一目惚れだからフッてやる!

ニノ

第1話 つきあうわけがない

「確かに俺は君に一目惚れしたし、君も俺に一目惚れした。そうだろう?

 けどすまないが君とつきあうことはできないんだ。

 今つきあっている彼女がいるからとかいう訳じゃない。

 何故なら俺は深刻な浮気性だからだ。君だってそんな男とは付き合いたくないだろう?」

「―――――――――」

 若干の申し訳なさを感じさせつつも軽薄に、テーブルを挟んで正面に座る男――鑑戸直徒かがみど なおとはそんなふざけた科白を言ってのけた。

 その清々しいまでの潔さに、浮気性を隠してつきあおうとしなかった事に対する誠意すら感じてくる。

 堂露木舞架どうろぎ まいかは絶句して彼を見つめる。

 歳は見たところ二十代後半、鼻筋の通った端整でモデルのような顔とすらりとしたスタイル。

 確かに彼女に立候補したい女性は幾らでも出てくるだろう――自分も含めて。いや自分はその外見だけに惹かれたのでは決してないが。

 けれど外見だけに惹かれていればまだマシだったのかもしれない。

 若干二十一年の人生で初めての一目惚れ。

 その一目惚れしたときが一回目で、彼と会うのはこれが二回目だ。

 駅前の定番の待ち合わせ場所で合流して連れてこられたのがここ、ムードも何もあったものではない普通のファミレス。デートでファミレスに文句をつける価値観は持ち合わせていないので構わないし、彼の真っ直ぐで柔らかな話しぶりは聞いていて好ましかった。

 だというのに、食事も終えてそろそろ聞き出そう、というところでその科白である。

 ふざけるな。ふざけるな。ふざけないでよ。

 そもそも彼との最初の出会いからして最悪だったのだ。夜の廃ビルの中、彼に仕事の邪魔をされ大失態をしでかしたのである。

 それでも。

 ――こっちだってお断り。

 その言葉さえ口から吐き出せない。

 気まずい沈黙に頓着することなく配膳用ドローンが食器を片付けていく様を視界の隅で追いながら、どうにもならない一目惚れの感情に振り回されて泣きたくなる。

 沸騰していた恋が冷めたところでまだ素手で触れられない熱がある。好意が冷えきらない。

 これが〈撫子〉の一目惚れかと、舞架は身をもって実感した。

 そしてこの一目惚れは必ず双方向。

 たとえそれまで浮気性でもこの恋に落ちれば脇目も振らなくなるはずの、強烈な一目惚れ。

 実際、出会った時は彼も舞架に惹かれる素振りを見せていたのだ。

 それなのに――

 きっと何かがある。

 そもそも彼との出会いはたった二日前、10月4日のことだった。



 二十一世紀初頭にあたる100年ほど前。稀代の天才が地球の――人ではなく地球の行く末を憂いた。爆発的な人口増加による資源の大量消費。環境の悪化。

 ――人を減らさねばならない。大きく、抜本的に、早急にだ。

 かつて黒死病により人類は大きく数を減らし、社会の変革を余儀なくされた。けれど医学と衛生の発達した今ではあれほどの死者をもたらす大流行は起こらないだろう――自然には。

 だからその天才は疫病を人工的につくりだした。

 けれど彼はある意味において非常に人道的だった。それの致死率は0%なのだから。

 そのウイルスが引き起こす症状は生殖機能の喪失。

 不妊治療に訪れる夫婦の数が異常に増加していることがようやく一般的に認知されたころには、空気感染して世界中に蔓延していた。そして通常なら年数をかけて弱毒化しいずれは影響が消えていくところを、このウイルスは100年後の現在に至るまで残っているのである。まるでそれが自然の構成要素の一つとでも言うように。

 その疾患に感染する確率は3分の2。

 つまり人類の3分の1しか子孫を残せなくなったのだ。

 生殖能力保持者と非保持者を判別する手法だけは確立されたが、非保持者が生殖能力を取り戻す術は未だ見つかっていないし、広がり過ぎたウイルスの根絶もできていない。

 あるいは疫病をつくりだした本人であれば可能であったかもしれないが、手掛かりになるような重要な研究資料は未だ発見されていない。

 その天才が不慮の交通事故で無くなり知人がその研究室を整理しなければ、ウイルスの作成者が彼――エイベル・バックマンだとすら知られることはなかっただろう。

 人為的なウイルスだと確定した衝撃の以後、この生殖機能疾患は発明者の名をとりバックマン疾患と呼ばれるようになった。

 世界の一日の死亡者数は出生数を大きく上回り、人類はかつての半分以下にまで減少する。

 生殖能力保持者の親から生まれても、その子供が生殖能力を持つ確率は同じく三分の一。人類が人口増加に悩むことはもうないだろう。

 そして性に奥床しい日本ではその生々しい呼称は敬遠され、生殖能力保持者を〈撫子〉、非保持者を〈蓮華〉と呼びならわすのだった。

 枯れることなく毎年花をつける多年草と、一年で枯れて一生を終える一年草というわけだ。

 この疾患が知られるようになった初期にネットにあげられ分かりやすいと評判だった疾患についての説明動画があり、そこで使われたイメージ画像が発端である。

 〈撫子〉の割合は全体のおよそ三分の一。少数派ではあるが、極端に少ないわけでもない。

 それでも〈蓮華〉を殺すより〈撫子〉を殺した方が罪は重い。法律として明確にそう定められている。

 職業選択においても、警察官や消防士といった危険を避けられない職業に〈撫子〉が就くことは敬遠されている。

 一方でキャリアが途切れる要因となっていた出産をしない――できない――女性が珍しくもないため、出世における男女の扱いの格差はないに等しい。

 さらには家族形態の変化に同性婚の合法化、労働力不足を補うための機械化の推進。〈撫子〉と〈蓮華〉の婚姻のタブー視。

 この疾患の発生初期の動乱を乗り越え、安定を取り戻した社会は、大きく変容を遂げていた。

 そして生物としての人間も、疾患の発生から一世紀以上経過し、この新たな環境に適応しようとしていた。

 子孫を残す。それは生物に刻まれた本能。群に雌しかいない場合に雄へと変化する個体が出てくる種があるように、生物は何としても種を残そうとする。

 人間もまた生物であり、ひたすらに数の減少を辿る中で、〈撫子〉の中である現象が見られるようになった。

 有り体に言えば一目惚れ。

 ただし、恋に落ちるという表現を使えば底無し沼に落ちる、あるいは成層圏から落ちる。

 恋愛感情の段階を一気にすっ飛ばすこの強力な一目惚れで結ばれたカップルから生まれた子供は、3分の1よりも明らかに高い確率で〈撫子〉だった。

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