小学校-1
「こんなもの、どすればいいんだろう」
私はいただいた名刺を眺めながら、途方に暮れていました。
◇◇◇
私は小学校で教員をしています。
教員歴5年目で、仕事にもだいぶ慣れ、子供たちのことも1人1人をよく見れるようになってきました。
今年、私が担当しているのは3年生です。
どの子もいい子たちで、もう3年生ですから、すっかり学校にも慣れた子たちばかりでした。
不安なことがあるとしたら、このクラスのアキラ君。
というよりそのお母さんです。
アキラ君のご両親は、アキラ君が2年生だった昨年度から別居されていると聞きます。
当時の担任の先生は、そんな状況でもアキラ君が学校では健やかに過ごせるように、大変気を配ってらっしゃいました。
その甲斐あってか、アキラ君は特別荒れることも、休みが多くなることもせず、それまで通り友達と交流もして、学校生活を送っていたそうです。
その頃から、アキラ君のお母さんを校門の前でよく見るようになりました。
どうやら毎日迎えに来ているようです。
アキラ君のお家は、学校から10分ほどとそこまで遠くないですが、家庭の事情もあるでしょうから、教員の間でも少し話題に上ったくらいで、みんなあまり気にはしていませんでした。
しかし、その年の春休みに入った直後、当時の担任の先生が休職をされることとなりました。
原因は、なんとアキラ君のお母さんです。
お母さんはアキラ君を迎えに来るときに、よく担任の先生を訪問されていたそうです。
そして、よくご意見をおっしゃっていた、と。
保護者面談の際もかなり長い時間をとっておられて、よく職員室にも電話がかかってきていたとのことです。
こんな言葉はあまり使いたくはないのですが、アキラ君のお母さんは、いわゆる「モンスターペアレント」、そのものでした。
ご自身のストレスがそうさせているのか、アキラ君の些細なケガ、成績の落ち込み、友達との諍いなど、矛先はすべて担任の先生に向かっていました。
一度、アキラ君への虐待も疑いましたが、その様子はなさそうだったので、学校も口出しはできず、受け流す形で穏便に済ませよう、という方針を決定しました。
アキラ君のクラスの担任は、今年度から私が受け持つこととなりました。
私の受難の日々は、新学期早々に始まりました。
早朝の電話、帰りの訪問、退勤時間過ぎての長電話。
拘束時間にも参りますが、アキラ君のお母さんは毎日必ず同じことを聞かれるのです。
「うちのアキラは今日どうでしたか?」と。
最初は、「連絡帳に書いておきますね」と、毎日連絡帳にアキラ君の様子を書いていました。
しかし、書いたことの詳細を電話で聞かれるようになり、結局毎日電話がくるようになってしまったのです。
一度、「いつも通りでしたよ」と答えてしまった際には、ひどい目に遭いました。
「いつも通りってどういうことですか!?毎日違う科目で違うことを授業でやっているでしょう?休み時間も違う遊びをしているはずよ!?どうして『いつも通り』なことがあるの!?」
お母さんは悲壮な顔で言うのでした。
ある日、アキラ君がケガをして帰った日、それはもう騒ぎになりました。
休み時間にドッジボールで遊んでいたところ、友達とぶつかってこけてしまい、膝にすり傷ができてしまいました。
すぐに保健室で処置をしたそうなのですが、家に帰ってみたら化膿していたそうで、お母さんが烈火のごとく怒って、もう残っている教諭も少ない学校に突撃してきたのです。
その日、私は運悪く居残りをしていました。
「アキラが!アキラがケガをしたんです!保健室ではどういう処置をしたんですか!化膿してたんですよ!?本当に適切な処置だったんですか!?」
対応した学年主任の先生に、アキラ君のお母さんは一気にまくしたてました。
「お母さん、落ち着いて…」
「先生!いらっしゃるじゃないですか!」
私も見つかってしまいました。
「ああ、お母さん。保健室の先生からちゃんと消毒したとは聞いていますが…」
「でも化膿してたんですよ!!」
「消毒したところを、再度手で触ったのかもしれません。お家でも消毒して…」
「ところで、ケガさせたのは誰なんですか」
私は一瞬言葉に詰まりました。
ここで答えてしまうと、その子の家庭に矛先が行くのではないか、と。
「お母さん、申し訳ないですが、誰がというのは申し上げられません」
「その子を庇うんですか!アキラにケガをさせたのに!!」
お母さんは止まりません。
職員室に残った全員がこちらを見ています。
「アキラ君がケガをしたのは、ドッジボールの最中です。故意ではなかったはずですし、誰とぶつかったかも特定できません」
「先生なんで見てなかったんですか?生徒を見守るのが先生の仕事でしょう!?」
私はどう返していいかわからなくなりました。
確かにお母さんの言うことは正しい。
正しいのですが、我々にとってその考え方は毒でしかありません。
「あのねぇ、お母さん」
仲裁してくれたのは、学年主任の先生でした。
「我々も数十人の生徒を見ているんですよ。アキラ君をずっと見れたら理想ですが、他の生徒も同じくらい大事なんですよ。だから…」
「私にはアキラしかいないんですよ!!!あの子に何かあったらどうしてくれるんですか!!!」
お母さんは絶叫し、泣き崩れました。
何がそこまでお母さんをそうさせているのでしょうか。
たかがケガの話だったはず。そこにいた誰もがそう思いました。
その後タクシーを呼び、お母さんにはなんとか帰っていただきました。
他の学年の先生方には同情の声をかけられましたが、心はちっとも晴れません。
来月には三者面談も控えているのです。
先ほどの事態を考えると、穏やかに終わるとは思えませんでした。
ため息をつきながら中断していた仕事を片付けていると、去年同じ学年を担当している、私よりベテランの先生がやって来ました。
「お疲れさま。大変なの当たっちゃったね。大丈夫?」
私は曖昧に笑うしかありませんでした。
「モンペっぽい人はちょこちょこいるけど、あのレベルは相当だよ」
そして先生は、少し周りの様子を見まわした後、1枚の名刺を私に手渡しました。
「あんまり大きな声じゃ言えないんだけどさ、これ。相談乗ってくれるらしいよ。よかったら電話してみて」
その名刺にはこう書かれていました。
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