映画館-1
「黒沢さーん、またあの人!対応お願いできませんか?」
またかよ…
俺は舌打ちをしながら現場に向かった。
◇◇◇
俺の働く映画館は、全国展開のショッピングモールに入っているシネマコンプレックスだ。
映画館もまぁ色んな人が来る。
普段映画を見る人、見ない人、カップル、家族連れ、学生の友達同士。
先ほど、「あの人」と言われていたのは、映画マニアの一人客だ。
ミニシアター系の劇場であれば、「常連」という概念も存在し得よう。
だが、ここは大量に人が来るシネマコンプレックスだ。
スタッフが客を覚えている理由は、よく来るからではない。
厄介な客だからだ。
◇◇◇
今回は何をしたんだ、と思って言われたシアターに向かうと、「あの人」は若い客と口論していた。
「君!エンドロールも楽しみにしているお客さんもいるんだよ!劇場が明るくなるまで携帯電話は触らない!これは常識だろう!」
「うるせえなぁ、おっさん!映画は終わったんだからいいだろ!」
あの人は50歳代とみられる男性。
おそらく学生と思われる、息子ほど歳の離れた客と喧嘩をしていた。
他の客はそそくさと退場するか、遠巻きに野次馬をしている。
こんな時には、曲がりなりにもバイトリーダーの俺が対応しないといけない。
「お客様、次の上映がございますので退出していただきたく…」
「君ねえ、迷惑行為を見逃せっていうのかい?」
俺は相手の若者が掴みかかろうとするのを制する。
「あとはスタッフが対応させていただきますので。ご迷惑をおかけした分、次回の招待券をお渡しさせていただきます」
俺はこういった時の通常フローとして、あの人にチケットを手渡す。
「従業員の人も、もっと目を光らせてよね」
捨て台詞を吐いてあの人は帰った。
「お客様、申し訳ございません。ちょっと厄介なお客さんでして…。ただ、エンドロール中のスマホのご使用は、不快と思われるお客様もいらっしゃるので今後控えていただいた方が無難かと…」
俺はあの人が出て行ったことを確認して、若者に謝罪した。
「なんなんですかあの人!?お兄さんも大変でしょうけど!」
そう言って若者は招待券を受け取って帰って行った。
「また来てくれるなら、今の子の方がいいな。おっさんじゃなくて」
俺は独り言ちた。
あの人は、覚えている限り1年ほど前からここに来ている。
いや、来ているというのは正確ではない。
ややこしい事を言い始めたのが少なくとも1年前なのだ。
最初は、よくあるスタッフの言動や、他の客のマナーについて上映後にチケットカウンターまで言いに来るくらいだった。
それでも週一は来ていたようで、スタッフ間で話題になるのは早かった。
最初はカウンターのスタッフが煩わされる程度だったが、次第に飲食・物販のスタッフが言われるようになった。
ドリンクには音がでるから氷を入れるな、グッズだったらこれを揃えておかなければいけないだろうなど。
シネコンでは到底許容できない注文ばかりだった。
そのうち、映画の上映ラインナップそのものに文句を言われるようになり、その頃からなぜか俺があの人対応専任となっていた。
「なんでアニメばっかり上映するんだよ。ここの劇場、ヨーロッパの映画を全然上映しないじゃない!だから日本の映画業界は衰退していくんだ!」
ある日、あの人がカウンターで吐いたセリフである。
だったらこんなチェーンの映画館にくるなよ、と思いながら俺は受け答えしていた。
「ここはショッピングモールの中で家族連れも多いし仕方ないんすよー。○○監督の新作だったら、□□の映画館でやってるらしいすよ」
俺が申し訳なさそうに答えると、あの人はコロッと機嫌をよくした。
「君、よくわかってるね。じゃあ□□の映画館に行くよ。でも話題の映画も見とかないとね」
そう言ってアニメ映画のチケットを買っていった。
買うのかよ、と思ったが、この人は「言いたい人」なんだろう。
そうして晴れて俺はあの人のクレーム対応専任となった。
本当に勘弁してほしい。
あの人がスタッフに文句を言っている間はまだよかった。
映画館も正直集客が厳しい。
あんな人でも毎週来てパンフレットを買ってくれるのはありがたいことだ。
しかし、数か月前から暗雲が立ち込めた。
あの人が他の客に直接文句を言うようになったのだ。
本編中のおしゃべり、スマホの操作の注意はまだいい。
言い方さえ考えてくれれば。
しかし、段々エスカレートしていき、ペットボトルの飲み物の持ち込みや、予告中のおしゃべりなど、スタッフでも「それはいいだろう」と思うようなことまで注意し始めたのだ。
一度、上映中に注意した客と大喧嘩になり、上映中断、全員に返金対応という大変な事態となった。
さすがにその時は本人にも注意をして、
「劇場に迷惑をかけるのは本意ではないから」という証言もとれたが、しばらくして再発していた。
俺も毎日出勤しているわけではないが、あの人はほぼ週末に来るらしく、ほとんど俺のシフトとかぶっている。
間違いなく最近のストレスの種だ。
「先輩、顔やつれましたね」
休憩中に後輩が声をかけてくれた。
「なあ、あの人今日も来てんのかな」
「あー、飲食の子が見たって言ってましたね。今日はなんも無いといいですけど」
俺は、あああと悲嘆の声を上げた。
「そういえばあの人の顔、どっかで見覚えないですか?」
こんなにも問題をおこしているのだから顔も覚えて当然だろう、そう答えたら後輩は首を傾げた。
「いや、そうじゃなくて、どっか他の場所でみたような…」
そう言われてみれば俺もそんな気がする。
その日、あの人は俺を見つけると、
「なんか学生がざわざわしてたね」
とだけ言って帰って行った。
それ以外は特に何もなく、比較的平和に終わった。
その日家に帰ってからも、後輩の言葉が気になったままだった。
確かに俺もどこかで見たことあるような気がする。
しかもいつものポロシャツじゃなくて、スーツを着ていたような…。
部屋に無造作に置いてあった、市の広報誌が目に留まる。
ひょっとして、という予感とともに紙面を開くと、それは見事に的中した。
コラムの端に丸く切り取られた写真。
あの人は市議会議員だった。
議員がクレームつけてんのか、とげんなりしたが、すぐに思い直す。
あの人は文句をつけたいわけではなく、正義感で行動しているのではないかと。
思えば、最近は他の客のマナーに関することばかりだ。
確かにマナー違反の客への注意はスタッフとしてもありがたいことだが、違反しているのかいないのか微妙な客へも注意している。
しかも、言い方がいかにも説教臭くて嫌味たらしい。
いかにも、自分は真の映画ファンで他の客は全員にわか、とでも言うような。
注意された客ももちろんだが、それには俺も腹が立っている。
映画を見る頻度やジャンルで何が図れるのだろう。
「政治家か、顔バレしたら役所に苦情殺到だぞ…」
そう呟きながら俺は広報誌をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます