第4話 バックマンの後継達
一人殺せば人殺しだが、百万人殺せば英雄だ――とは有名な科白だが、その点ではウイルスの発明者エイベル・バックマンは大英雄といえた。
そして得てして英雄にはその信奉者というのが存在する。
彼の意志は、世界中の至る所に根を張り現代まで脈々と受け継がれていた。それが〈バックマンの後継達〉と呼ばれる組織だ。
それが掲げる理念とは。
――人類の発展より優先すべきは地球との調和。
「大衆の中においては、我々が悪と見做される向きもあることは知っている。
悪とは不快な響きだが、善悪など所詮視点の違いでしかない。逆を言えば同じ視点を持てない以上は致し方あるまい」
その声は諦めの響きこそあったが、然程嘆いているように聞こえなかった。むしろ同じ視点を持てないことを見下している様子さえ漂わせて、ディスプレイに映る顔も平然としたものだ。そうでなければこの組織――〈バックマンの後継達〉の上層部に名を連ねることはできないだろう。
特に同意を求められているわけではないとこれまでの経験から推測し、鑑戸直徒は自室で一人、PCの前で沈黙を保った。
「だがどうだ? これを見ろ」
映像が上役の間高柴の顔から切り替わる。
とある医療系研究所の研究成果だ。
――恐らくはタイムラプス、だろう。
微速度撮影。直感的には早送り映像。
それは実写だった。要旨だけはあらかじめ聞いていたからこの映像は現実だと受け入れたものの、そうでなければCGだと疑っていたに違いない。いや聞いていても念押しで疑いたくなる。
その研究を――その研究に手をかけた正気さを。
間高柴の言葉を借りればこれも視点の違いなのか。
直徒は映像が終わったところでPCから視線を外し、気を落ちつけるために部屋の中を見回す。
仕事場でもある狭い一室。愛用の撮影機材が並べられたラックに写真集ばかりの本棚。部屋の隅には使い込んだアウトドア用具が積まれている。家事補助ドローンは今はキッチンだったか。いつもの部屋だ。目の前のデスクにはコーヒーの入ったマグカップがあるが、恐らくもう温くなっているだろう。
視線を再びディスプレイに戻すと、ちょうど通話画面に戻ったところだった。
「この先にディストピアが繋がっていると想像するのは容易いだろうに」
やれやれと嘆いて間高柴は肩を竦めて見せる。
「同意します」
「ではこの研究の――ストークスプロジェクトのおぞましさを、白日の下に晒してくれたまえ。あの企業の思い通りにしてはならん」
声音にこそ重みがあったが、間高柴はあっさりと言った。それでも否定の言葉などあるはずもない。
「わかりました」
「別の者が担当していたが、どうやら介入を察知されたようでね。急ですまないが後を引き継いでくれたまえ」
そして資料の受け渡しやこれまでの調査状況が伝えられた。それらを終えて通話を切る。直徒は背凭れに体重を預けて一息つくと、冷めたコーヒーに手を伸ばした。
「――人は、なんて罪深い」
そんな科白を口にするには青く若すぎるだろうか。まだ三十路にも届いていない若造だ。けれどそんな思想に辿り着いてしまう自分だからこそ、この組織、〈バックマンの後継達〉に所属しているわけだ。
もっとも、エイベル・バックマンさえいなければ、自分のこの傍迷惑で人の心を踏みにじる体質も生まれなかったのではと思ったりもするのだが。
過去、具体的にはおよそ一世紀ほど前。人は自らの愚かさによって緩やかな地獄に落ちたというのに、再び過ちを繰り返そうとしている。
それを止めるために、直徒は資料を熟読し手段の検討にかかった。ただ研究を止めればいいのではない。組織の痕跡を残さず、陰に徹して駒を動かすのだ。それは死ぬまで自分の行いを隠したバックマンの理念による。
だから先程見せられたあの映像をネットに流して終わり、というわけにはいかない。組織外の人間が手に入れ流さなければ。
故に巷では、〈バックマンの後継達〉は都市伝説的な扱いでしかない。
そしてある名簿に目がとまる。
彼らの誰かが引導を渡せれば因果応報だ。
――その名簿には、「櫻科二葉」の名も含まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます