どこかの街の、ちいさな夏の物語【#文披31題 2023】
野森ちえこ
Day1 傘
改札を出て立ちすくむ。さっきまで晴れていたのに。バケツどころか浴槽をひっくり返したような雨だ。
どうしたものか。家まではふつうに歩いて十分。走れば五分でいけるか。しかしこんな土砂降りでは、歩こうが走ろうがどの道ずぶ濡れだろう。
まあ、この暑さだ。濡れたところで風邪をひくこともないだろうけれど、問題は通学カバンの中身だ。教科書などの紙類と電子辞書などの電子機器。身体よりこちらを濡らしたくない。
通り雨ならすぐにやんでくれるかと思ったのだが、一向にやむ気配がない。空も暗いままだ。なんか負けた気がするけどしかたない。売店で傘を買うか。そう思ってきびすを返そうとしたとき、おおきな傘を抱えてパシャパシャと走ってくる、あざやかな水色の雨がっぱを着たちいさな女の子が目に飛びこんできた。
「おにい!」
小学校二年生。十歳下の、最近妹になった子だった。
「はい! かさ!」と、息を切らせながら、笑顔いっぱいで傘を差しだしてくる。継母の連れ子。父の再婚によってできた妹だ。
「迎えにきてくれたのか」
「うん! えらい?」
「えらいえらい。ありがとな」
えへへと、またうれしそうに笑っている。
どちらかというと子どもは苦手なのだけど、こんな無防備な笑顔を向けられたら、全身全霊をかけて守ってやりたいと思ってしまう。
右手で傘をさし、左手は妹とつないだ。
それにしてもちいさい。手も身体も、ほんとうに怖いくらいにちいさい。
歩幅に気をつけながら、ふだんよりだいぶゆっくり歩く。
「ねーねー、おにい、帰りにアイス買う?」
それが目的か! ちゃっかりしている。でもいい。突然できた兄を『おにい』と呼んで受けいれてくれた妹である。しかもこうして傘まで持って迎えにきてくれたかわいい妹である。アイスくらい、よろこんで買わせていただきますとも。
「じゃあ、コンビニ寄ってくか」
「コンビニよりスーパーのほうが安いよ」
しっかり者か!
「そうかー。ならスーパー寄ってこう」
「やったー!」
水色の雨がっぱと、色気もそっけもない紺色の傘。そして、子どもらしいちいさな手の感触と無防備な笑顔。きっとこれから、何度でもこの光景を思いだす。はずむように歩く、ちゃっかり者でしっかり者の妹を見ながら、なんとなくそんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます