39 待庵(たいあん)(最終話)

 明智光秀の遺児、光慶みつよし──南国梵桂なんごくぼんけいを送り出し、ねねはひとつ伸びをして、山崎城の縄張り内にある茶室、待庵たいあんに向かった。

 この茶室は二畳という極めて狭小な間取りの茶室で、作り手は千宗易――利休である。

 ただ、その宗易は宗仁という茶人に遠慮してか、山崎城には来ず、今では大坂城の造作ぞうさくに加わり、そこで茶室を作っている。

 宗仁もまた宗易に遠慮して待庵には入ろうとしない。

 だから今、ねねはひとりでこの待庵にいる。

 

「思えばいろいろあった……」


 帰蝶に招かれて、まつと一緒に行った、本能寺。

 泊まったその日の翌朝、本能寺の変が。

 焼け落ちていく本能寺。

 そこへ飛び込んでいく帰蝶。

 ねねとまつは辛くも脱し、宗仁の隠れ家を経て、瀬田、安土と行き、ついには長浜に戻った。

 戻った先で、またしても兵に攻められるという奇禍に遭ったが、そこからも逃がれた。

 逃げるばかりではない。

 瀬田では橋を焼くように仕向け、安土では信長の妻妾らに落ち延びるように言い、長浜では、まつに北へと向かわせた。

 ねね自身もまた、長浜から一転、京へとかえり、(結果として)連携して秀吉と共に光秀を追った。


「しかしこれでよかったのでしょうか、信長さま、帰蝶さま……」


 光秀には、信長と帰蝶が何を考えていたかは、わかってもらえたと思う。

 けれども、今。

 光秀が当初抱いた想像の方が、実は正しかったのでは。

 そう思ってしまう自分がいる。


「……を言ったら、光秀どのから突っ込みが入りそうですね」


 そんな阿呆な。

 そうあきれかえる光秀の顔が思い浮かぶ。

 しかし真相は藪の中だ。

 誰よりも光秀自身が、真相を藪の中へと放り投げたのだ。


「だからそれは今でも藪の中。それをつかもうとするのなら……」


 ──自ら、つかみ取るしかないのでは?


 そんな声が、脳内に響いた。

 まるで、天からの声のように。

 それは……とても懐かしい声だった。


「……もしや?」


 ここ待庵は、誰かを「待つ」庵として名づけられた。

 いったい、誰を待っているのやら……と秀吉に言ってみたことがあるが、特にはっきりとした答えは返ってこなかった。

 ねねはまたぞろどこかの大名の姫を「待つ」ためかと思っていたが、どうもそうではなさそうだと最近、感じ出していた。


「まさか……」


 待っているのは、織田信長なのか、帰蝶なのか。

 そういう意味で、秀吉はこの茶室を作らせたのか。


「…………」


 結局のところ、わからない。

 それは、秀吉自身すら、わからないかもしれない。

 けれども、今の「声」は言ったではないか。

 自ら、つかみ取るしかないのでは――と。

 それは自身のうちなる声なのかもしれない。


「……でも」


 そうやって、つかみ取ったものを、ちゃんと確かめないと。

 明智光秀は、それを怠った。

 あるいは、目をそらした。

 それをねねは確かめたのだ。

 だから勝ったのだ、と思う。

 それは秀吉も同様で、今でこそ「中国大返し」などと喧伝しているが、それは細心の注意と入念な確認の上でおこなったのだ。


 ――で、あるか。


「あ」


 今度は。

 この「声」は。

 そう思って立ち上がった。

 その時。


「お方さまあ! ねねさまあ! 上様、秀吉さまご帰還! 大勝利の上、ご帰還でござりまするう!」


 長谷川宗仁が、息せき切ってやって来て、待庵のにじり口を開け、そう怒鳴った。

 それと共に、かそけきその何かは、待庵から出ていったような気がする。


「ねねさま、どうされましたかいな?」


 宗仁が汗をかき、息を荒げながらへたり込む。

 よほど、急いできたらしい。

 それでも、ねねの放心した状態を心配しているらしい。

 ねねは微笑んだ。


「どうもありません。ご苦労様でした。では、行きましょう」


 ねねは待庵を出た。

 聞き慣れた声がする。

 秀吉、秀長、市松福島正則高虎藤堂高虎佐吉石田三成助佐片桐且元

 蒲生の賢秀かたひでと氏郷の父子もいる。

 ああ、それに、まつもついてきたのか。

 

 これから、また忙しくなる。

 秀吉は天下を目指している。

 次、あの待庵で聞いた「声」を聞くのは、いつになるのだろうか。

 それはわからない。

 でも、待っていてくれそうな気がする。

 そうしたら、次はお返しをしよう。

 ねねと秀吉が、あなたがたから受け継いだものを、つかみ取ったものを、どうしていくのか。どうやっていくのか……あるいは、どうやったのか。


「それを語ることを、とさせていただきます」


 ねねは宗仁が先に向かうのを追いかけるように、走り出していく。

 その背を、寄り添うふたつの蝶が見守っていたが、やがて、どこかへ飛んでいった。


 ……時に、天正十一年。

 しくも、あの本能寺の変から返して一年目の、六月のことであった。






【了】



[参考資料]


「道」で謎解き合戦秘史 信長・秀吉・家康の天下取り

跡部蛮 (著)

双葉社


日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る

播田安弘 (著)

講談社ブルーバックス


山崎観光案内所(山崎私的観光案内)

URL: https://oyamazaki.info/

(リンク掲載の許可を下さった管理人様に感謝!)

※カクヨム運営様にも問い合わせて、許可をもらっています。






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