それが〈撫子〉の一目惚れの恐ろしいところだよ。

 ――――まるで呪いだ」

 低い声でささやかれたその言葉は、軽口と受け取るにはあまりにも実感がこもって聞こえた。そしてそれは舞架も同意するところだ。

「知ってどうするつもりだい?」

「悪は裁かれるべきでしょ。何か悪事が行われていることに気づいていながら見て見ぬふりはしたくないの」

 そんなの格好よくない――正義ではない。

「悪、ときたか。

 君は正義でも語るつもりか?」

 視線や表情から漏れていた好意が消えた。呪いを上回るほどの感情、例えば信念か。その冷めた目に息を飲みつつ舞架は言い返す。信念なら自分にもあるのだから。

「語りはしないわ。これは私がやりたくてやっていること、行動で為してこそよ」

「押しつけがましくないのは好感が持てるが、自分が正義の側にいるのは当然とばかりだな。

 善悪など所詮視点の違いでしかない。それを理解したうえで自分が正義だと言い張るのかい?」

「だったら知ってることを教えなさい! 判断する材料を与えず上からものを見て、それこそそこに正しさなんてないわ」

「呆れるよ。まるで全てを知れば自分は正しい判断を下せると言いたげだ。

 その傲慢さ、ベッドの上で身の程を分からせてやりたくなる」

「望むところね、やってみなさいよ」

「―――――――――」

「―――――――――」

「すまない、今のなしで…」

「賛成。お互い聞かなかった、あと言わなかったことにしましょ…」

 ずっと視線を合わせていたのが不味かったのかもしれない。いつの間にかテーブルに身を乗り出してもいた。舞架は倒れるように背凭れに体重を預けて視線を逸らし、グラスの水を飲み干して昂ったテンションを落ち着ける。

 先に気を取り直したらしい鑑戸が溜息と共に立ち上がる。

「ここまでにしよう。

 俺が今ここで情報を漏らさなくてもいずれ分かることだ」

 舞架も慌てて腰を浮かす。肝心なことをまだ何も聞けていない。

「じゃあ何のために情報漏洩なんて企んでいたのよ!?」

「情報がただそれだけで誰にとっても同じ受け取り方をされ価値も同じであるというのなら、世の中の会社はプロモーションに今より金を掛けずに済むだろうね」

 更崎皿メディカルが整えた情報発信の場ではなく、それに先んじて情報を、更崎皿メディカルによって加工されていない状態で広めたい、といったところか。情報の発信元はあの犯人の少年だ。

「この店くらいは奢るよ、もう会うことはないからね」

 淡白に告げた。そして舞架の返答も待たずに今度こそ引き留める間もなく鑑戸は去っていった。

 ――結局何も聞けていない。

 その背を見送りながら、どうして一目惚れの相手が彼だったのか、己の不運を嘆かずにはいられなかった。

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