第5話 第5章
その日の梨乃は、喫茶店で本を読んでいる時間は思ったより長く感じられたのに、気が付けば外は、だいぶ暗くなっていた。時間を確認すると、午後六時を回っている。空腹感を感じてきた。
空腹ではあったが、あまりたくさんは食べようとは思わなかった。サンドイッチかパスタ程度がちょうどいいのではないかと思い、サンドイッチを注文した。元々小食の梨乃は、この店のエッグサンドが好きだった。
柔らかさを残したまま軽く焼いたトーストで作られたエッグサンドは他の店には見られない、このお店オリジナルだった。
「コーヒーの香ばしい香りには、やっぱりトーストの焼けた匂いが一番似合うと思いましえね」
とマスターが言っていたが、まさしくその通りだった。
暖かな気分になって時間的にもそろそろと思った梨乃は、お金を払うと、喫茶店を後にした。昨日の占い師のいたところまでは、徒歩で十分くらいだろうか。歩くにはちょうどいいくらいの距離だった。交差点をいくつか曲がって住宅街に入り込むと、すぐに昨日の占い師のいた場所に辿り着けるはずだった。
――あれ? 場所を間違えたのかしら?
昨日の占い師がいた場所だと思ったところに辿り着いたはずなのに、そこには占い師の姿はなかった。それだけなら、別に不思議はないのだが、昨日と同じ場所だったという気に、どうしてもなれなかった。
――どこが違うのか?
と聞かれると、ハッキリと答えるには、漠然としている。
だが、どこかが違っているというよりも、
――全体的に違っている――
と感じるまでに、それほど時間が掛からなかった。昨日の占い師がいた空間まで、かなり遠く感じられたところが、すぐ近くに壁として感じるのである。要するに、昨日の空間よりも、かなり狭く感じられるのだった。
今朝から、あれだけ占い師の存在を意識していた自分が、肩透かしを食らったようで、不思議な感覚があった。
――そういえば、最近もよくこんな感覚を覚えることがあったわ――
それは自分のことというよりも、まわりからの視線が気になることにあった。
まわりの視線は、最近気になり始めた。何か梨乃を遠ざけるような視線を感じるのであって、梨乃を怖がっているような視線である。
――私が誰かに何かをしたなんて意識まったくないのに――
と、感じていたが、自分からまわりに確かめるわけにもいかない。話しかけようものなら、さらに梨乃から離れて行くのは必至で、今までにない孤独感を味わうことになるからだった。
元々、一人でも、味わう孤独感に嫌な思いはなかった。一人でいて気楽なことの方が多いくらいなので、
――一人の時の過ごし方は、心得ているわ――
と思っているほどだった。
だが、皆が梨乃を遠ざけるのは、怯えからだった。今まで、人から怯えられるようなことはなかったと思っていただけに、一人孤独を味わうだけでいい問題ではなさそうだ。
梨乃は、その時、自分に恐怖を感じた。まわりが梨乃を遠ざけているのを感じた途端、まわりから自分を見る目線になっていたのだ。
――何もしていないのに、睨まれた感覚だ――
と、自分から睨まれる感覚ほど、気持ち悪いものはない。急にどうしてまわりの人が急に遠ざかったのか、分からないでもなかったが、本当の自分がそんな鋭い視線をまわりに浴びせているような感覚など、あるわけもなかった。
梨乃が占い師に見てもらおうと思ったきっかけは、まわりが自分から遠ざかっていることが気になっていたのも一つだった。
占い師にその話をするつもりは最初からなかった。下手に話をして、潜在意識を植え付けるのも嫌だったからだ。もっとも、話さなくても占い師なら、それくらいは分かるだろうと思い、これくらいのことで惑わされているようでは、最初から梨乃の方も占いなど、信じられるわけもない。
ただ、昨日の占いの中で、占い師が梨乃のまわりから人が離れていることに触れることはなかった。しかし、孤独が梨乃にとって悪いことではないという話をしていたのも事実だった。
梨乃がこれから占いに携わる人になるということで、
――自分は他の人と考え方が違うんだ――
と感じていたのも事実だった。
だが、梨乃は最近、自分に予知能力があるかも知れないと感じたことがあった。それも、人に話すことだけが現実になっているようなのだ。それも、人と考え方が違うから、予知能力が備わっているように思うのか、逆に予知能力が備わっているから、人と考え方が違うように思うのか、どちらにしても、本を先に結論から読むようになったことから、始まっているようだ。
昨日、占い師から言われたことが頭に残ったのは、この予知能力への意識があるからだった。もちろん、最初はただの偶然に違いないと思った。今でもただの偶然かも知れないと思っている。だからこそ、占い師にもう一度会ってみたいという気持ちになった。
それにしても、昨日と同じ場所であるはずなのに、占い師がいないだけで、これほど違った場所に感じるなど、おかしなものであった。
占い師がいた場所だけに視線が集中しているように思う。全体を見渡しているつもりなのに、見える範囲が中途半端だった。正面には大きな家の壁がある。薄暗い街灯があるだけで、ハッキリと見えないが、白壁が、ずっと続いているように見える。
目が慣れてくると、普通の白壁だと思っていたところが、何か模様が付いているように見えた、そこにはところどころ、丸い石のようなものが埋め込まれていた。
「家紋だわ」
それは、瓦でできた家紋のようだった。すべてが同じものというわけではなく、よく見ると見覚えがある。
「こんなことなら、学生時代にもっと歴史の勉強しておけばよかったわ」
それは、戦国時代などによく見られる家紋だった。
「格好いいわ」
真っ暗な、そして音一つない重たい空気に包まれた空間の中で、ひっそりと、いや、堂々と佇んでいる家紋を見ていると、威風堂々とした戦国武将が、鎧兜に身を包み、一斉に攻め込んでいく姿が目に浮かんだ。その時に足軽が手にしている傍に靡く家紋、音一つない空間を突き破るかのような、ほら貝の音が聞こえてきそうな錯覚を覚えるのだった。
梨乃は、以前にも同じような家紋を壁に埋め込んである家を見たことがあった。その時は真昼間だったが、やはり威風堂々とした戦国武将を思い浮かべたのだった。
――あの時の家とは、まったく場所が違っているのに――
同じ住宅街でも、場所が違っていた。それは学校に通っていた時の通学路に近く、いつも通っている路地を二つほど入ったところなので、普段からあまり近づくこともなかったのだ。
あの時は思わず迷い込んだ。どうして迷い込んだのかすぐには分からなかったが、確かあの時は考え事をしながら歩いていたので、いつも曲がる角を無視して、まっすぐに行ってしまったのだ。
普段の梨乃なら、そんなことはしない。いくら考え事をしているからといって、無意識にでもいつもの道を通っている。それに、意識が飛んでしまうほど集中して考えていたなど、自分でも思っていなかった。
――どうして、分からなかったんだろう?
いや、分かっているのに、まるで分からないかのように進んでしまったのだろうか。梨乃には時々自分の意識とは裏腹な行動をすることがある。ただ、そんな時ほど、何かがあることが多かった。
――あの時は何があったんだっけ?
簡単に思い出せるものではなかった。その時あった出来事は、そんなに簡単に忘れられるものではないはずなのに、意識が飛んでいたということと、その時に何かがあったということとは、時間の経過とともに、どんどん離れて行ってしまうのだった。
その時、梨乃は急に熱っぽさを感じたことを覚えている。
――どうして、自分の意識があそこまでボンヤリしていたんだろう?
という思いが頭を過ぎった時のことである。
熱っぽさがあったから、ボーっとしてしまって、朦朧とした意識の中で、道を曲がるのを忘れてしまったのだろう。
そう思うと、その時に感じた悪寒が、その後に起こるべきことを、最初から分かっていたことに対して感じた悪寒だったのかと思うと、次第にその時の光景が思い出されてきた。
――思い出したくなんかないのに――
あれだけ意識と記憶が、完全に分離していたはずなのに、それが思い出したくないことに対しての、自然な意識が取る行動だったとすれば、ここで思い出そうとするのは、思い出すことに何か必然性があるからなのかも知れない。
――ここで思い出してしまわないと、ずっと思い出せないままになってしまう――
という思いと、
――今のこの状況を説明するためには、どうしても、ここで思い出す必要があるんだわ――
という思いが交錯している。
梨乃の記憶の中を意識が入り込み、必要な部分を引っ張り出しているように思えた。今思い出そうとしている記憶は、ここで思い出すために残っていた記憶として、引っ張り出しやすいところまで出てきていたようだ。
そう思った瞬間、梨乃の目がカッと見開いたかのように感じた。綺麗な白壁が急に真っ赤に染まった気がしたからだ。その空間に存在しなかったはずの音が、しばらくして聞こえてきた。
「キーッ、ガッシャン」
それが車のブレーキと、何か硬いものに衝突する音であることは、音を聞いた瞬間に分かった。
――交通事故だわ――
と思った瞬間、今度は女性の悲鳴のようなものが聞こえた。
そこからの時系列と時間の配分が曖昧だった。すぐに救急車のサイレンが聞こえたかと思うと、けが人が運ばれていく。その人はまったく動かない。
「死んだんじゃないのかしら?」
と呟いた梨乃の後ろから、もう一人の女性の声が聞こえた。その声が誰なのか確かめようとしたが、咄嗟には振り向くことができなかった。
「救急車は死んだ人は乗せないわ。まだ息があるはずよ」
という。
確かに死んだ人であれば、その場から動かしてはいけないだろう。警察の現場検証があるからだ。
後ろをやっと振り向けたので、振り向いてみると、そこには誰もいなかった。まだ野次馬も集まってきていない。本当に誰もいないのだ。
――あの声は私?
という疑問と、ここにいるのが自分一人だということの不自然さを肌で感じていたような気がする。そのせいもあって、自分の声が後ろから聞こえてきたことに対して、多少不思議には思ってもさほど、ビックリしていない自分がいることに気が付いた。
交通事故の現場は、踏切のそばだった。あまりにも事故現場が壮絶なものだったので、まわりを見る余裕がなかったが、しばらくすると、耳鳴りとともに、踏切の警笛の音が、遠くから響いていたのが聞こえていた。
踏切というところは、今まで意識していなかったが、まわりが静かであるほど、警笛が小さく感じられるものだ。喧騒とした中では音が鳴り響いていて、喧騒が次第に静かになっていくと、それに伴って音も小さくなっていくが、消えることはない。いつまでも警笛の音が鼓膜を刺激していたのだ。
――救急車のパトランプと、踏切警報機の赤いランプが交錯しているように感じる――
救急車のサイレンの音を聞くと踏切の光景が思い浮かんだり、逆に踏切警報機の音を聞くと、パトランプを思い浮かべたりしてしまうことが今までに何度かあった。それがなぜなのかずっと分からないでいたが、今、何とか思い出していた。
――しかし、光景は思い出せたのだが、一体あれはどこだったのだろう?
今まで、自分の記憶の中で忘れていたものを幾度か思い出してきたが、それらは、思い出した瞬間に、どこだったかまで思い出すことができたのだが、この記憶だけは思い出すことはできない。
――思い出してはいけない記憶だったのかも知れない――
と、梨乃は思った。
思い出してはいけない記憶を思い出してしまったことで、忘れてはいけない記憶を忘れてしまったのではないかと思い、不安な気分になった。こうなったら、中途半端に思い出してしまった記憶のすべてを思い出さなければ気が済まないと思えてきたのだった。
記憶の中にある踏切には覚えがあった。確か、坂道を上りきったところにあった踏切だったような気がする。住宅街とは少し離れていたが、駅の近くの踏切だった。
朝夕になると、電車が左右からやってきて、
――開かずの踏切――
と呼ばれているところであったが、中学に入った頃、近くに高架ができて、次第に踏切を通る車が減ってきた。
そのせいか、走ってくる車はスピードが上がっていることが多い。中には誰も見ていないと思うと、踏切で徐行しただけで、一旦停止をしない車が増えてきた。通学路にも指定されているので、危ない道路として、警察も警戒をしていたようだ。
危ないという意識が頭の中に常にあった。
その意識と、いつか見た交通事故がシンクロしたのかも知れない。踏切の記憶として一番強かったのは、高校に入学する頃の交通量も減って、危険な車が増えた頃の記憶である。その頃の記憶を呼び起こしても、どうしても、ショックを受けるような交通事故を見たという意識はない。ショックを受けるような交通事故を見た記憶があるのは、子供の頃で、まだ小学生の低学年の頃ではなかったか。その頃に見た記憶と踏切の記憶が頭の中で交錯し、何か心境の変化があった時に、飛び出してくる者なのかも知れない。
交通事故は、今までの記憶の中でも、忘れてしまいたい記憶の一番でもありながら、忘れてしまうことを無意識に拒んでいるのではないかと思える記憶でもあった。真っ赤な色を見るとどうしても意識してしまい、それが血の色なのか、それとも警報機の色なのか、それともパトランプの色なのか、自分でも分からなくなってしまうのだった。
高校に入学する頃の記憶と、記憶として意識できていない頃に見た交通事故の記憶が交錯するのは、それだけ踏切の記憶も忘れてしまいたい記憶でありながら、忘れてはいけない記憶だと思っているのだろう。
――踏切のところで何があったのだろう?
記憶の中にあるのは、梨乃が一人で歩いているところで、自分の少し前をクラスメイトの女の子が歩いていた。別に仲が良かったわけでもないので、声を掛けることはしなかったが、後ろから来た車から声を掛けられた彼女が、ニコニコしながら楽しそうに車に乗り込んでいくのを見た。
運転しているのは、若い男で、助手席にはもう一人若い男がいたようだ。彼女は後ろに乗り込み、そのまま車は踏み切りを渡って、どこかへ行ってしまった。
それから、数日、彼女は学校を休んでいた。一週間ほどして登校してきたが、様子は明らかにおかしかった。
最後に見た楽しそうな顔が梨乃には忘れられない。しばらくして、彼女は結局一度も笑う姿を見せないまま、学校を辞めていったのだ。
最後に母親に連れられて学校を後にする姿を見たが、寂しそうな後ろ姿が何を物語っているかは分からなかった。だが、何か梨乃の想像以上のことがあったのに違いない。結局、彼女が笑った顔を最後に見たのは、自分だということになる。
梨乃はそのことが一番気になっていた。踏切が気になるのは、そのせいだと思えて仕方がない。そういう意味で踏切には、いい思い出はなかった。
その踏切を通り超えたことはなかった。電車の乗り場は踏切を渡る手前になるため、踏切を超えることはない。
梨乃の頭の中で越えたことのないはずの踏切を一度だけ超えたという認識があったのだ。確かに越えた記憶であり、それがいつだったのかは覚えていない。事故を見るよりも前だったとは思う。もし事故を見た後であれば、踏切を渡った時に、何かを感じるはずだからである。
踏切を渡っている時、一人ではなかったような気がした。その時に、一人の男の子と一緒だったような気がする。
――そうだ。確かその後すぐに引っ越して行ったんだっけ?
その男の子の家が、踏切よりも向こうだったことで遊びに行ったのを思い出した。遊びに行ったのはその時だけだったので、渡った記憶もその時だけのものなのだ。
その子が転校して行ったのは、小学五年生の時、ということは、交通事故の後だったのではないだろうか。記憶がまだ錯綜していた。
クラスメイトの女の子が車に乗り込まれたのは、ちょうど踏切を渡りきったところだった。梨乃はその時、踏切を渡りきっていなかったので、遠くから見ていたつもりだったはずだ。それなのに、今思い出すと連れ込まれる瞬間、すぐそばで見ていたような気がしていた。なぜなら、彼女の表情がよく分かったからだ。ニコニコ笑っていた表情には、まるで知り合いと話をしているような楽しそうな顔が浮かんだからだ。今でもその表情を忘れることはできない。なぜなら、彼女のその時のような楽しそうな表情を見ることが、それ以降なかったからである。
クラスメイトの彼女とは、実は小学校の頃から一緒だった。同じ中学、同じ高校と進んだのだが、特別仲が良かったというわけでもなく、仲が悪かったわけでもない。お互いにあまり知らなかったはずである。そういう意味では彼女のことを意識したのはその時だけだったと言えるだろう。
踏切で彼女を見かけるまでは、クラスでも明るい方だったこともあって、友達も多かったが、数日学校を休み、改めて登校してきた時に見せた雰囲気から、まるで別人だと思ったように、まわりの友達も同じことを感じたのか、彼女から人が遠ざかっていった。
――そういえば、私のまわりからも、人が離れていくような気がするんだけど、彼女も似たような感じだったのかしら?
彼女に何があったのかハッキリと分からないが、それからの彼女に対していろいろな憶測や噂が飛び交っているのが聞こえてきた。その中で、彼女には他の人にはない能力があるかのような話も聞かれた。予知能力もその一つだった。今から思えば、まわりの人たちは彼女の特殊能力に恐れをなしていたことで、距離を置くようになったのかも知れない。
「元々悪戯心が嵩じて、自分の能力に気が付いたらしいわよ」
という話も聞いたことがあった。
悪戯心だけで、急に特殊能力が開眼するわけもないような気がしたのは梨乃だけかも知れない。それは、踏切での彼女を見たからだ。あの時に、特殊能力が宿るだけの何かがあったに違いない。表には出てきていないので、誰も知らないだけなのだ。ただ、悪戯心が一つのきっかけになったことは間違いない。踏切のことを思い出し、次第に踏切での今まで忘れていたことを少しずつ思い出してきたのも、何かの前触れかも知れない。
昨日、占い師がいた住宅街から、踏切のあったところまでは少し距離がある。ずっと行っていないので、踏切が残っているかまでは分からない。ただ、駅は以前のままあるようで、相変わらず乗降客はあまりいないということも知っていた。
梨乃は、占い師と出会ってから、たったの一日でいろいろなことを考え、今まで思い出さなかったことまで思い出してしまった。それが占い師の言葉を信じたからなのか、それとも、以前から感じていた予知能力を、占い師に看破されたことで、何か意識が別の方向に働いたからなのか、どちらにしても、記憶を意識としてよみがえられたことがただの偶然なのか、あまり意識しないようにしようと思っていた。もし、占い師と出会った次の日に同じ場所で占い師に出会えていたら気持ちは違っていただろうが、出会うことができなかったことで、沸騰した頭の中をクールにして、リセットさせようと考えたからである。それからしばらくは、梨乃も占い師のことを意識しないようにしていたので、考えることもなくなっていたのだ。
――それにしても、急に踏切のことを思い出したのはどうしてなのだろう?
交通事故が自分の記憶を意識に戻すきっかけになっているとすれば、踏切を思い出すのは当然であるが、交通事故という意味ではなく、クラスメイトの女の子が男たちの車に乗って行った時の印象の方が深く残っている。
あの時の彼女の表情は、明らかに楽しそうに乗り込んでいった。それなのに、次の日に心から笑うことがなくなったのは、きっと、男たちから蹂躙されたことが原因だと思っていた。
蹂躙されたりしたのであれば、学校に来れないほどショックを受けているはずなのに、普通に学校に来ている。そして、彼女のまわりで何かがあったという話を聞くこともない。
――あの時に車の中に入って行った彼女を見たのは、錯覚だったのかしら?
と思うほどであったが、どうしても錯覚には思えない。
あの時のことをさらに思い出そうとすると、車の中にいた男の中の一人を知っているような気がしていた。その人は、助手席に乗っていた男で、彼に見覚えがあったというのは、中学時代の頃の記憶で、似た人がいたのを感じたからだった。
それは、小説を読んでいた頃、解決編を人に話していた時期で、引っ越していった少年に面影が似ていたのだ。
あの頃のようにいつも誰かのそばにいて、弄られる役を甘んじて受け止めていたのだろう。助手席に座っていても、オドオドとした態度が見て取れた。どうやら、クラスメイトの女の子がニコニコ笑っていたのは、彼に対してのようだった。
その時に助手席に乗っていたであろうその男の子が自殺未遂を図ったという話を聞いたのは、それから数か月ほど経ってのことだった。
クラスメイトの女の子は、その話を聞いて知っているはずである。彼女も彼とは中学時代知り合いだったはずだ。もし、助手席に乗っていた男の子が彼ではないとしても。自殺未遂の話を聞いた時、何も感じないということはないだろう。
――やはりあの時に、乗っていたのは、彼だったんだ――
梨乃は、クラスメイトの女の子が彼に対して、絶対的な優越感を持っていたのではないかと思ったのだ。そして、彼も劣等感を持っていた。しかし、その劣等感を跳ね返すだけの気持ちがないくせに、何とかしたいと思ったことで、他の人を利用しようと思ったのかも知れない。そのことが彼にとっていいことなのか悪いことなのか、彼の自殺未遂がすべてを語っているように思えてならない。人に対して優劣感を抱くということは、それなりにリスクを背負うことになるのだということを、梨乃は今さらながらに感じていた。
――占い師に会いたいと思ったのは、自分の中にある優劣感を確認したいという思いがあったからなのかも知れない――
占い師に会えなかったのは、梨乃が確認したいと思っていることを叶えさせてくれないという警鐘なのではないだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます