広告代理店

クレームを受ける仕事というのは、何も消費者相手の小売業やサービス業だけではない。

対企業の仕事であっても、クレームを受けることは往々にしてある。


広告代理店に勤める私も、日々クレームに悩まされるサラリーマンの一人だ。


私の勤める会社は業界の中でも小規模な企業だが、大手企業との取引もある。

私はそこで営業をしている。


私の仕事は、クライアント要望を聞き、それをデザイナーに届けて一緒に良い広告を作っていくという仕事だ。

飛び込みの営業もあるが、どちらかと言うと既に取引のある企業とのやり取りが多い。


今年に入って、私は担当企業が変わった。

前任の急な退職に伴う人事異動だった。


大手企業の営業に抜擢されて、本来は幸運であるはずだ。

しかし、この企業の営業は俗に「サンドバッグ」と呼ばれている。

酷い名前だ。


ここの営業担当になった人間は、もれなく退職している。

担当になって数か月で辞めた者もいれば、精神を病んで休職に追い込まれた者もいる。

今のところ4人連続である。

この度、栄えある5人目に私が選ばれたというわけだ。


自分の事を、とても仕事ができる優秀な人間、というつもりはない。

しかし、こんな仕打ちを受けるほど使えない社員だったつもりもない。


辞令を見た同僚は残らず哀れんだ視線を投げかけてきた。

可哀そうに、でもどうしようもないよね。

そう言われているようだった。



前任の引継ぎ資料はほとんどなかったが、前々任が残していった資料がまだ残っていた。

それほど短期間で担当が変わっている証拠だ。

引継ぎ資料はそれなりにしっかり作られていて、前々任の手腕がうかがえる。


資料の最後には、「留意事項」と題された、取引先とのやりとりについての恨みつらみのような文章が添付されていた。


こんなに優秀な人間でも手に負えないのだ。

私なんかが手に負えるはずもなく、地獄の日々が始まった。



まず、先方の時間感覚は無茶苦茶だった。

深夜に電話がかかってくるのなどザラで、数時間で試作を出せだの、休日に言われたことをその日中に仕上げろなど、とんでもない注文をしてくる。


それをデザイン部に伝えるのも私の仕事なのだが、当然のようにデザイナーからは文句を言われる。

仕方ないと言えば仕方ないのだが、私に文句を言われてもどうにもできない。



完成データが送れたとしても、無事終わるわけではない。

修正と新規注文の嵐だ。

1日前に言われたことが、次の日には180度変わっている。

業界ではよくあることだが、この会社は頻度が明らかに多い。


もし、できない、などと言うと山のように罵倒される。

お前らの会社はうちで持ってんだぞ、と。

そして上司にも連絡が行き、社内でもチクチクと言われるはめになる。


「君ねえ、あの会社の担当が辛いのはわかるけど、うちの会社はあそことの取引が無くなったら終わるんだよ。なんでそんなに担当が変わるんだって先方からもクレームが来てるんだからさ、頑張って耐えてくれなきゃ」


前任が辞めていったのは、取引先のせいもあるが、上司のせいもあるのではないだろうか。

引継ぎ後、私は切に感じた。



私の睡眠時間と体重は日に日に減っていった。


取引先からの電話を取り、デザイン部に伝える。

データを受け取り、先方に送る。

社外にも社内にも頭を下げる。

そんな日々が続いた。



そんな日々が続くと人間どうなるか。

思考力、判断力が弱まり、日々何をしているのかわからなくなる。

取引先からの、馬鹿だのクズだのいう言葉を耐えしのぐには、いちいち考えていたら持たないのだ。


そんなこんなで、私は気が付いたら電車のホームの縁に立っていた。


「ちょっと!お兄さん危ない!」


そう声をかけられて、私は自分が飛び降りようとしていたことを知った。

危なかった。

こんな事で死ぬなんて。


私を助けてくれたのは、大学生らしい若者だった。

少し訛りがあるから、地方から出て来たのだろうか。


「顔色悪いですよ?大丈夫ですか?」

彼はそう言って私をベンチに座らせ、自動販売機で缶コーヒーを買い手渡してくれた。


「ありがとう。助かったよ。まったく不甲斐ない…」

コーヒーの糖分で、思考が少しだけ正常に戻る。


「お兄さん、サラリーマンですか?大変っすね」


「はは、そうだね。君も就活の時にはブラック企業には気を付けるんだよ」


「お兄さんの会社、ブラック企業なんですか?」


「いや、うちっていうか…」


そんな調子で、最近の災難をすっかり話してしまった。

この若者もよく相槌を打ってくれるので、なんだかスルスルと言葉が出てきた。


「そうかあ、じゃあお兄さんはクレームに悩んでるんですね?」

そう言って彼は1枚の名刺を取り出した。


(株)クレーム駆除センター  クレーム以外のお悩みもご相談ください


「俺のバイト先の先輩が掛け持ち先の社員さんから教えてもらったらしいんですけど、割といろんなことに対応してもらえるらしいですよ」


私はお礼を言って彼と別れた。

そういえば外出先から帰社するところだったのだ。

そんな事も忘れてしまうほど、私は疲れ切っていたのだ。



取引先のパワハラというのは、労基に相談しても改善されずらい。

自分の所属する会社に、部署移動などの対応を求められるだけで、根本的な解決にならない場合が多いという。

だから前までの担当も辞めていったのだ。


民間の会社で相談できるところがあるなんて思ってもみなかった。

私は早速、次の休みに電話をかけてみることにした。



〈お電話ありがとうございます。クレーム駆除センター、オペレーターのムクイでございます〉


アナウンサーのような女の人の声だ。


「あ、お世話になっております。クレームの相談に乗っていただけると聞いてご連絡差し上げたのですが、取引先からのクレームもご対応いただけるのでしょうか」


〈かしこまりました。BtoBのクレームのご相談でございますね。担当のモノに代わりますので少々お待ちください〉


保留音が鳴る。

軽快な電子音でドナドナが流れる。


子牛が売られてゆくあたりで保留音が止んだ。


〈お電話代わりました。クレーム駆除センター、ブラック企業担当のクロダと申します〉


同じ人じゃないかと思うくらい声が似ている。

話し方も。


〈どういったご相談でしょうか?〉


私が戸惑っていると、向こうから声をかけてくれた。


「ああ、ブラック企業のご担当者様なのですね。弊社というか、取引先がブラックなのですが…」


そう言って私は、駅で会った若者と同じように、あらましを全て話してしまった。


〈承知いたしました。では、お辛いとは思いますが、2週間お時間をいただけないでしょうか?2週間後に対応完了させていただきたく存じます〉


まるで興信所のようだ。

費用の事を聞くと、企業の方から取れるから安価な成功報酬でいいという。

私は連絡先を伝え、電話を切った。


あと2週間耐えればいいのか。

そう思うと希望が見えてきた。



それから2週間後。

信じられないことが起こった。


部長が青い顔をして出社してきたと思ったら、私が呼び出された。

なんと、取引先が刑事告発されたらしい。


社長以下幹部が私用目的で関連会社から不正に融資を引き出していたことが発覚。

ほぼ同時に、過労死した社員の遺族らが会社を起訴したらしい。


株価は大暴落。

企業イメージも地に落ちて、広告を打つどころの騒ぎではなくなった。


私の会社も芋づる式に経営不振に陥るだろう。

なんせ売り上げの半分はその取引先だったのだ。


私はその日に辞表を出した。

もうこんなところ1日もいたくない。


『耐えてくれよ』と言った上司、口も顔もスーツのセンスも悪い取引先の担当。

そいつらが絶望する様子を思い浮かべて、私はほくそ笑んだ。



晴れ晴れとした気分で帰路についた、その日の帰り道。


例のクレームセンターから電話がかかってきた。


〈いつもお世話になっております。クレーム駆除センター、クロダでございます。クレーマーの駆除が完了いたしましたのでご報告のご連絡を差し上げました〉


「あ、クロダさん。やっぱりアレ、あなた方の仕業だったんですね。お陰様で気持ちよく仕事を辞めることができました」


〈それはよかったです。弊社といたしましてもかなりの収穫でしたので、今回のご依頼料は結構でございます〉


向こうにもかなりの利益があったという事なのだろうか。


「そうなんですか。それはありがとうございます。」


どういう仕組みなんだ、と思うと私はこの会社の事が気になって仕方がなくなってきた。


「…ところで、あなた方は一体何者なんですか?」


やや間があって、電話の向こうの声は答えた。


〈……知りたいですか?〉


その瞬間、背筋がぞっとした。


〈もし、次の就職決まっていらっしゃらなかったら、弊社でも社員の募集をしておりますが、どうでしょう?〉


背後に何かがじわじわと迫っている気配がする。

背筋に冷や汗が流れるが、なぜだろう。

嫌な気はしない。


〈いかがですか?〉


なんだろう、とても素敵な誘いに聞こえる。

相手の言葉が頭の中に響き、心地がいい。


「…じゃあ、よろしくお願いします」


トプン


◆◆◆


「ママー、あそこにいたお兄ちゃん急に消えちゃったよー」


「はいはい、そうなのねー。あら、スマホ落ちてるわ。やだ、水たまりに落ちてる。落とした人気の毒に…。ゆうちゃん、落とし物はどこに持っていくんだっけ?」


「おまわりさん!」


「せいかーい!じゃあ、ママと一緒に届けに行こうか!」


「うん!」

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