錆びついた私は泣けない

 晴の心は台風のように荒れていた。彼氏が先に帰ったことが原因ではない。ドリームビリオンへ来る前にスカートのポケットから鳴り響いたスマホが原因だった。スマホから聞こえるのは、愛嬌のある可愛らしい声で、聴き馴染んだ声でもあった。

 「もしもーし! はるちゃん聞こえる?」

 晴に電話を掛けてくる人物は非常に限られている。名前を呼ぶ可愛らしい声の主は晴の所属している事務所の社員、佐々木音夢二十五歳。晴のマネージャーを務めていて、長らく休業している晴の復帰に向けてサポートを懸命にやってくれている。ただ彼女の声音からして良くない知らせだということを付き合いの長い晴は瞬時に察した。

 「また……ダメだったのね」

 「う……うん。ごめん、私のサポート不足で……」

 「いいの……私の努力不足が原因だから」

 申し訳なさそうに言葉を紡ぐ彼女を晴はなだめるように制止した。二週間前、晴はドラマのオーディションへ参加していた。寝る間も惜しんで演技の練習に打ち込んで、やれることはすべてやったつもりだった。だが、現実は非情な物で過去に天才子役と言われた晴も時が経てばただの凡人に成り下がっていた。

 『天才子役って言われていた割には普通だな』

 『君の演技って型通りでつまんないな~』

 『まだそこら辺の地下アイドルの方が演技上手いんじゃないっすか?』

 心もとない言葉を浴びせられた。半笑いで見下すおっさんの目が負の感情を湧き上がらせる。誰にもぶつけることができないイラつきが募った晴の足は自然とドリームビリオンへと目指していた。出来たばかりの彼氏は晴が半ば強引に連れてきたといった感じだった。

 一人になった晴は不機嫌を隠そうともせずパレードを一望できるベンチを占領した。昔からドリームビリオンの看板キャラクター、デニーロが好きだった。紳士で男前な紫色のチンチラ、ダンディーな顔つきとガタイの良さが女性ファンを多数獲得し昔から不動のナンバーワンキャラクターである。晴がデニーロを好きになった理由は初恋の相手に似ていたから。幼稚園の頃、公園で遊んでくれた男子高校生。イケメンで優しかったその高校生を晴はすぐに好きになってしまった。その恋は結局思いを伝えられずに短命で終わってしまったが。

 ふと晴は思い出した。今自分が座っている場所で泣きそうになっていた少年がいたことを。あの時は晴自身も迷子だった。不安はなかった。ドリームビリオンには何回も行っていて、家への帰り方も分かっていた晴に怖い物はなく自分の庭を歩いているのと同意義といった感じだった。そんな時、迷子になって泣きそうになっている少年を見つけた。話しかけたのは気まぐれで一緒にパレードを見て楽しんだだけの名前もしらない少年。

 「そういえば私、変なコト言っていた気がする……?」

 ぼんやりとしか覚えていなかった。思い出そうとすると同時にパレードが始まる。晴の頭は瞬時にパレードへと意識を集中した。この時だけは純粋無垢な子供に戻れた。カラフルな山車が現れるとダンサーと各キャラクターが陽気な曲と共に現れる。そこには晴の好きなデニーロもいて、センターを務めていた。ただ晴には心配な事が一つあった。最近、デニーロのダンスのキレが悪くなっていることだ。噂で中身の人間が還暦らしく跡継ぎもいないらしい。しかし、そんな晴の心配は杞憂に終わることになる。

 「ん? 何だかデニーロのキレが戻ってる……?」

 パレードでデニーロのソロダンスパートが始まると、プロ並みのキレッキレダンスを披露した。これは周囲も想定外で周りの観客が歓声を上げて、いつものパレードよりもかなり盛り上がっていた。

 「デニーロ……やっぱり最高!」

 気づくと体に溜まった負の感情はきれいさっぱり無くなっていた。周りの観客と共に、歓声と汗を垂らしながら盛り上がった。

 そして、パレードが終わる頃、晴は純粋無垢な少女に戻っていた。


 「あっつ! クサッ!」

 パレードを終えた涼太はデニーロの頭を投げ捨てた。着ぐるみの中は阿鼻叫喚の地獄だった。汗と男の体臭にサウナ並みの灼熱、これで安月給だというのだからここのバイトには本当に頭が上がらない。すかさず水分補給していると、熱中症から回復したおっさんが満面の笑みで拍手しながら涼太に近づいた。

 「にいちゃん! 最っ高だな! マジで才能あるぞ! バイトしてみねーか?」

 「是非、遠慮したいね!」

 もう二度とやらないと決意を固め着ぐるみを脱ごうとするが、思い出したようにピタリと止まった。そういえば、晴はまだあそこにいるだろうか? パレードを一望できるベンチで暗い顔をしながら座り込んでいた晴。涼太はパレードに必死で晴を見る余裕がなかった。気になって居ても立っても居られなくなった涼太は投げ捨てた頭を拾い上げて再び被った。

 「お? どこいくんだ?」

 「すまん。もう少しだけ借りるぞ!」

 灼熱と体臭をまた感じながら涼太はベンチへ向かった。


 晴はまだパレードの余韻に浸っていた。SNSを見ると早速デニーロのキレキレダンスが話題を呼び始めていた。久々に帰りたくない、ずっとここにいたいと駄々をこねる子供じみたことを考えていた。といっても、そんなわがままが通用する訳がないわけで、後ろ髪を引かれる思いでその場を去ろうとした。ゆっくり立ち上がろうと腰を浮かせた時、隣に誰か座ってきた。座った人物を見た晴は中腰状態でキープして目を見開いていた。

 「デニーロ……!?」

 デニーロが冷えたコーラを差し出して晴を見つめていた。

 「くれるの?」

 言葉を発せない涼太は首を縦に振る。

 「あ、ありがとう。へへ……もったいなくて飲めないよぉ」

 デニーロをまじかでみている晴は見たことがないほど、顔を綻ばせコーラを飲んでいた。さっきのパレードで盛り上がって喉が渇いていたのかゴクゴクと音を鳴らしながら気持ちよさそうに飲んでいた。そして、そのまま一気に飲み干すと額に浮かんだ汗をハンカチで拭いていた。

 「あ……あの! 今日、本当にダンスすごかった! 久々に年甲斐もなくはしゃいじゃった」

 目を輝かせ前のめりに涼太へ近づく。年相応の幼さが垣間見える表情に涼太は懐かしさを感じていた。昔見たままの胸をときめかせた彼女の姿が触れれる位置にいる。その事実だけで着ぐるみの中でにやけが止まらない。何とかして会話をしたかった涼太はどうにかしてコミュニケーションを取る方法を考えていると、後ろから何かが落ちてくる音が聞こえた。

 振り向くと何故かスケッチブックと油性ペンが落ちている。これを使えと言わんばかりに落ちているスケッチブックを取ると書き始めた。

 『落ち込んでいたように見えたからよかった』

 涼太の書いた言葉に晴は一瞬、表情をこわばらせる。視線をウロウロさせ、手を頭と頬の間を彷徨っていると目線を逸らしたまま観念したようにため息をついた。

 「実は……ちょっと嫌なことがあってさ……」

 涼太は視線を逸らすことなく晴を見つめる。

 「私、女優をめざしてるんだけどさ。またドラマのオーディション落ちちゃって……あ、ちなみにこれで五十回目! どう、笑えるでしょ?」

 私のことを笑ってよと泣きそうになりながら歪な笑顔を向けた。壊れかけの人形、崩れる寸前のジェンガ、そんな悲しい表現が似合う程、晴の表情が見るに堪えない物だと涼太は感じた。

 こういう時、どうするのが正解なのだろうか? 思考を巡らせるが涼太は分からない。だが、本能は分かっていたのか自然と体が動いていた。

 「えっ?」

 人が落ち着くのは人の温もりに触れている時。赤ちゃんの時から刻まれている記憶がハグという行動を涼太にさせた。

 

 溜まりに溜まった透明な錆が晴の双眸から溶け出して溢れた。

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