第3話 不穏
先週は昼間に単発の護衛依頼が入ったこともあったが、今日は何もなし。
舞架は午前の残りの時間は格闘技のトレーニングに費やすと、午後は夜の送迎までオフとなった。
特に予定もないので一世紀以上前の映画を上映している映画館で派手なアクション映画を見ると、夜、再び送迎任務だ。
悪の組織に立ち向かう主人公を見た後だと、タクシードライバーか――などと溜息をついてしまう。だが仕事は仕事、きちんとこなさなければ。
それにタクシードライバーが事件に巻き込まれて活躍する映画も見たことがある。
今朝は舞架が運転したので夜は悠月と交代だ。待ち合わせの場所で悠月の運転する車の後部座席に乗り込むと、再び更崎皿メディカルの研究所へと向かった。
駐車場の奥の方、内側の塀の守衛所近く、つまりは櫻科二葉が駐車場に入ってきたらすぐに車へと乗せられる場所へ停車する。
その近くには既にもう一台、同型の車が止まっていた。中では男が二人、退屈そうに時間を持て余している。通信端末でネットサーフィンでもしているのだろう。
同じ依頼を受けている先輩達だ。
舞架は車を降りるとそちらに向かって軽く頭を下げ、会釈をしてみせた。先輩達も向こうの車の窓を開けて手を挙げて返してくる。
「いきなり残業入ったみたいで待ちぼうけさ」
「それはご苦労様です」
先輩達の担当は確か
舞架は改めて会釈をすると車を離れ、門のある守衛所の方へと向かった。
朝の申告通り、夜の七時を回ってすぐに櫻科二葉は駐車場に姿を見せる。
「櫻科さん、こんばんは。堂露木です、お仕事お疲れ様です」
駐車場に照明がないわけではないし、顔も覚えてくれているだろうが、薄暗いのでここはしっかり名乗って安心してもらう。
「お疲れ様です。よろしくお願いします」
その顔が陰って見えるのは照明のせいだけでなく、残業後だからだろうか。とはいえ仕事のことに触れると禁止条項にも触れそうになるので迂闊に話題にもできない。
「ではすぐそこに車を停めてありますので」
舞架は周囲に気を配りつつ車へと誘導した。櫻科氏は誰かの支えが必要なほど歩けないわけではないようだが、それでも何かあればすぐ対応できるよう気を配る。舞架とともに後部座席に乗り込むと、悠月がすぐに車を発進させる。
しばらく静かな車内が続いた。車に乗ってしまえばそうそう何事も起こらないとはいえ、任務中に雑談で盛り上がるなど論外だ。とはいえ、護衛対象から声をかけてきたらあまり無碍にはできない。
「あの……ちょっとお願いを聞いて欲しいのですけど」
申し訳なさそうに切り出しているところからして、気軽に頼める内容ではないはず。
そうは察しつつも、舞架に聞かない選択肢はない。困っている人は助けるべきだ。
「何でしょう? できることであればお力になりたいですが」
櫻科氏は答えた。
「寄り道してください」
「………………………」
禁止条項の一つ。会社と自宅の送迎中、護衛対象を一度も車外に出さないこと。
困っている人を助けたいとはいえ、さすがにこれはちょっとできない相談だ。
「申し訳ありません、それは契約上出来かねます。
恐れ入りますが、ご帰宅された後にお向かいください」
櫻科氏は大きく溜息をついて肩を落とした。
「それができれば頼んでいません」
時間的な問題だろうか。営業時間とか。それとも足が不自由だと行きづらい場所なのだとすれば、少し胸が痛んだ。
けれどそんな話ではなかったのだ。
窓の外に視線を逃がして櫻科氏は愚痴を溢す。
「出てはいけないのよ。買い物は全てネットで宅配。
先週は会社と家以外、本当にどこにも行っていないの。週末なんて丸二日、家から一歩も出てないわ」
「――――――――――」
舞架は目を見開く。
それくらい思い至るべきだった。わざわざボディガードを雇ってまで外部からの危険な接触を排除しようとする会社が、社員に外出禁止を命じないはずがない。むしろ命じていなければ穴だらけでボディガードを雇う意味もない。
この尋常ではない警戒ぶり。
櫻科氏が視線を舞架に戻す。
「ごめんなさい、困らせてしまったわね」
「いえ、そんな――。こちらこそ、ご希望に添えず申し訳ありません」
「本気で頼んだわけじゃないから気にしないでください。つい口にしてみたくなっただけだから。
――私だって、この研究の重要性もここまでしなければいけない理由も、十分わかっているの。それなのに私がたった3週間を堪え切れずに長年の研究を台無しにしてしまったら、目も当てられないどころじゃないわ」
――一体何を開発したのですか。
その問いを、喉の奥で飲みこんだ。
重い空気が流れる。
契約を守ることは正しい。危険のない選択をするのも正しい。
それでも。沈鬱な様子のままの彼女に何もできないのは――格好よくないのではないだろうか。
「櫻科さん。よろしければ、少し遠回りして帰りませんか? 降車はしていただけませんが、いつもとは違う景色を眺めるだけでも気分が晴れるかもしれませんよ」
淡く微笑み、小首を傾げて爽やかに提案する。運転中の悠月がバックミラー越しにまた勝手なことをとでも言いたげな視線をよこしたが、口を挟んでまで止めようとはしなかった。
櫻科氏は驚いた顔を見せたが、すぐに晴れやかなものに変わる。
「いいの? ありがとう。お心遣いに感謝します」
「あと2週間、貴方が無事に乗り越えられるよう助力いたします。
――貴方を護るのが私達の仕事ですから」
――決まった。
今の科白、格好よくなかっただろうかと自画自賛。顔がにやけると締まらないので、ジャケットの胸ポケットから通信端末を取り出し俯いてごまかす。手のひらサイズの板状のデバイスを指で操作して地図を開き、ちょうどいい遠回りのルートを探す。
夜で暗い為、ネオンが綺麗なところがいい。とはいえ冬のイルミネーションの時期には早いし――
「九区第五駅前の繁華街を流しましょうか。外から眺めるだけでも、自分がこの日常と切り離されていないと確認できるかもしれません」
「いいわね、それ」
櫻科氏もはにかんで同意してくれた。
「では決定です。
――錫宮、お願い」
悠月が後ろを見ずに差し出してきた手に、地図とルートを表示させた通信端末を渡す。悠月はそれを受け取って確認すると、すぐに通信端末を返してきた。もう覚えたらしい。
そして九区第五駅前の繁華街に近づいていく。
人口が減少したとはいえターミナル駅ともなれば商業施設も集積しているが、中心から外れた端の方では使われなくなり廃墟となったビルがいくつも建ち並んでいる。けれどそれを通り過ぎれば人通りが出てきた。
これで少しは気も晴れただろうかと、外に気を配りつつ櫻科氏に視線を向けると。
「え、今、え? え? 見間違い?」
櫻科氏が窓に張り付き過ぎ去った方向を見やっていた。
「どうしました?」
鋭く声をかけつつすぐさま舞架は後部窓から後方の状況を伺う。
「すみません、人違いかも。道路の向こう側で、すぐに通り過ぎちゃいましたし…」
「誰と見違えたんです? 答えてください!」
嫌な予感がする。研究所の駐車場で待っていた先輩達の姿が頭を過ぎる。
「片墨さんです。プロジェクトメンバーの」
「停めて!」
舞架が指示を出すまでもなく悠月は車を路肩に寄せて減速させていた。
「悠月、後の護衛お願い。会社への連絡も」
「了解」
完全に停車する前にドアを開けて外に飛び出す。
「お騒がせしてすみません、ではまた明日」
口早に櫻科氏に声をかけると舞架は来た道を逆に走り出した。
「え、人違いかもしれないのに…どうしましょう……」
「大丈夫! 人違いでもお気になさらず。そういう可能性を潰していくのも仕事ですから」
車に残された悠月は、会社に連絡を入れた後で櫻科氏のフォローに回る。
「せっかくのところ申し訳ありませんが、遠回りはおしまいにして自宅に送らせてもらいます。ごめんなさい」
「はい、分かりました……」
突然の状況に戸惑いながら、櫻科氏は半ば上の空で了承する。
悠月は運転しつつこっそり溜息をついた。
これも格好よく正義を為したい舞架が引き寄せた運――悪運強運凶運幸運どれになることやら――なのだろうか。いやそもそも何かが起きるかもしれないからこうしてボディガードが雇われたのである。それにまだ人違いの可能性も十分残されていた。
「だってあの片墨さんがルールを破るようなことするはずが…」
櫻科氏の小さな呟きが悠月の耳にも届く。
「……これでパートナーに赤ちゃんを抱かせてあげられるって喜んでたんだから…それなのにストークスプロジェクトを潰すことをするはずが……」
悠月は顔に意識を集めて全力で無表情を装う。
その一言は聞き流した方がよさそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます