書店-1
町の書店の店長さん。
そう言われると素敵な響きに聞こえるが、イメージと現実は全く異なるものだ。
私の働く書店は、ベッドタウンの駅前ビルの中に位置する。
個性的な個人経営店でも、全国展開の大型書店でもない。
一部地域にのみ展開する、全部で5店舗ほどのチェーン店だ。
元々本が好きで、前職を辞めたタイミングで夢だった本屋で働き始めた。
好きな本に囲まれて仕事できるかと思っていたのに、現実はやはり甘くなかった。
ご存知だろうか。
書店の万引きによる被害総額は年間数百万円にものぼる。
うちの書店のような中規模店舗だと、新卒の初年度年収に相当する金額が毎年盗まれているのだ。
万引き以外でも、いわゆる「迷惑客」が耐えないのが書店だ。
私たち店員は、日々そんな客と戦っている。
「店長、また来ましたよ」
金曜日の夜、閉店間際だった。
アルバイトの立花さんがこそっと耳打ちする。
何気ないふりをして店頭の方に出てみると、スーツに身を包んだサラリーマン風の男性が雑誌を立ち読みしていた。
赤ら顔でしゃっくりを上げながら週刊誌を読んでいる。
この客は毎回、酒を飲んで酔っ払った状態で来店する。
何もせず帰ってくれればいいのだが、店頭で大声で叫んだり、シャッターを閉めたいのに立ち退かなかったりするので非常に迷惑している。
一度、立ち読みしていた雑誌の上に吐いて、そのまま寝てしまい、警察を呼ぶ羽目になった。
その客はやってきた警官に引っ張られていったが、そのために雑誌代の請求ができず、掃除もこっちがやらなければいけなくなり、帰宅が普段より1時間も遅れた。
入店拒否できればいいのだが、店内に入らず店先で立ち読みしていることが多く、かつ何か言って暴力でも振るわれたらと思うと易々声もかけられない。
酔いが浅い時は、店員が近づくと雑誌を置いて立ち去ることが多い。
今回もそうであってくれと願い店頭をうろうろしていると、そそくさと立ち去ってくれた。
「あー、昨日も来たんですね」
翌日、社員の高田君に昨日の客の事を話す。
この店舗では社員が3人で店を回している。
入社2年目の高田くん、副店長の加藤さん、店長の私。
後はアルバイトの学生やパートの主婦だ。
クレームやお客様対応など、何かトラブルがあった際には細事でも社員間で共有することにしている。
「やっぱりポスター作って貼りますか?」
以前から『立ち読みお断り』や、『酔った方入店禁止』などのポスターを貼るという案が出ているのだが、効果がとてもあるとは思えないし、店の目立つところに商品のポスターが貼れないのはもったいない気がして保留にしていた。
「やっぱり、牽制も込めて貼った方がいいよね」
少しでも厄介ごとが減るなら仕方ないか、と私はあきらめ半分で承諾した。
「じゃあ、僕作りますね。Wordでいいですよね?」
「うん。ありがとう」
高田くんはパソコンが得意で、チラシやポップもすぐ作ってくれる。
気が利くし、アルバイトとのコミュニケーションも私たちよりもうまく取れているし、今の若者のイメージとは少し違う、いわゆる『好青年』だ。
副店長の加藤さんともよく、いい子入ってきたよねー、という話をしている。
今日は、土曜日。
家族連れや中高生のグループが多くなる。
児童書の見本誌をぶん投げる幼稚園児、それを注意しない親。
カップの飲み物を持って入って、本を見るでもなく通路で立ち止まってしゃべっている中学生。
平日は穏やかな日中の時間帯だが、土日はレジも、店内も忙しくなる。
トラブルも起きやすいので、いつも以上に気を張らなければいけない。
それでも、この仕事を8年ほど続けられているのは、本と、ここに来る本好きのお客さんの為と思えるからであろう。
「店長、ちょっと」
今日もシフトに入ってくれているバイトの立花さんが、雑誌の配置替えをしていた私をこそっと呼び出す。
「あの人、前万引きしようとして店長が捕まえた人じゃないですか?」
そこには、大学生の若者がいた。
確か去年、漫画や雑誌を数冊持ったままレジを通さず店外に出たところを、私が声をかけたのだ。
その後警察に来てもらい、盗ろうとしたものの代金を全部支払ってもらった。
その後、しばらく警戒していたが、あれからは来ていなかったはず。
「立花さん、よく覚えてたね」
私は彼女の記憶力に関心する。
「あの人たぶんうちの大学なんですよ。学校で見たことあって。いやだなー」
なるほど。
立花さんはこの駅が最寄りの大学に通っている。
前来た時に学生であることは聞いたのだが、まさか近所の学生だったとは。
若者は前と同じように4,5冊の漫画や雑誌を手に持っている。
前回は雑誌の上に書類ケースを載せて、そのまま抱えて出ようとしたのだ。
今回もまた同じ事をするのでは。
私は、立花さんに若者に見える位置での商品整理を頼み、自身は本棚の陰から様子を伺いながら、出口への導線を潰せる位置にいた。
10分くらい様子を伺ったところで、若者は持っていた商品を全て元の位置に戻し出て行ってしまった。
見られていたから諦めたのだろう。
立花さんと、行っちゃったねー、などと話していると、常連のおじいさんが慌てた様子で声をかけてきた。
「ちょっと店長さん!あんたどこにいたの!さっき若い子が本もって出て行っちゃったよ!」
え、と私たちは狼狽した。
「え、今ですか?どこで?」
万引き犯は何も盗らずに出て行ったはずだ。
「店の入り口あたりに新刊おいてあるだろ?そこで若い子が3冊くらい持って、スッと出てっちゃたんだよ!あ、これは万引きだと思ったけど、レジも遠いし店員さんも周りに全然いないから追いかけて行ってね、でもすぐ見失っちゃったから戻ってきたんだよ」
店の入り口あたりだと、私たちが警戒していた場所の丁度反対側だ。
やられた。
客足が落ち着いてきた夕方過ぎ、私は高田くんと防犯カメラを確認していた。
「この2人グルみたいですね。店長たちが店の奥に誘導されてるタイミングで取られてます」
私たちが警戒していた方は囮で、本命が万引きを遂行したことを確認して店を出て行ったのだ。
しかも実行犯の方は、カメラに人相が映らないようにつばのある帽子をかぶっている。
「これはかなり悪質だなー」
私は万引きがあった瞬間の映像を保存し、最寄りの派出所に被害届を出すことにした。
グループで狙われた場合、4~5人の少人数で回しているうちの店は歯が立たない。
うちだけではない、このビルに入っている店はだいたいそんな規模だ。
そして万引き犯は、一度万引きが成功した店で再犯する可能性が高い。
また新たな悩みの種ができてしまった。
それからしばらくして、また嫌な金曜日がやってきた。
「なんだよこの貼り紙!俺の事言ってんのか!?」
例の酔っ払いサラリーマンがまた店にやって来て、高田くんが作ってくれた、『酔った方の入店お断りします』のポスターを見つけたのだ。
今日はいつにも増して酔っているらしく、ポスターをわざわざ剥がしてレジまでやってきた。
「お客様、何かございましたでしょうか」
私はすぐレジに駆け寄った。バイトの子が怯えている。
「なんだよこれ!俺ここで本買ってやってんのに入るなって言ってんのか!?」
『酔っている方』の言葉に引っかかったということは、酔っている自覚はあるらしい。
「他のお客様のご迷惑になりますので、お話店外で伺い…」
「どいつもこいつも俺をのけ者にしてよ!俺が何したって言うんだよ!」
酔っ払いはその場でグチグチと管を巻き始めた。
会社でも若い社員に嫌われているだとか、上司も命令ばかりして労いがないだとか、家では家族がゴミを見るような目で帰宅した自分を見るだとか。
そのうちに、店内にいた他の客は危機を察して出て行ってしまい、間もなく閉店の時間となってしまった。
警察を呼ぼうか思案していると、酔っ払いはスイッチが切れたように1点を見つめ、しばらくしたら黙って出て行ってしまった。
愚痴の為に寄ったのか。
ここはお前の話を聞いてもらえる場じゃないんだぞ、と内心毒づきながら、私はバイトの子に怖い思いをさせた事を謝り、少し早めの閉店作業を始めた。
翌日、開店作業をしていると警察の方が2人やってきた。
1人はいつも万引きなどが出たときに来てくれる派出所の人で、もう一人はスーツを着た人であった。
「ちょっとお話よろしいでしょうか」
そう言って出された警察手帳には、警部補と書いてあった。
「実は、昨日この近くで人が亡くなりまして、その方の手にこちらの店舗のチラシが握られていたので何かご存じないかなと思い伺いました」
バックヤードに2人を通し話を聞いていると、予想外の話が飛び出してきた。
人が亡くなった…?
うちのチラシを持って…?
「あの、申し訳ないのですが、うちはここしばらくチラシは作ってないんですよ。何かの間違いでは?」
「ああ、失礼。チラシというか、貼り紙のようなものです。おそらくお店に掲示しているものを取って行かれたのかと。『酔った方の入店お断りします』と書いてありました」
その瞬間、昨日の出来事がフラッシュバックした。
「その方なら、昨日来ました。防犯カメラの映像が残っていると思います」
私は急に口が乾いてきた。
亡くなった…?なんで…?
「その映像見せていただくことは可能でしょうか」
刑事さんが言う。
「は、はい。いいですけど、なんでその人亡くなったんですか?」
2人は少しの間沈黙した。
「…今はお伝えしかねます」
それから2人は昨日の防犯カメラの映像を確認し、帰って行った。
私が酔っ払いサラリーマンの死因を知ったのは、夜のニュースであった。
『昨夜未明、○○市内で男性の遺体が発見されました。遺体は背後から刃物で刺されており、死因は出血死と思われます。現場に凶器は残されておらず、犯人は未だ逃走中です。亡くなったのは、市内に住む48歳男性…』
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