築き上げた女と思い出の女

 「ごめん……! 着ぐるみかなり濡らしちゃったけど、大丈夫?」

 涙が枯れるまで晴は泣いた。着ぐるみの三分の一は晴の涙で濡れて、アメーバのような模様に広がっていた。ストレスを発散させた晴は恥ずかしそうに顔を真っ赤にすると、あたふたしながら手持ちのハンカチで濡らした個所を拭いていた。

 あまり意味のある行動ではないように思えた涼太は、晴の手を制した。

 「今日はありがとう! デニーロのおかげでまた頑張れそう!」

 憑き物が取れた太陽のような笑顔を向けた。眩しすぎて目を逸らしていたが、そんなことは晴が知る由もない。

 「そうだ! 何かお礼をしなきゃ!」

 晴が制服のポケットを漁り始める。むしろお礼を言いたいのはこっちだと涼太は言いたいが、晴は構わず探している。おこがましいがもしお礼を貰えるのならと涼太は晴が手に持っていたハンカチを指さした。意外だったのか晴は数秒固まり困惑した表情を浮かべる。

 「え……? 流石に汚いよ……?」

 いや、むしろそれがいいんです。なんて口が裂けても声にだしてはいけない。ただ、そのチョイスはさすがにヤバかったかと今更ながら冷や汗をかいて固唾を飲む。 考え込んだ晴は恥ずかしそうにハンカチを手の上に押し付けた。

 「変なコトに使わないでよ……?」

 「…………」

 「考え込まないでよ?!」

 恥ずかしそうにつぶやいた言葉の意味を理解するのに数秒固まっていた。誤解を解くために、全力で首を横に振った。

 「本当にダメだからね!」

 今度は首を全力で縦に振る。恥ずかしそうに睨む晴をにやけて見れるのは着ぐるみ唯一の特権だと涼太は思った。子供に言い聞かせた親のようなポーズを止めると時計を見て驚きの声を上げる。

 「やば! そろそろ帰らないとママが心配しちゃう! また来るね! デニーロ」

 背を向けると全速力で出口に向かって走っていった。姿が見えなくなるまで涼太は手を振り続けた。

 

 「マジで高村どこ行った……?」

 氷が解け切ったジュースを持って、行方をくらました涼太を探し彷徨うアリス。汗だくになりながら、懸命に探していると見知った顔と着ぐるみがベンチで会話している現場に遭遇してしまう。一人は川口晴、子役をやっていたらしいがアリスは知らない。もう一人はドリームビリオンのキャラクター、デニーロ。二人が楽しそうにベンチで会話している。

 「公私混同すんなよ。気持ちわりぃな」

 あの様子からして着ぐるみの中は彼氏で、お客が少ないこの時間を見計らっていちゃついているのだとアリスは捉えた。二人の楽し気な雰囲気を見ていると、紙コップを持っている両手の力が強まっていく。次第に怒りの矛先は行方をくらませた涼太へと向き始める。

 「見つけたら一発殴る」

 怒気を纏ったアリスは獲物を探す肉食獣のような鋭い目つきで涼太を探すことを決意する。すると間もなくして、晴が慌てふためき全速力で出口に向かっていった。晴が見えなくなると、デニーロは脱力してベンチへだらしなく座った。着ぐるみの中、暑そうだなとアリスが見ていると、デニーロが頭を外し始めた。

 「おいおい……ここで外すとかあり……え?」

 着ぐるみの頭を脱ぎ捨て中身が露わになったデニーロを見て、アリスは力んでいた両手を糸が切れた人形のように脱力した。中身が撒かれた地面はアリスを中心に黒く染めていった。


 「やっぱ着ぐるみの中、最悪すぎる……!」

 再び頭を脱ぎ捨てた涼太は人目もはばからずベンチに座った。こういうのは世界観を大事にしなければいけないものだが、まともに水分をとっていない涼太にそこまで気に掛ける余力はなかった。すると、デニーロの着ぐるみを着ていたおっさんが封筒と冷えた炭酸飲料を持ってきた。

 「いやー! 本当に助かった! ありがとう少年。これバイト代とジュースな」

 ぼんやりとした意識の中、ジュースを受け取り本能のまま音をたてて飲み始めた。その様子をおっさんはにこやかな顔で見ている。飲み終えた涼太は差し出された封筒を開ける。中には折り目の無い一万円札が入っていた。

 「こんなもらっていいの?」

 「パレードがあんなに盛り上がったのは久々でな! お礼もかねて色を付けた」

 ガハハと豪快に笑う。かなり上機嫌なようで同じく炭酸飲料を飲んでいた。その間、涼太はデニーロの上体を脱いで綺麗に畳んでおっさんに返していた。もう全身が汗だくで早くシャワーを浴びたい気分で、足早に帰りたかったがそうは問屋は卸さなかった。

 「ところで……あの子は知り合いか?」

 おっさんが指を指した先にいたのは、今にも雷を落としそうな形相をしたアリスだった。

 「……多分、知らない」

 「おい! こらー! 待たんかいっ!!」

 全速力でその場から涼太が逃げたのは、言うまでもない。

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