第4話 第4章
サスペンス劇場も最初の頃は、毎週楽しみに見ていた。家族の間で、犯人当てをしてみたり、トリックを考えたりと、団らんの中でテレビを見ていたのだが、次第に皆が無口になっていった。
それはサスペンス劇場に対して嵌りこんで見ていたはずではないと思えるのに、どうしてなのだろう? 誰かが何かを言おうものなら、
「しー」
と、まわりから、一斉に叱咤の視線が送られる。子供心に、
――何も喋ってはいけないんだ――
という意識は、息苦しさがあった。それまで楽しく見ていたサスペンス劇場が、次第に毎週の家族で送る「ただの儀式」としてしか認識できなくなっていた。そんな時間が楽しいわけはない。何か打開策を求めなければいけないと思うようになったうえでの結論というのが、
――原作を読むこと――
だったのだ。
嫌でも、家族で一緒に見ようという儀式に逆らえるほど、中学時代の梨乃は親に反発できるような度胸はなかった。親のいうことを聞くことが梨乃の家での役割であり、それができないなどという選択肢は、梨乃の中にはなかったのだ。他のことを考えようとは思わなかったし、思ったとしても、自分が苦しむだけではなかったかと思う。まだまだ学校でも家でも、
――いい子ちゃん――
でなければいけないと思っていたのだ。
本を読む習慣のなかった梨乃は、本屋に顔を出すこともそれまではなかった。学校の図書館には何度もあるが、それは勉強の一環として立ち寄るくらいで、純粋に本を読んでみようなどという意識はなかった。まわりの友達にも本を読む習慣のある人はいなくて、梨乃が読むようになって、つられるように読む友達が増えてきたというのが実情であった。
梨乃が小説を読むようになると、サスペンス劇場の時間、沈黙が続いても、それほど苦痛ではなくなっていた。まわりが少しずつ見えるようになってきたが、テレビを見ていることを苦痛に感じているのは、最初に見始めようと思った父親のようだった。
――だったら、やめればいいのに――
と感じたが、始めた手前、簡単に止めることができないのだろう。
その頃から梨乃は、サスペンス劇場を中途半端にしか見ないようにしていた。最初のように小説とテレビを比較してみようという意識がなくなってきたのである。
そこで考えたのが、
――テレビを中途半端に見ておいて、小説をラストから読む。そのことでストーリーを自分なりに思い浮かべてみよう――
と思ったのだ。
いくら中途半端に見たとしても、ラストは知ってしまっているのだから、ラストを想像しようというのは無理な話。そう思いながら今度は小説を読んでみると、結構いろいろな発想が生まれてきて、
――本を読むのも悪くないわ――
と思うようになっていたのだ。
その時梨乃は、友達の中にいた男友達に対して、他の子にはない感情を持っていた。
別に好きだと言う感情ではないのだが、特別な感情である。
それは、主従関係とでもいうべきか、相手が自分に従順なのをいいことに、自分が優越感に浸れる唯一の相手だと思っていた。
梨乃は、自分が優越感に浸れる相手がいるのとは別に、梨乃で優越感に浸っている人がいるのを知っていたので、その反動があるものだと思っていたのだ。
しかし、実際には、
――三すくみ――
の様相を呈していて、梨乃が優越感を感じている相手に対して、梨乃に劣等感を味あわせている相手が、従属的な関係にあることを知らなかった。いずれは知ることになるのだが、それも梨乃のある行動によってのことだったのだ。
それが中学時代に意識していた「少年」だったかどうか、分からない。少年に対しては小説の内容をばらしてしまったことを意識していただけだった。
だが、梨乃が優越感を感じていたのは少年以外にはなかったはずだ。夢の中で出てきた男の子は果たして少年だったのか、疑わしかった。
――完全な熟睡が、おかしな意識を感じさせたのだろうか?
と考えるようになっていたが、きっと、少年を思い浮かべた時、三すくみの関係を考えないようにしていたことと今見た夢との間で、何かの関係があるのではないかという思いがあるのも事実だったのだ。
また、この夢にはもう一つずれがあるのだが、それは、テレビを見る時、緊張した雰囲気が走り、嫌な気分になってきたと夢では感じたが、本当は、父が一緒にテレビを見ることなく、家を空けていたことが原因だったはずだ。
――家を空けることが多かった父に対して、何か不満を持っていた感情が歪んだ形で夢に出てきたのかしら?
とも思えた。
だとすれば、少年に対しての気持ちも同じような感覚があるのかも知れない。少年に意地悪をしていた自分が、本当は嫌だったはずなのに、今さら思い出してどうするというのか、その時に一緒に思い出した、
――三すくみ――
という思いが、夢を忘れずに覚えているという意識にさせた、
――完全なる熟睡――
に何か意味があるのかも知れないと感じたのだ。
――ひょっとすると、完全なる熟睡は、今までとは違うもう一つの人生の扉を開かせる力を秘めていたのかも知れない――
と感じさせた。
大げさではあるが、昨日の占い師から聞かされた梨乃のこれからのことを思い出すと、何か昨日という日に意味があると思っても無理のないことだ。
――やはり、もう一度、あの占い師に会ってみたい気がするわ――
と考えていた。
時計を見ると、驚いたことに、あれだけの熟睡だったわりには、まだ、夕方にもなっていなかった。昼下がりと言ってもいいほどの、午後三時過ぎではないか。四時間ほどしか寝ていないことになる。
――少なくとも、八時間近くは寝ていたような気がするのに――
梨乃が完全な熟睡を感じる時間的な感覚としては、八時間というのが一つのめどとしている。八時間以上経っていれば、意識がなくとも、
――完全な熟睡――
だと思うのだ。
それは夜の睡眠時間でも同じことで、逆に言えば、それだけ毎日の睡眠も、続けて摂っていないことを意味しているのだった。
完全な熟睡は、梨乃を睡眠の世界とは別に、他の世界にも誘っているのではないかと思わせた。それは、今回の睡眠だけに限ったことではない。今までに見た完全な睡眠による夢の中でも同じことだった。
完全な睡眠が今までにそんなにたくさんあったわけではないにも関わらず、いつも最後に同じ思いをさせられるということだけは思えているのだが、その一つ一つのことを覚えていない。
夢を見たという記憶がないのだから当たり前のことなのだが、本当にそれだけであろうか?
睡眠について考えることの多い梨乃だったが、それは夢に対しての思いでもあったのだ。――夢というのは、睡眠と切っても切り離せないもので、夢を覚えていないというのはおかしなことなのかも知れない――
と思うようになっていた。
――夢を覚えていないのは、決して忘れてしまったわけではなく。記憶のある部分に封印されていて、忘れてしまったような感覚にさせられるだけなのではないか――
と感じていた。
――では、なぜ忘れてしまわせるのか?
やはり、意識の中で混乱しないためであろう。現実世界での意識には限界があり、いくら潜在意識が見せる夢と言っても、現実社会と混乱してしまっては、うまく世の中がまわっていくはずがないという考えの元、夢のメカニズムが築かれているように思っているのだ。
――だったら、夢を格納している場所に限界はないのだろうか?
という疑問にぶち当たる。
その時梨乃は、
――異次元のようなポケットがあって、その中には限界なんてないんだわ――
という仕掛けになっていると、理解するようにしていた。
実際の現実とは少し違った夢を見たことにいろいろ思いを巡らせながら、梨乃はその日一日の後半は、また本を読むことにした。一度睡眠を摂っているので、今度はそう簡単に眠くなることはないような気がする。しかし、それでも同じ場所で読書を続けることは、先ほど睡眠に落ちていく時の気持ちよさがよみがえってこないとも限らないので、場所を変えることにした。
梨乃には、読書をする場所には事欠かない。今までにいくつもの馴染みの喫茶店を作り、そこで読書をするのがまわりの人には趣味であることを暗黙の了解として分かっているようだった。
その日は、駅前の喫茶店で読書をすることにした。駅前までは少し距離があるが、そこを選んだ理由は、一番店内が暖かく感じられるからだった。
その日をそのまま読書で終わり、家に帰ってくるのであれば、そこまで暖かさにこだわることはないのだが、帰りに昨日の占い師のところへ行ってみようと思っていたことで、梨乃は迷わず駅前の喫茶店を選択した。
駅前と言っても、駅に近いというだけで、場所としては、少し商店街から裏道に入ったところになっている。いわゆる、
――隠れ家――
のような喫茶店であるが、梨乃はそこが気に入っているのだ。知らない客ばかりの店よりも、常連で持っている店の方が入りやすい。皆それぞれ気を遣ってくれるのもありがたいし、食べ物のおいしさも気に入っていた。
梨乃は昼ご飯を食べることもなく、家を出た。
――完全なる熟睡――
だったこともあって、完全に目が覚めたわけではない、夢の余韻に浸っている中、重たくなった身体を起こし、洗面を済ませると、服を着替えた。朝から出かける時と違って、昼下がりから夕方に掛けての外出の場合、梨乃はなるべく地味な服装をすることにしている。紺色を基調にした服に着替えると、少し寒さを感じる風に吹かれながら、駅を目指すのだった。
――こんな時間に出かけるというのも、久しぶりだわ――
休みの日は、表に出るなら午前中と、大体は決めている。昼過ぎまで家にいる時は、出かけることもなく、家にいることが多い。要するに、出かけるのが億劫なのだ。
店の扉を開けると、アルプスのヒツジが首からぶら下げている重たい鈴の重低音が店内に響いた。その音は複数回聞こえ、客が来たことがすぐに分かる仕掛けになっている。
「やあ、梨乃ちゃん、いらっしゃい」
馴染みのマスターが、まだ梨乃の顔を確認する前に、梨乃に話し掛けた。ここのマスターは不思議な能力があるようで、
「扉の鈴の音で、誰が来たのか、常連さんなら、大体分かるんだよ」
と言っていた。
「どうしてなんですか?」
と聞いてみると、
「どうしてなんだろうね? 自分でもハッキリと分かっているわけではないけど、どうも音の強弱と、鈴の音が鳴る回数で分かるような気がするんだ」
と言っていた。
マスターの店ということで、それなりに店に対しての思い入れがあることで、他の人には分からないことが、
――店主だから――
という理由で分かることがあってもいいだろう。
マスターが最初から、
――自分の店であることを自分の中で常に自覚していたい――
という思いから、無意識に研ぎ澄まされた感覚の中で、他の人との違いを自分なりに考えたのかも知れない。そう思うと、梨乃は、自分にとってもこの店が、
――他の友達の知らない、自分にとっての隠れ家――
として大きな存在であることを感じ、誰にも感じることのできない何かを無意識に感じているのではないかと思うこともあった。
梨乃にはいくつか馴染みの店があるのだが、このお店は他の店とは大いに違っている。今時珍しい、
――アンティークな造り――
となっていて、ずっといて飽きることがない。読書だけではなく、常連さんとの話も普通にできるので、趣味についての会話から、時々、自分でも気付かなかった思わぬことに気付かされることもあり、まるで目からウロコが落ちた感覚にさせられることもあった。
いつも基本的に読書から入る。それは、目的が最初から読書の時が多いからだ。梨乃は性格的に、
――自分のやりたいことを先に済ませてからでないと、他の人と話したりするリラックスした時間を持つことはない――
と思っていた。
梨乃は、自分の趣味を半分は「ノルマ」のように位置づけている。ノルマというと自分に課すテーマが大きすぎるが、「目標」と言ってしまえば、それほどプレッシャーのかかるものではない。
目標といっても、段階がある。大きな目標を達成させるために、日々の目標を立てることは当然のことだ。
――全体でこれだけであるので、何日かかるだろう。では、その日一日の目標はこれくらいだ――
と考える。
しかし、少し矛盾もしていることは分かっていた。何日掛かるかということは、一日をどれくらいのペースでできるかということを先に考えていなければ、全体の目標など立てられないだろう。だが、一度広げた目標を、またそれを日々のペースに戻すことは、却って目標の確認にもなっていいことではないだろうか。
梨乃は普段から、一日一日を大切にするように心掛けている。それは学生時代にしようと思ってできなかったことだ。学生時代は勉強が主であり、勉強というと、どうしても、
――やらされている――
という受け身の発想が強かった。
しかし、仕事を始めると、会社では歯車の一部のように思うが、それでも給料をもらって頑張っていることで、自主性を感じることができる。そのため、一日一日を大切にすることができるのだと思っている。
梨乃の自主性という考え方は、他の人とは少し違っているのかも知れない。だが、そう思うことで少しでもプレッシャーや歯車になっていることのストレスが解消されるのであれば、それが一番いいことだと思っている。梨乃にとって自主性は、これまでの自分の生き方を変えることのできる一つのキーワードになっていることだろう。
さっき、完全な熟睡に入った時、急に襲ってきた睡魔だったこともあってか、どこまで読んでいたのか曖昧になっていた。
しかも覚えている夢の中の半分は、小説の内容に近かったので、意識としては、どこまでが夢で、どこまでが小説で読んだ内容なのか、漠然としていたのである。
夢の中では、環境としては自分の知っている世界だったのだが、シチュエーショや、登場人物の一部に小説で読んだ人が入り込んでいた。
――夢と現実の意識の交錯――
とでも言えばいいのか、普段であれば、絶対に交わることのない平行線が交わってしまい、歪な格好を見せているかのようであった。そんな状態を見せつけられると、梨乃は本を再度読み始めることに抵抗もあった。
しかし、もしこれが呪縛のようなものであるなら、
――虎穴に入らずんば虎子を得ず――
のことわざが示すように、本を読み進むことが一番早く、しかも正確に夢と現実を分離できると考えているのだ。なぜなら、
――本は最後には完結している――
ということである。
現実世界の方は、梨乃が意識している限り、完結はありえない。しかし、本の内容は、必ず完結しているはずなのである。
――最後まで読み終わった後で、私はどのような感想を持つのだろう?
と、梨乃は考えていたが、まだ、小説も読み始めて、半分にも行っていない。ゴールまではほど遠いのだが、
――夢で見た内容とさほど変わらないのではないか――
と、感じたのは、予知のようなものが働いたのかも知れない。
占いや、おみくじとは大きく違っているのだろうが、
――先を見越す――
という意味では、予知もバカにしたものではない。奇しくも昨日言われたことを思い出しながら、梨乃は忘れかかっている夢を、それ以上忘れないようにしないといけないと感じていた。それが無駄な努力に終わるかも知れないと思いながらも、
――たまには無駄だと思えることを、一生懸命にしてみるのも悪くない――
と勝手に感じていた。
小説を読みこんでいくと、初めて感じたことがあった。
文章の繋がりなど考えたこともなかったのに、その場面場面が思い浮かんでくる。今までひどい時には、セリフだけを端折って読んでいた時も、ある程度場面が思い浮かんでいたが、その時に、もし最初から端折ることなく読み進んでいた時に浮かんでくる光景と、どれほどの違いがあったのかを知りたいと思うのだった。
今から思えば、それほど違いがなかったのではないかと思う。それも自分の中で予期していたせいもあるのかも知れない。
――私には先を見越す力がある――
と勝手な想像で有頂天になりかかっていたのも、前の日に占いを見てもらったからであろう。
今まで占いなど信じることもなく、占いなどというのは、あくまで商売で、占い師というのは、相手が今どのような状態にあり、何を悩んでいるかを見切ることができ、それに対していかに、その人の喜ぶようなことを言えるかというのが商売としてのテクニックだとすれば、実に悲しいことである。少なくとも梨乃は、昨日自分を占ってくれた人が、そんな人ではないことを願って止まないのだった。
そういう意味でも、もう一度、今日会っておきたい気がした。
――会って、何を話そうというのだろう?
お礼を言って、そのあと、昨日の占いについて再度聞いてみようという気持ちなのだろうか?
ただ、梨乃は今占い師の立場で考えようとしていた。すると浮かんできたこととして気になっているのが、
――昨日の占いはあくまで昨日のこと、今日占ってもらうとすれば、まったく違った占いになってしまうかも知れない――
という思いだった。
何よりも、昨日の占いについて今日聞こうとするのは愚の骨頂な気がした。占いというのは、かなり神経を遣うものではないかと思う。そうでるならば、時間に対して敏感で、時間が経てば経つほど、前に占ったことを覚えているなど、考えられないような気がしていたのだ。
――ただ、それは私たち凡人が考えることであって、占い師のような特別な人たちには、自分たちの常識が通用しないのかも知れない――
とも、考えたが、占い師と言えど一人の人間、聖人君子ではないという考えも頭にはある。
昨夜の占い師は、どちらかというと、前者のような気がしたが、一夜明けてみると、本当にそんな聖人君子などいないと思うようにもなっていた。
梨乃は小説を読みながら、占い師のことを考えていると、普通なら邪念のような気がするのに、その時は、小説の内容と、占い師のことがまったく無関係のように思えなかった。
梨乃は自分の中に、意地悪なところがあることを気にしていた。特に中学時代に「少年」に対して小説の内容を先に教えることで、彼がオドオドしている姿を見るのを楽しみにしていた。
悪趣味と言えば悪趣味だが、それが快感に変わってしまい、そんな性格が他の人に対しても影響しないかと懸念していたが、相手は少年だけのようだった。
――ということは、悪趣味な性格は、少年だけをターゲットにするものだったのかしら?
それは、自分の性格が適用するのは、少年に対してだけ。つまりは、
――相手が少年だから、悪趣味な性格が出るのか、悪趣味な性格は少年がいたから、表に出てきたのか――
そのどちらかだと思うと、今は少年がいないことで、自分のこんな性格が表に出ることはないだろう。しかし、そのことは、梨乃が少年に対して特別な感情を抱いているからだということにもなるだろう。それが、恋愛感情のようなものなのか、それとも、見ていて苛めたくなるそんなタイプであって、梨乃がもしサディスティックな性格の持ち主であるならば、その性格が表に出るとすれば、少年だけであるという、部分的な性癖と言えるのかも知れない。
昨日の占い師は、そのことについて触れなかった。占い師を目の前にした時、
――このことについて、看破されたらどうしよう?
と、一番強く気にしていたことだった。
自分の中で一番悪い性格だと思っていることなので、言われなかったことを最初はホッとした気分になったものだが、時間が経つにつれて、やはりそのことに触れなかったのは。相手の悪いことには触れない都合のいいことだけを言う、商売っ気の強い人だったのではないかと思わせる。
もしそうであれば、少しショックである。昨日の占いの内容も、当てにならないからだ。一体何を信じればいいのか、少し昨日占ってもらおうということを考えた自分が口惜しかった。
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