映画館‐2

「クソッ、またかよ」


次の週末、また俺は上映終了後のシアターに呼ばれた。


あの人が若い女性客と口論になっているのを、清掃に入ったスタッフが見つけたらしい。



俺が現場に到着するのと、あの人が出ていくのが同時だった。

どうやら中のスタッフのおかげで一応は収集したらしい。


「なんなんですか、あのセクハラおじさん」


劇場に入ると、静かに起こる女性客をスタッフがなだめていた。


聞くと、エンドロール中にスマホでちらっと時刻を確認したことを事を咎められたらしい。

しかもかなりの言い草だったとか。


「普通に注意されるだけならまだしも、女が一人映画なんてとか、映画の内容を理解できてないからスマホなんて触るんだとか、何様なんですかあのおじさん」

確か今日の上映作品は、珍しくフランス映画だったような。


「お客様、不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません。今後、こう言ったことの無いよう、巡回を強化いたしますので…」

「何回もあるんですよね、こういうこと。SNSで言われてますよ?」

彼女は俺を睨みながら言った。


え、そうなの?

俺はスタッフと顔を見合わせた。


「ほらこれ」

彼女が見せてきたのは、SNSで俺たちの働く映画館の名前を検索した結果だった。


―あの映画館、週末いかない方がいい。説教おじさんがいるから危険。

―なんかすごいクレーマーいる。客にもクレームつけてるしww

―特に若い人注意ですよー。見てるだけでもめっちゃ嫌な気分になる。

―もう絶対いかねー。


これは、かなりやばいのでは…?


言葉を失う俺たちをよそに、彼女は続ける。


「もう出禁にしちゃったらどうですか?個人的にはこの映画館好きだし。もう来れなくなるのは嫌ですから」

「あ、ありがとうございます。出禁かあ…」

果たしてできるんだろうか。


また俺たちが言葉に詰まっていると彼女はため息をついた。

「出禁にできないのなら、ここに相談してみたらどうですか?いいサービスしてくれますよ」


そう言って彼女は1枚の名刺を手渡した。


(株)クレーム駆除センター  どんなクレームにも対応いたします




彼女が返ったあと、俺は先ほどのスタッフと社員のチーフのところへ行った。

なんにせよ、SNSの件は報告しなければいけない。


「んー、困ったなあ。でも出禁かあ」

チーフは渋い顔をしている。


「黒沢くん、確か家市内だったよね。知ってるかもしれないけど、あの人議員さんなんだよね。出禁にしてもっと面倒くさいことになってもねえ」


まあ、そうなるだろうな。

チーフの言うこともわかる。

これ以上面倒くさいことは俺もごめんだ。



「と、いってもなあ…」

俺は家に帰って、再度SNSを見てみた。

ここ一か月でだいぶ書き込みが増えているらしい。

中には俺たちスタッフに対する書き込みまであった。


―スタッフもしっかり老害を取り締まってくれよー。

―なんで出禁にしないの。映画館対応悪すぎ。


俺は頭をかかえた。

どうすりゃいいんだよ一体。


その時、ふと今日の女性客の言葉が頭をよぎる。

『いいサービスしてくれますよ』


俺はカバンを探り名刺を取り出すと、スマホに手を伸ばした。



〈お電話ありがとうございます。クレーム駆除センター オペレーターのムクイでございます〉


丁寧な女性の声が聞こえた。


「あの、ちょっとクレーマーに困ってて、その人が社会的地位のある人だからどうしたらいいかなーって。相談乗ってもらえませんかね?」


〈承知いたしました。詳しくお聞かせいただけますか?〉


俺は聞かれるがまま詳細を話した。

今まであった事や、あの人がよく来る時間帯まで。

さすがに名前は伏せたが。


一通り話終えると、電話口の人は納得したように言った。


〈なるほど。承知いたしました。あとは弊社におまかせください。対応完了いたしましたら、改めてご連絡いたします〉


そう言って電話が切れた。



二週間後。


あの人が来た知らせを受けて、俺はずっとシアター内に待機していた。

あの人が帰るまで、他の客と揉めないように見張るためだ。


ここ最近は、この前電話したクレームセンターの人が来てないか、とい期待を胸に抱きながら、仕事をしていたがそれらしい人は来なかった。


今日は上映前に空席の確認をして、そのまま劇場内に待機していた。

予告が終わって、映画が始まった。

あの人の席の周りは空席だ。

このまま何もなければ無事に…。


そう思った矢先だった。


シアターのドアが開き、遅れた客が入ってきた。

そしてそのまま、あの人の座っているレーンへ向かう。


まずい!

その思った時にはすでに遅く、遅れた客はあの人の前を横切り、その隣の席についた。


万事休すか。

なんせ暗くて表情がよく見えない。

頼む。このままおとなしく映画を見ていてくれ。


その思いもむなしく、客はポケットからスマホを取り出し触り始めた。

そして持っていたビニール袋をガサガサと探り、中身をとりだしているようであった。


最悪だ。

俺は急いで客のところへ向かうが、一歩遅かった。


「なんなんだね君は!」


上映中のシアターにあの人の声が響く。

運悪く静かなシーンの時であった。


周りの客もざわつく。


「劇場のマナーというものを知らんのかね!」


俺は急いでインカムで上映中止を伝える。

すぐに劇場が明るくなった。


2人の口論はまだ続いている。


「注意事項も読めん馬鹿もんは映画なんか見に来るんじゃない!」

始めは呆気にとられていた相手の顔がどんどん険しくなっていく。

「うっせぇなじじい!金払ってんだからなんだっていいだろう!」


最悪な組み合わせだ。


「お客様、お話を伺いますので一度座っていただいて…」

仲裁に入ろうとするがどちらもヒートアップしている。

掴みかからんばかりだ。


他のスタッフが入ってきて、払い戻しの案内をしている。

この2人は自分たちが元凶だと気付いているんだろうか。


「だいたい、何様だよおっさん!説教なんて垂れやがってよ!」

「お前たちみたいな若者を社会のゴミだというんだ!」


あの人は声高に叫んだ。


「今の若いやつはスマホだ、SNSだで脳みそが溶けてるんだ!基本的な社会ルールも守れないで、何が社会の一員だ!」


なんだか様子がおかしい。

相手客も、ヤバイ奴に絡まれてしまったという顔をしている。

周りの客も引いている。


「君たちみたいなゴミを私が矯正してやってるんだ!ありがたく思うんだな!体だけ一人前に育って大きな顔をして!何も理解できていない子供が!」


なんだこいつは。

何かが歪んでいる。


「君たちは私に従えばいいんだ!口答えなんてするんじゃない!おとなしく従っていれば…!」



その時、劇場の照明が落ちスクリーンに映像が映った。

突然の事にその場にいた皆が上映中止になったはずの銀幕に注目する。


真っ白にぼやけた画面から段々と映像が浮かび上がってきた。

間もなくしてカメラの焦点が定まった。


映し出されたそこは、部屋の一角を定点カメラで映したような映像である。

そこには1人の男の後ろ姿が映っていた。


『おや、目覚めたかね』

スピーカーから流れてきた声を聴いて俺はぎょっとした。

その声は、今まさに叫んでいた人の声であった。


『大人しくしていればいいものを。君が悪いんだからね』


画面の男が振り向く。

同じ顔が目の前にあった。


画面の男はカメラに近づいてくる。

するとカメラが激しく揺れた。


これ、なんかで見たことある。

あれだ、一人称視点のホラー映画…。


画面の男は手に刃物を持ち、不気味な笑顔を浮かべていた。


『駄目じゃないか。大人の言うことはちゃんと聞かなければ。注意した人に唾を吐くなんて最低だよ』


くぐもった叫び声が聞こえる。

まるで見ている自分たちから発せられたような声であった。


ゴッという鈍い音と共にカメラが大きく横にぶれた。

殴られたんだ。


再び正面を向いたカメラに刃が振り下ろされた。

布の割ける音がする。

男は何度も刃を振り下ろし、カメラに手を伸ばした。


男の手に掴まれていたのは、布の切れ端だった。

よく見たら、どこかの制服か?


映像は小刻みに震えている。


その後男はデジタルカメラを取り出し、何回かシャッターを切った。

撮った写真を確認し、またにやにやと笑っていた。


『これに懲りたら、もう悪い事なんてするんじゃないよ』


そうして画面が真っ暗になった。



俺はしばらく呆然としたあと、あの人を見た。

あの人は顔を真っ青にして震えていた。


「ち、違う。作りものだあんなもの。私は知らん。知らんからな!」


そうして逃げるように出て行った。



その後は大変な騒ぎだった。


他の客の返金対応やクレーム対応はもちろん、あんなフィルムが紛れ込んでいたことから全試写室に確認が入ることになり、その日の上映は全部中止となった。

またそれによる返金やクレーム対応の嵐…。


チーフはついに、あの人を業務妨害で訴える事を本社に進言する決意を固めた。




そして1か月後。

あの人は、児童ポルノ禁止法違反の容疑で逮捕された。


あの時流れた映像は、試写室にもフィルムなど残されておらず、誰が流したかも不明だった。


しかし、あの時シアターにいた他の客がスマホで撮影しており、それがネットで一気に拡散したのだ。


それをきっかけに被害者が声を上げ、事件が明るみとなったのだ。


被害者は中高生数十人にものぼり、繁華街でタバコを吸っていただの、万引きを目撃しただの、そういう子を家に連れ込み、裸の写真をとっていたようだ。


もちろん、誰かに言えばこの写真をネットで公開する、と脅して。


本当に最低のやつだった。


その後、ニュースやワイドショーでこの事件は取り上げられ、あの人の顔と名前は一躍世に広まった。


あの人は社会的に死んだのだ。

きっと実際の死より惨めで辛いだろう。




そういえばあの日、スマホに例のクレーム会社から留守番電話が入っていた。


〈お世話になっております。オペレーターのムクイでございます。

クレーム駆除が完了いたしました。ご満足いただけましたでしょうか〉


今回の件に何か関係があったかと思い、急いでかけなおしたが電話はつながらなかった。


無機質な合成音声だけが、俺に答えてくれた。



〈おかけになった電話番号は、現在使われておりません〉

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