小学校-2

名刺をいただいてから1週間。

私はずっと考えていました。


教育に携わるものとして、こういう会社に相談してもいいのでしょうか。


しかし、もう学校は動いてくれません。

「学年が上がると、親も子離れするから」

アキラ君のお母さんが飛び込んできた後、教頭先生に言われた言葉です。

今は耐えてくれ、そう言っているのです。


まだ新学期が始まってから3か月。

年度末まで耐えられるでしょうか。


それに、一番の気がかりはアキラ君本人です。

あの日の翌日、彼は登校してくるなり、

「先生、お母さんがごめんね」と言ってきたのです。


アキラ君は知っているのです。

お母さんが過剰なまでに心配性なこと。

そして私たちがそれに疲弊していること。


私は唖然としました。

生徒が、子供がそんなことに気を使わなければいけないなんて…。


アキラ君の為になんとかしたいという気持ちと、教師という立場に、私は板挟みになっていました。



あの日以降も、アキラ君のお母さんからの電話は止みません。

聞かれたことに少しでも答えられないと、

「なんで担任なのにそんなことも答えられないんですか!!」と叱咤されます。


なぜ私がそこまで言われなければいけないのでしょうか。

負けたくない、こんなことで負けたくない、という悔しさがこみ上げてきました。



あの日から、心なしかアキラ君の元気もないように見えます。

これはもう、迷っている場合ではないのかもしれません。



プルルル―――


〈お電話ありがとうございます。クレーム駆除センター、オペレーターのムクイでございます〉


こんな丁寧な電話応対を受けるのはいつぶりでしょう。


「あの、お名刺をいただいてお電話したのですが、職業柄あまり詳細はお伝えできなくて、それでもご相談していいでしょうか…?」


〈かしこまりました。お客様のプライバシーはきちんとお守りいたしますので、どうかご安心ください〉


私は泣きそうになりました。

それだけ追い詰められていたのだとも思いました。


私は詳細を省いて、内容を伝えました。

学校で働いていること、保護者の方に手を焼いていること、かなり過保護な様子であること。

学校の所在地や個人名はもちろん、生徒の年齢なども極力わからないように伝えました。


そして何よりアキラ君の為に、この問題を早くに解決したいことも。


〈なるほど、承知いたしました。では、お客様はどのような解決方法をお望みでしょうか?〉


解決方法、そこまで考えてはいませんでした。

やはりプロの目というのは違うようです。


「そうですね。生徒の幸せが一番なので、そうなるように解決したいです」


その言葉に偽りはありませんでした。

私よりなにより、アキラ君の幸せが一番なのです。


〈かしこまりました。では、専門部署がございますので、そちらで対応させていただきます〉


そう言って電話が切れました。


改めて連絡してくれるのでしょうか。

電話番号も、私の名前も伝えなかったのに。

急に、不安が押し寄せてきました。



その後、何もないまま数週間が過ぎました。

やはり、クレームの相談ができる会社なんて、何かの間違いだったのかもしれません。


事態は大した改善も見られないまま、三者面談の日を迎えました。




「ですから先生、いつもお電話差し上げているようにアキラの事はしっかり見てていただけないと」


面談の内容は、普段の電話と変わりありませんでした。

電話で毎日面談をしているようなものですから当然です。


「はい、アキラ君はしっかり勉強もできますし、友達もたくさん…」


「しっかり、なんて曖昧な表現を使わないでください!お友達もアキラにケガをさせるような碌な子じゃないでしょう!?」


アキラ君は暗い顔で、「もうやめてよお母さん」と呟きます。


私は埒が明かないと思い、アキラ君に話を振りました。


「アキラ君はどうかな?学校で何か困ってることない?」


アキラ君が口を開きかけましたが、お母さんが発言を遮りました。


「この子に意見を求めないでください!この子の意見は私の意見です!私に聞きなさい!」

お母さんはアキラ君の事も、私の事も見ずにそう叫びました。

まるで自分にそう言い聞かせているかのようでした。


「この子は何も心配しなくていいんです!全部私が正しいものを選んで与えますから!」

アキラ君は俯いていましたが、震えているのがわかりました。


「私とアキラの事に口を挟まないでください!あなたは私の尋ねることにただ答えればいいんです!それができないのであれば、担任なんて辞めてしまいなさい!!」

私は言葉を失いました。

どうしてこの人は、自分の子供をそこまで縛りつけられるのでしょう。

でも思い返してみれば、お母さんもいつも悲痛な顔をしていました。

私はこの親子が哀れでなりませんでした。


お母さんには同情しましたが、アキラ君の為にも何か反論しなければ、そう思った時です。


「もうたくさんだ」


それがアキラ君の口から発せられたものだと、最初はわかりませんでした。

大人の男性のような、低く、太く、恐ろしく怒気を孕んだ声でした。


「もうたくさんだ、こんな言い争イ。」


私も驚きましたが、お母さんはもっと驚いたことでしょう。

アキラ君から発せられた声だとわかった瞬間、椅子が倒れるのも気にせず立ち上がり、アキラ君を見つめたまま後退りました。


「お前ハこれが本当に子どものためだと思ってイるのか」


アキラ君も立ち上がり、お母さんの方に向かっていきます。

その迫力は、小学3年生の子供のものではありませんでした。


「お前ハ、自分の為に自分の子ドもを利用しているに過ぎなイ。自分の理想ヲ、自分の子供と取り違エていルのだ。」


これは、本当に人間の声でしょうか。

アキラ君の話し方は段々ぎこちなくなり、恐ろしい響きを含んでいきます。


「お前ニ子ドもを育テることはできナい。自分ノ身も自分デ立てられナイ者ニはフカノウだ。オ前 ハ コノ コドモ ヨリ 弱イ」


お母さんの顔は青ざめ、口元は何かを言いたげに小刻みに震えています。



「コノ 子ドモ ハ オ前ト 一緒ニ 居ルコトヲ 望ンデハ イナイ」



その言葉を聞いた途端、アキラ君のお母さんは絶叫しました。



「アキラが!!アキラがそんなこと言う訳ない!!そんなの、アキラじゃない!!お前は誰だ!!アキラじゃない!!アキラじゃない!!!」


そう言ってお母さんは近くにあった椅子に頭を打ち付けました。

アキラじゃない、アキラはそんな事言わない、と言いながら何度も何度も。


アキラ君の体が大きく揺れたことで私は我に返りました。

彼は気を失ったのです。

私はその体を受け止めると、教室の外へ向かって助けを呼びました。


アキラ君のお母さんは気を失うまで、額が割れて血が流れても、違う、違うと叫びながら頭を打ち続けていました。




それから2人は病院に運ばれ、アキラ君には私が付き添いました。

幸いにもアキラ君は救急車の中で目覚め、体にも異常はないようでした。


しかし、教室でのことは覚えていないとのことです。

「先生とお母さんと3人で話をしていた気がするけど、気が付いたら救急車だった」と。



その後、アキラ君はお父さんと暮らすこととなりました。

アキラ君は、以前より晴れ晴れとした表情になっている気がします。


「アキラ君、最近困っていることはない?」

私はある放課後、アキラ君に尋ねました。

「全然!何もないよ!」

アキラ君は元気に答えてくれました。



「そもそもお母さんのこと好きじゃなかったし、言いたいこと言えたからいいかな。先生が気にすることないよ」


そう言って彼は愉快そうに笑いました。




あの日を境に、アキラ君は変わってしまったのでしょうか。


唯一の心当たりは、あの会社です。

そんな事、起こるはずないとは思いますが…。



あの後、アキラ君はお父さんのお家に近い学校に転校し、私もその次の年度から他の学校へ転勤となったので、アキラ君のその後を知るすべはありません。



あの時、あの電話をしてよかったのかどうか。

私は今でも答えを出せないままでいます。





プルルルル……ガチャ



〈お世話になっております。クレーム駆除センター、オペレーターのムクイでございます。


今回、専門部署のモノを派遣させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?


弊社ではお客様のご意見も承っておりますので、何なりとお申し付けください。


またのご利用おまちしております〉

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