笑顔の君こそ美しい
晴はいつものベンチへ座った。目的はもちろんデニーロに会うためだ。姿勢よく座り辺りを見渡していると、近づく人型のチンチラ、デニーロが隣へ座ってきた。邪魔者が入らないようにスタッフが観客を誘導していて、実質二人きりの状態になっていた。
「久しぶりだね。今日は報告したいことがあってきたんだ」
もじもじと頬を赤らめて下を俯く姿はなんとも愛おしく感じる。この様子だと悪い知らせではないようだ。相変わらず着ぐるみの中は地獄そのもので、消臭剤を拭きつけていたおかげで、匂いが低減されていることが唯一の救いだった。そんな灼熱地獄の中でも涼太は身動きせず晴の言葉を待った。どうしようもなく聞きたくて仕方なかったから。
「実は私……ドラマのオーディション受かっちゃった!」
この言葉を聞いた涼太は全身の毛が逆立った。今にも大声を出して喜びたかったが、声を押し殺して代わりにパフパフと間抜けな音が鳴る拍手を精一杯、晴へと送った。晴は謙遜して肩をすくめると、眉をハの字に曲げた。
「大げさだよ。主役じゃなくて超脇役だから!」
それでもオーディションに受かったのは事実で、涼太にとってはすごいことに変わりなかった。だから、オーバーな身振りで祝福した。その様子を見て晴はさらに顔を赤くしてあたふたした。
晴が受かったのはゾンビが蔓延る終末世界で、ゾンビ達から日本を取り戻そうと戦うJK達の奮闘を描いたドラマらしく、かなりの予算と規模でやるらしくテレビ局もかなり力をいれているらしい。ちなみに晴が受かった役はゾンビ役で言ってしまえば、名も無いモブ役だった。それでも、オーディションへ落ちまくっている晴にとっては非常に喜ばしいことでかなり気合が入っているようだった。
「でも、オーディション受かったのはデニーロのおかげなんだよ? 励ましてくれたから頑張れたの。本当にありがとう!」
何を言うか。頑張ったのは、晴自身で俺はただ言葉を掛けただけだ。涼太は心の中で呟いていた。晴と一緒にいれるのは嬉しいのだが、会話をできないのがとても歯がゆく感じてしまう。反応に困っていると、晴は小さな紙袋を涼太の前に差し出した。
「あの……これお礼。大したものじゃないけど」
開けていいかとジェスチャーすると、晴はにこやかにうんと首を縦に振った。許可を得た涼太が袋を開けると、おしゃれな小瓶に入った香水が入っていた。これを受け取った涼太はギクッと冷や汗をかいた。
『もしかして、今までクサいと思われていたのか?!』そう思うと余計毛穴から汗が噴き出してきた。焦った様子を見た晴は慌てた表情で腕を大きく振って、違う違うと否定を繰り返した。
「これは私が普段使ってる香水の一つで、オーディションの時みたいな大事な日につけてるの。もう売ってないからあげたくないけどあげる」
本当にいいの?とジェスチャーで聞く涼太。
「うん。幸運を呼ぶ香水だから今度はデニーロに幸運をお裾分けしないとね」
晴はまた微笑む。何度みても飽きない心を溶かす魔法の笑顔。この時だけは着ぐるみを着てよかったと涼太は思った。
「あ、彼氏には内緒ね! デニーロは特別だから。それじゃあ、そろそろ帰るね」
だって、人様に見せれない程に顔が緩みきっているに違いないから。
「いやー! 若いっていいね! 見てるこっちが恥ずかしくなってくるわ」
「なあ、おっさん」
「ん? どうした?」
着ぐるみを脱ぎ捨てた涼太は真剣な眼差しで着ぐるみのおっさんを見つめる。おっさんは今から涼太の言うことが分かっていたのかニヤリと嬉しそうに口元を上げる。
「俺をここで少しの間、バイトさせてくれないか?」
おっさんの答えはすでに決まっていた。
「言うと思ったぜ! もちろん歓迎するぞ!」
嬉しさを爆発させておっさんは涼太の肩を力づよく叩いた。晴れて涼太はここの着ぐるみバイトへ正式加入になった。今はただただ嬉しかった涼太だったが、このバイトがかなり過酷だということを近い未来思い知ることになるのだが、この時の涼太は知る由もないことだった。
「なあ、高村。今日、どっか行こうぜ!」
放課後、元気よく話しかけてきたのはアリスだった。最近、積極的に話しかけてくるようになったアリスに涼太は少し距離を置くように冷たい反応をしていた。というよりかは、そうするしかできなかった。今まで腐れ縁だと思っていた仲の友達に異性としての好意を持たれている。それを感じ取った涼太はどう接していいのか分からなかった。それ故に心の平穏を保つために、涼太の心にセーフティがかかってしまった。アリスには申し訳ないと思っていたが、理性が言う事を聞かないのだ。
「ああ、悪い。今日はバイトがあるんだ」
「そ、そうなの? ていうか三日連続で同じ理由とかありえる?」
「あ、ああ……ちゃんと埋め合わせはするから、本当にごめんな」
申し訳なさそうな表情でそそくさと教室を後にする。実のところバイトというのは嘘である。涼太が嘘をつかないといけない理由、それはある人物に会うためだった。
待ち合わせ場所に向かうと退屈そうな表情で涼太を待つ人物がいた。涼太を視界に捉えると、ゆっくりと向かってくる。
「まさか同じ学校だったとはね」
「は……はは。すごい偶然だよな」
待ち合わせしていた人物、数日前にドリームビリオンで偶然鉢合わせた晴だった。涼太は財布の中で大切にしまっていたクリーニング代のレシートを晴に手渡す。レシートの金額を見た晴は小さく首を縦に揺らした。
「確かに受け取ったわ。お金は後日、返すからまたここでいいかしら?」
「ああ、問題ない」
レシートを受け取った晴は「それじゃあ」と一言言って背を向けた。
「ちょっと待ってくれ!」
涼太は晴を呼び止めた。晴は少し驚くとすぐに表情を戻して涼太を見つめる。
「もしかして、昔ドラマとかでてたりしてた?」
涼太の質問に眉をぴくりと動かした。
「さあ? 誰かと間違えているんじゃないかしら?」
だけど、表情は崩さず、伏目で髪を揺らしながら曖昧に答えた。あまり知られたくないのか、少し機嫌が悪そうに感じた。
「そ、そうか。実は昔、君に似た名前の子役が大好きで、もしかしてなんて思ったけど、そうか……忘れてくれ」
涼太は逃げるように踵を返そうとしたが、今度は晴が涼太の首根っこを掴んで動きを止めた。
「待ちなさい。あなたそのハンカチどこで手に入れたの?」
何を言っているのか涼太は分からなかったが、ポケットに手をいれた瞬間、すべてを理解して冷や汗をかいた。ポケットに入っていた物は晴から貰ったハンカチが入口から挨拶していた。そのハンカチは間違いなく女性が持ち歩くようなデザインで涼太が持ち歩いているのは明らかに不自然だった。
「しまった! 妹のハンカチを間違えて持ってきてしまった! いやー! 恥ずかしいなあ!」
さすがにわざとらしかっただろうか? 恐る恐る晴に視線を戻すと、予想通りというか当たり前の反応といった懐疑の念を涼太にむけていた。終わった。早速、身バレしてしまった。作り笑いを浮かべ、汗だくで硬直する。
「まあ、いいわ。私、忙しいからこれで」
運よく晴の追及を逃れた。ほっと胸を撫でおろした涼太はハンカチで汗を拭った。
危うく計画が破綻するところだった。涼太がこれからやろうとしていることはあまり褒められることじゃないかもしれない。だけど、決意した。色々な晴を近くで見ていきたいから。
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